2009年2月12日木曜日

2009/01/15

S: ヨハネ12:42~43 しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したのである。

O: こうしたことは、本当に日本ではよく見られることです。ある時期、アメリカでは信仰を告白し、イエ スに従うことは尊敬の対象でしたが、今や、ますます軽んじられるようになっています。日本では、キリスト教は外国の教えとして捉えられており、素晴らしい 教えでありながら、イエスに信奉する人は、国家や人種に不忠実と見なされるようです。こうした考えは一夜にして変わることはないでしょう。伝道を志す者に とっては難しい問題です。比較的最近まで、クリスチャンになった人たちが否定されるのは珍しくありませんでした。調査を恐れ、少なくとも信仰告白をため らった人は多くいました。しかし、これはある意味で祝福です。なせなら、迫害に直面してもなお、信奉した人達は妨げだった壁を焼き払い、キリストに仕える 者として信仰を深めていったのですから。いずれにせよ、何よりもキリストを愛するように私達は求められています。

A: イエスを信じながらも、家族や集団を恐れ、信仰を公にできない人がいます。聞いていて、そうした人 たちの気持ちはよく分かります。彼らが、そうした因習を乗り越えられるように聖霊の油注ぎを求めます。私にも知恵が必要です。注意するだけでは、逆効果に なります。それに、私には彼らを見下すことはできません。因習の因われを恐れ、これまでに失敗したことが多くあります。現実的に見ても、私自身、神様より も人を恐れていることがよくあるのです。拒絶を覚悟してでも、私は隣人を愛そうと思います。彼らを永遠へと導きたいからです。思いきらないと何も得られな い、という言葉は、まさに真実を含んでいます。キリストにある兄弟、姉妹を得るためにも、私は拒絶を恐れずに行動したいと思います。

P: 天のお父様。この分野での私の弱さ、失敗を教えて下り感謝します。伝道で億劫になっているのは、私 が人を気にしているからです。そして、それは間違いです。病院で私は患者さんたちのために祈ることができました。少しばかりの大胆さを下さったことを感謝 します。彼らの反応が良かったことも感謝します。人からの拒絶よりも、あなたを真に恐れることができますように。彼らを愛し、多くの人たちをあなたの御国 に導けますように。救いとあなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

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