2009年2月11日水曜日

2009/01/07

S: ルカ11:35 「だから、あなたがたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。」

O: 暗闇の真っただ中にいる人には、この節の言うような光に殆ど気がつきません。それは、彼らが自分たちの置かれた状況と、照らし合わすことのできる光を経験した事がないからです。英語訳 は、「暗やみでないように」、日本語訳では、「暗やみにならないように」となっています。光を全く知らない人には、参照すべき基準が分からないでしょう。 しかし、聖書には、真実を知っていながらも背いた人のことが書いてあります。そうした人たちのことを今日の節では述べているのでしょう。残念なことです が、真実の側面を知りながらも、その真実に鍵をかけてしまい、他の真実さえも否定する人がいるのは珍しくありません。それは、彼らが自分の知っている知識 と辻褄が合わずに、その過程の中で、虚偽を信じてしまうからです。聖霊の賜物が途切れがちな立場にいる人をよく見受けます。そうした人達は、概して、霊感 と聖書の権威を主張しがちですが、木を否定し、そのために大きな森を否定します。聖書の最高のコメント書は聖書なのです。そして最高の教師は聖霊様なので す。

A: 私は聖書に対抗しようとする動きに立ち向かったことは何度もあります。欺きの罠にはまらないように 気をつけていなくてはいけません。“新事実”などではなく、聖霊の啓示と、聖霊様の語りかけに、いつも心を開いていたいものです。欺きにあっている人を私 は憐み、しかし、私の”知識”に高慢になることがあってはいけません。私は教会を指導し、真実へと導き、過ちから信者を守るという難しい仕事を託されてい るのです。聖霊の知恵と力で、私はみ言葉に注意深くあり、教え、諌めることに勤しんでいきます。

P: 天のお父様。気づかせて下さり感謝します。エホ バの証人のことで、Jが私を呼び、うまく話ができました。エホバの人達は今日もJを訪ねるでしょう。Jが彼の知識でしっかりと立ち、惑わされたり、欺かれ たりしませんように、助けてください。彼があなたのみ言葉にしっかりと根を張り、強く成長できますように。わたしが彼を導き、積極的な信仰の成長と知識が 増し加わりますように。あなたの御国の強い力となれますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/01/06

S: ルカ10:16 「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒むものは、わたしを拒むものです。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むものです。」

O: この節の内容には深い内容が込められているので、私はこの節を繰り返し読んでいます。反応がとても 遅い日本のような国では特にそうです。英訳では、信者に耳を傾ける行いがキリストに耳を傾けると言っているかのようであり、一方、日本語では、キリストに 耳を傾ける信者に耳を傾ける者について述べているように受け取れます。私は間違いなく、翻訳に問題があると思います。元のギリシャ語も、その微妙な意味合 いも私は知りませんが、両語とも意味判断においては十分正当化できるものでしょう。聖書をこれまでの経験から言っても、両語とも言わんとする所は真実だと 思います。マタイ10:40で、「あなた方を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。」と書いてある通りです。では、イエスは、救いの行いを受け入れ ているのでしょうか?恐らく、ここでは、言葉の用い方がまずかったようですが、いずれにせよ、救われる者とそうでない者は、究極のところ、イエスに委ねき るしかありません。

A: この節の内容全体が、個人的に大変気になっています。なぜなら、とても多くの人たちが私の話を感謝 して聞いて、受け取ってくれるながらも、キリストに献身はしないからです。私は決して諦めず、しかし、種を蒔き、水をやり、実を結ぶように聖霊様に祈り続 けます。T さんが来月にバプテスマを受けるという知らせを土曜に聞きました。これは家内と私に大きな力となる知らせです。彼と出会ってから14年になり ます。私と家内の影響が大きかったと彼は言ってくれたのです。大村に来て27年以上になります。その間、沢山の種を蒔いてきました。これからも諦めること なく、キリストの使いとして、キリストのみ手に委ねていきたいと思います。

P: 天のお父様。Tさんのことを本当に有り難うございます。彼の奥さんが、60歳を過ぎた人には滅多に ないことでしょうとおっしゃいました。しかし、主よ、その年齢に達していても、いまだに献身の段階に至っていない友人が多くいます。そして、あなたは彼ら をとても愛しておられます。あなたが語られた人たちの沢山の収穫が今年はありますように。これまで拒んでいても、キリストを救い主、主であると彼らが心に 受け入れますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/01/05

S: ルカ8:18、21 「だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。わたしの母、わたしの父、兄弟たちは、神のことばを聞いて行う人たちです。」

O: この二つの節を組み合わせると、非常に明確な内容が伝わって来る感じがします。ヤコブが言うよう に、私達は自分自身を欺くのではなく、聞き、従うことに慎重であるべきです。ただ単に知識を得るために聞くのならば、その知識は全く無意味です。多くの人 は聖書を神学的哲学として取り組みますが、真にイエスの家族になりたいと望む時こそ、み言葉に飢え渇き、知りたいと望むものです。

A: 聖書に長けた知識を持ち、神に献身する両親に育てられた私は恵まれています。それでも、なお、私は 頭の知識だけで十分だと考えるような罠にはまります。ヤコブが、行動に結び付かない信仰は信仰とは言い難い、と言っています。私達は信仰の従順さに気をつ け、あらゆる場所で聖霊様が輝けるように心しておきましょう。それによって、悪魔からの欺きの罠を避けましょう。信者が霊的に“頭でっかち”とならないよ うに、教えを完全にしていきたいと思います。

 
P: 天のお父様。このことに気づかせて下さり感謝します。この教えを聖書の箇所ではっきりと示して下さ り感謝します。あなたのみ言葉を行える者であるよう助けてください。わたしの人生のあらゆる場面で、あなたのみ心が成就しますように。あなたの喜びと御栄 光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009/01/04

S: マタイ284~5 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさの余り震えあがり、死人のようになった。すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。」

O: 御使いが恐ろしい存在であることは、疑う余地はありません。神に献身していない人にとって、その恐ろしさはあるのです。しかし、神を求める人への継続的なメッセージとして、「恐れてはいけません。」があり ます。力ある戦士は敵に恐れを与え、守るべき人には自信を与えてくれます。[み使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるために遣わ されたのではありません。」とへブル書にはっきり書いてある通りです。(へブル1:14)ですが、み使い自身を礼拝すべきではありません。礼拝を求めるみ 使いは、どんなにみ使いのようであっても、それは悪魔であり、み使いではありません。み使いは、神の子ども一人一人の慰めであり、み使いにではなく、神に 感謝し、賛美させる存在です。

A: 私はみ使いについてあまり考えませんし、あまり教えていません。み使いの存在は知っていますが、あ まり注目はしていません。私は気持ちの全てを神を賛美することに使いたいのです。ニューエージでは、み使いについて教えているようですが、その殆どは悪魔 的です。ですから、私はそうしたことに気をつけ、信者が惑わされないように知識を与えていきたいと考えています。愛に満ちた神の保護と、全ての怖れを遠ざ ける確信を与えてくれるでしょう。

P: 天のお父様。今、私は入院と手術の心配をしています。こうした心配はこれまでになかったことです。 入院が近づくにつれて、思い過ごしと分かりましたが、前立腺がんの心配も出てきました。医学的には大したことではなく、心配が不要だったことを感謝しま す。今回のことからあなたをもっと信頼し、同様の問題を持っている他の人に対し、より安心と励ましをあげることができますように。今日、私自身にではな く、あなたにのに集中できますように。私を通して、あなたのみ言葉が妨げられることなく伝わりますように。あなたのご栄光のために、信者が建て上げられま すように。感謝します。神様を賛美します。

2009/01/03

S: マタイ17:5 「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい。」

O: 私達はイエスの語られること以外を、聞いている時があるようです。イエスは聖霊によって私たちに語っておられますが、多くの場合、私達は聞いていないのです。この世のこと、悪魔、自身の欲望や心配で忙しいからです。神様は静かにし、聞くように言われました。それは神様のご計画は、いつも私達の計画より良いからです。私達がどんな状況にあっても、常に脱出の道を備えて下さっています。ただ問題は、私たちが神様を信じ、信頼できないでいることです。

A: 私は、概して自分の冷静さを誇っていますが、今朝の出来事で、実はそれが見せかけだったことに気づ きました。私はもうすぐ入院と手術を控えています。落ち着かないのが、そのことから来る心配だと分かりました。実は、平気な素振りを見せていただけでし た。医学的には単純なことだと知っているので、いくつかの段階の治療は心配していませんが、明らかにある一段階のことが怖いのです。私は自分という人間が 分かってきています。そして、私の知りうるキリストに全てを明け渡すべきでしょう。へブル書にあるように、使徒に辛い時があっても、のちに、義の平安の実 を結ぶのです。

P: 天のお父様。私の別の側面を気づかせて下さって有り難うございます。あなた に完全に明け渡し、すべての段階であなたを信頼することを学べますように。今朝は聖書を読むのにも忙しく慌ただしかったのですが、無事に終えることができ ました。私の書斎にあったゴチャゴチャは、必ずしも書斎においておかずとも済んだものばかりでした。気付かせて下さり感謝します。銀行の通帳が一つ見当た りません。見つけるように助けてください。今日は、やるべきことが他にもあります。あなたから必要な知恵と強さをいただき、ひとつひとつをこなせますよう に。あなたのご栄光のために。感謝します。主を賛えます!

2009/01/02

S: マタイ6:19、21 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。

O: 私はここでもまた、英訳にはなかった観点を日本語から得ています。英訳では、「地上に宝をたくわえ てはいけない」と言った意味合いですが、日本語訳では、「地上に宝をたくわえるのはやめなさい」となっています。つまり、この表現は、現在、まさに私たち が宝を地上にたくわえているのを示唆しているかのようです。ペニーやドルなどお金で測れるものであったり、物質的なものであったり、あるいは、名声や力な ど、さまざまですが、大多数の人にとって宝を蓄えるという表現は当を得ていると私は思っています。この教えには誰も否定できないほど自明の理が含まれてい ます。すなわち、心を大切なことに投資することです。神様だけが永遠です。ですから、神様と御国と神の義以外は、愚かな投資なのです。現在の世界経済危機 こそ、まさにこの教訓です。少なくとも、アメリカ中の伝道教会の参加者が増えていることからも分かるように、この教訓からメッセージを学んでいる人もいる ようです。

A: 殆どの人より、私はこの点大丈夫だと思います。それは単に私に預貯金がないからではありません。し かし、最近、私はいくつかのことに祝福を受けました。たとえば私のカメラと新しい(といっても中古ですが)カメラレンズです。私のお気に入りです。物に よって妨げられ、神様から焦点を外すことのないように、優先順位に気をつけていきたいと思います。人はやや中間です。私のために死なれたのと同じく、イエ スは人のためにも死なれたのですから、もちろん人は価値があります。しかし、人が私に良くしてくれたことで価値を置くべきではありません。むしろ、自分を 愛するのと同じほどに、神への怖れをもって人を愛し、できるだけ多くの人を天国に送りたいのです。

P: 天のお父様。また、あなたの私への忍耐を憐みを深く感じます。私がまず為すべきことは、人生を汚れ のないまま過ごすことではありません。あなただけに心から焦点を合わせていられるように助けてください。あなたが私の最高の喜びであり、最大の宝です。ど うぞ、私のあなたへの集中がどんなことにも阻まれませんように。私のプライドや都合のように、つまらないことに労しませんように。むしろ、喜びと感謝を持 ち、あなただけを大切に、あなたの御手から全てをいただけますように。あなたのご栄光のために。感謝します。神様を賛美します。

2009/01/01

S: マタイ5:14、16 あなたがたは、世界の光です。あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

O: クリスチャンであれ、ノンクリスチャンであれ、イエスが世界の光であるという考えができない人は殆どいません。しかし、信者が 世界の光であるという考えに困難を覚えるでしょう。もし、「あなたがたが世界の光です」と言ったのがイエスでなかったなら、とんでもない冒涜の発言でしょ う。私たちは自己イメージに基づいて行動しています。ですから、今日のみ言葉は大変重要なのです。信者が部屋に入ると、イエスも一緒に入ってくるというの は、全く傲慢でも何でもないと聖書は教えています。私達は時々、「イエスがここにいてくださったなら・・」と感じますが、私たちに信仰があるならば、実際 イエス様はそこにおられるのです。自分がキリストの働き手であり、世界でイエスの光を放つ者であると気づくなら、行動や態度にそれが反映し、私たちを見る人は神に栄光を帰すでしょう。

A: これは、私の内で、長い間かけて得て、ますますそう感じている真実です。しかし、十分、私はこの真 実を表現できていません。信者がこの事実を理解し、真実の中を歩いて欲しいと切に望んでいます。しかし、信者にこの負担をかけたくはありません。信者に理 解してもらいたいのですが、それがうまくいかない原因の一つに、私たちが重荷だと捉えていることがあります。イエスのくびきは負いやすく、荷は軽いとイエ スが言ったにも拘らず、です。そうなるように努力はしても、キリストの代表として生きるのではないと教えていきたいと思います。容易な道だと言っているの ではありません。キリストの道が容易でないのと同様です。しかし、自己の力(不可能なことです)でキリストの代表として生きることと、聖霊の流れに(大変な喜びと幸福です)助けてもらうこととは、無限ともいえる違いがあります。信者とともに喜びと力の内を歩けるように、聖霊の知恵を適切に用いて、彼らの理解を助けて行きたいと思います。

P: 天のお父様。新年の初めの今日、このみ言葉を下さり感謝します。この年にこれほど相応しい言葉はあ りません。しかし、あなたのご計画に比して、私はまだ計画さえ不十分です。あなたにリラックスして、委ねることを楽しめますように。それは、決して無責任 な委任ではなく、従順に信頼し、私が、いつでもあなたに服し、あなたのご計画が成就し、御国のための時宜にかないますように。あなたのご栄光のために。感 謝します。ハレルヤ!