2009年4月4日土曜日

2009/04/01

使徒 11:1-18

S: 使徒 11:14
「『その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを話してくれます。』と言ったというのです。」

O:  御使いがコルネリオに福音を伝えたのではなく、コルネリオをペテロに向かわせたことに、多くの人が、何世紀にも渡り、気づいて驚いています。救いの福音 を伝えたのは御使いではなく、私達のような普通の人間でした。ここ数年、私は、夢や、宣教師のいない国々で御使いが現れ、救われた話をいくつか聞いていま す。しかし、そうした話は、明らかに例外的なものでしょう。救われた人々が他の人を救うという特権を、知恵ある神様は与えてくださいます。私たち自身で誰 かを救えるなどという誤った考えを持ってはいけません。しかし、また、神様が人を救うのに、私たちを用いて下さらないという考えを持つのも同じように間違 いです。イエスを救い主で主と認め、信頼するならば、イエスを認めずに死に瀕する人とは違い、誰でも、命の薬を与えられます。クリスチャン歌手の小坂 忠 さんの、「君は美しい」の歌詞にありますが、イエスを語らずして、誰が神に出会えるのでしょうか?

A:  私はこの歌を英訳し、歌詞を聖書と整合させながら、説教の基本として使いたいと思っています。日本での伝道の最大の困難は、まず、永遠の救いについて、 全体的に認識に欠けることです。哲学的概念においてすら、持ち合わせていません。そして信者は信仰について話すのを躊躇しています。必ずしも全ての人が、 伝道者としての賜物を与えられているわけではありませんし、またその必要もありません。ただ、主がその機会を与えて下さるなら、進んで主について語るべき でしょう。私は、もう何度も、このことを説教で教えていますが、何よりも、このメッセージを伝えるためには、聖霊様に委ねたいと思います。

P: お父様。この時点で、あなたがこの教会のためにして下さったことの全てに感謝します。周囲の方々を救うために、信者を用いたいと、あなたがは望んでおられます。それが叶うのは素晴らしいことです。どうぞ、信者の目と心を開いて分からせて下さい。私 たち、「つまらない者」が、あなたに用いられ「高貴」な者へされますように!昨日、家内が美容師と分かち合う経験が持てたことを感謝します。私たち全て が、そうした経験を持ちたいと望み、あなたの使いにあずかる特権を喜んでいられますように。あなたのご栄光のために。神様を賛美します!

2009年4月3日金曜日

2009/03/31

使徒 10:23b-48

S: 使徒 10:44 ベテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。

O:  教会と世界の歴史にとって、枢要な瞬間です!ペテロをはじめ、ユダヤ人の持っていた先入観は、完全に打ち砕かれたことでしょう。この時まで、神様が彼ら と同等に異邦人を取り扱っておられるとは、思いもしなかったことでした。それで、神様は、むしろ劇的な方法を用いて御意志を示して下さいました。ただ聞く だけの人にではなく、心から御言葉を聞こうとする人に聖霊がお下りになります。それが示された転換点は日本人にとって、意義のあることだと思います。彼ら は神様の言葉を聞こうと期待して集まりました。心を開いて聞きました。餓えていたのです。そうした人に福音を伝えるのは、喜びです。もし、忠実であるなら ば、神様は必ず、心に触れて下さるからです。反面、ただ「型通りの事務的な」集まりで、教えることは、全く実りがありません。明らかに、あらゆる点で、 「聖なる使命」を帯びているからで、ペテロはその結果に驚きました。

A:  私は、聞き手が真剣に聞いていない時でも、福音をしっかりと伝えています。それは、数年後に実を結ぶように、神様が人々の心に種を蒔いておられるからで す。パウロがテモテに語ったように、私も「御言葉を宣べつたえていきます。たとえ、時が良くても悪くても」です。(2テモテ4:2) もし、私がそれを忠 実に行わないならば、神様は、志の整った他の人に命じられるでしょう。それは当然のことだと思います。神様がご用意くださった豊かさ、そして、十字架でキ リストがなさった目的の全てをいただくためには、こうした心構えが大切であることを、教えるよう覚えておきたいと思います。

P: お父様、昨日、私を用いてくださったことを感謝します。G婦人は調子がよく、私と会って喜んでくれました。さらに、私の彼女への祈りを受け入れてくれたのです。数年前に、あなたはこれが起こることを教えて下さったように、こ れによって、彼女がキリストの体に、再び参加できますように。大村に二度、良いゲストが来てくれ、感謝します。私を通して、ゲストの方々にあなたは影響を 与えて下さいました。私が常に、あなたに敏感に、従うように祈ります。あなたからの使命を、一つも見逃しませんように。心と暮らしに触れられ、癒されます ように。人々の救いとあなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/03/30

使徒 10:1-23a

S: 使徒 10:15
すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物は、きよくないと言ってはならない。」

O:  昨日、私は、ある信者の方と討論をしたのですが、この御言葉を直接、応用できることに、今、気づきました。罪のため、私達は神に仕えることや、神に近づ くことさえ、値しないと考えがちです。しかし、神は、キリストの血によって、あらゆる罪を清めてくださったのです。ヨハネがはっきりと言っているように、 イエスの血が、すべての罪から私たちを清めているのです(1ヨハネ1:7)。必要なことは、私たちが罪を認め、イエスに告白することです(1ヨハネ1: 9)。けれども、悪魔は私たちを罪から解放したくありません。それで、私たちが罪を取り扱った後でさえ、後退させ続けるのです。神様がペテロに語ったこと は応用でき ます。神様は、御子の血によって、私たちを清めてくださったのですから、もう自分たちを清くない者と言うべきではないのです。もちろん、恵みを軽薄に頂い たり、赦されるからと罪を犯す口実にしてはいけません。それは、神様の御顔につばを吐く行為です。そしてまた、私たちが本当に罪を赦され、清められ、洗い 流されたと分かるまで、罪から自由になることはありません。その時に得られる自由は、まさに驚くほどです!

A:  私は明らかに、このケーススタディをしています。罪で清くないことで苦しんでいる人たち、そして、私がそうした人たちを低く見ないように、また、彼らが 軽視されていると思わせないように、私は忍耐強くなくてはなりません。イエス・キリストにある自由、聖霊にある自由を伝えていくべきでしょう。罪の鎖から 人々が解放されるためです。古い賛美歌に、「憂いを慰め 恐れを去る御名をば 罪人 聞くうれしさ」とあります。歌詞の後半部分のように、信者全員が心から、「くらきの力をイエスはくだき、血をもてあがない、救いたもう」と宣べ伝えるよう に、助けていきたいのです。残念なことに、この詩を訳した日本人訳者たちは、この詩のつ深い意味合いを数行で表すことをやめてしまっています。それで、こ の詩を上手く訳してはいますが、原意を完全に表現できていません。(賛美歌62番)ペンテコステ教会で歌われている讃美歌は、より原意に近いです。そうし た古い言葉使いの方が、全体的に滑らかに響きます。(聖歌91番)

P:  お父様。のメッセージが伝わりますように。言語は確かに壁となっていますが、最大の問題は、真実を知らせまいとする悪魔の働きです。けれども、悪魔より も御霊の方が力強くそばにいるのです。御霊の力で私が働けるように助けてください。すべての信徒が真実に気づき、ともに、あなたがご用意なさった自由の道 を歩くためです。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009年4月2日木曜日

2009/03/29

使徒 2:1-21

S: 使徒 2:21
「しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」

O:  旧約聖書では、「主の御名を呼ぶ」表現が多くありますが、この節のように、旧約聖書からの引用以外にも、新約聖書で広く使われています。その大きな理由 は、多神教が広まっていたためです。多神教のため、単に「神」と呼ぶだけでは、不確かだったからです。そうした背景、または日本の多神教を見ると(日本は 「やおよろずの神の国」と自ら呼んでいます。)、エホバの証人の方々が、「神の名はエホバ」だと強調するのも、よく理解できます。聖書で「主の御名を呼 ぶ」が使われるもう一つの理由としては、当時は人の名前には、その人が誰で、何者かに不思議な関連があると思われていたからです。現代では、そうした感情 は、殆どなくなってしまいましたが、当時の人々は、名前を知っていれば、その人に対して、ある程度の行使力があると感じていました。こうした意味合いを考 え、救いのために、創造主の「御名を呼ぶ」のは、大変に良いことです。


A:  このことに関し、現代日本では、二つの問題があります。人々は主の御名を呼ぶことを知りません。さらに、救いの必要を、実際全く分かっていません。私 は、ヤーヴェとひとり子イエスについて教えていますが、これは本当に喜びそのものです。しかし、彼らに必要を悟らせて下さるのは、聖霊様だけです。今週、 私は白血病を患っている女性と会いました。彼女は、どなたか、よく分からずとも、純粋に神を呼び求め、そして神と出会いました。それが、どれほど大きな恵 みであるかを、私は彼女が理解できるように助けてあげたいと思います。たとえ、苦しみにさ中であっても、です。彼女が心からキリストの仕えるなら、永遠の 命を得て、豊かな栄光をいただけるからです。残念ながら、そのことを殆どの日本人は知らないでいるのです。私がこれまで出会った方々が、ちょうど彼女のよ うに、必要に目を開き、イエスこそ彼らに必要な答えだと信じ、救われるためにイエスの御名を呼ぶように祈ります。

P:  お父様。十分すぎるほどに、あなたからの恵みが与えられ続けていることを感謝します。昨日、病院に二度、見舞いに行けました。有り難うございます。Fさ んは、まさに救いの瞬間です。しかし、Kさんは、まだ彼の必要を分かっていません。彼らだけでなく、私が出会った全ての人のために祈ります。彼らが、あな たの救いに目を開き、必要を理解できますように。そして、大きな収穫が実りますように。けれども主よ。私に全ての収穫は無理です。一人ひとりの信者が、自 身が収穫者であることに気づき、信じるように祈ります。そして、彼らが人々を救いのために導き、十分用いられますように。あなたのご栄光のために。有り難 うございます。ハレルヤ!

2009/03/28

ヨハネ 12:37-50

S: ヨハネJohn 12:50
「わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることばは、父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです。」


O: ヨハネの福音書全体がそうなのですが、この節全体は、私にとても沢山のことを声高に語っています。その理由は、ヨハネはイエスがそうであったように、神から彼への語りかけを慎重に
伝 えたからです。人間の知恵は多くのことを思いつきますが、それも聖霊によって鼓舞された時のみ、永遠の意義と価値を持つのです。私たちが、音声拡大装置の スピーカーにすぎないと言っているのではありません。神様は、私達の心と人格を迂回したりはなさいません。それらを用いてくださるのです。49節に書いて あるように、神様は私たちが何を、どう話すかを教えてくださいます。(私のそばの壁のポスター、マーク・コナーの「Preaching to Change Lives」の中の素晴らしいアウトラインが、ヨハネ12:49を基になっているのに、今、気づきました。)イエスは、私達の口から出た、あらゆる非生産 的な言葉に、呼応しなくてはならないと教えています(マタイ12:36)。そのような非生産的な言葉を避ける最良の方法は、神様が私たちに語ってくださったことを話すことです。それは、いつでも愛ある真実なのですから。

A:  私は言葉で語り、人に伝えているので、この節は私の真髄まで響きます。私の心の祈りは、神様が私に語って下さったことだけを、そして語って下さったこと 全部を話すことです。しかし、まだそのゴールまでは、まだまだ遠い道のりです。もう何度も、私は不注意な発言で、人を傷つけてきました。あるいは、せいぜ いよくても、聞く人をしっかりと建て上げることが、できませんでした。神様が言われたことを伝えるのが、どれほど心地よいかを知っています。それは、イエ スがこの節で教えているように、神様の言葉は命そのものだからです。それでも、私はしょっ中、不注意に喋っています。偏執狂的であっても、ユーモアを失っ てもいけませんが、耳と舌に気をつけ、父の話をよく聞き、伝えるように、常に求めていきます。それも、決して御言葉を減じたり、歪曲したりしてはいけませ ん。神様のご栄光のために、私を通して語られることによって、御意志が成就するためです。


P:  お父様。私に言葉の賜物を与えて下さり感謝します。そのため、小さくとも、重要なことが理解できます。私を伝達者として用いて下さり感謝します。大学一 年の時でした。当時は、まだ何が起こったのか分かりませんでした。何年も、伝達者として、私を訓練し、ここまで導いて下さり感謝します。しかし、まだ私の 効果的な伝達は不十分です。私があなたからの言葉を、ますます効果的に、ゆがめず、減じることなく、伝えていくように助けてください。あなたが送られた一 つ一つの言葉が、全て成就しますように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

2009/03/27

ヨハネ 1:29-34

S: ヨハネ 1:34
「私はそれを見たのです。それで、この方は神の子であると証言しているのです。」

S:  神が言われた通り、イエスに、まるで鳩のように聖霊が下ったもを見たという証言を、ヨハネはしています。これはNIV版より、日本語の方が明確です。こ こで私たちに大切なのは、ヨハネは彼が知っている限りのキリストについて証しをしたという、より広い意味合いです。風評による証しには殆ど価値がありませ ん。私達は、自分自身で経験したことを証しするのです。ですから、紋切型で偽善の伝道者による話は効果がないのです。しかし、平均的なクリスチャンには、 自分の経験が役立つことに、あまり自信がありません。それで伝道に関して常に聖書を丸暗記しているのです。問題は、話を聞いた人が聖書の側に立っていない ことにあります!成功の伝道は全て、とても個人的なのです。それが、たとえ一人の人が百万人に語ったとしてもです。なぜなら、その人は個人的な経験に基づ いて話をするからです。

A:  教師である私は、自分の経験したこと以上を話しがちですが、慎重になるべきでしょう。聖書を通して示された真実のみを、教え広めていくべきです。そし て、その宣べ伝えは効果的であるべきで、私自身、真実を歩んでいくべきです。ヤコブが言うように、おのれを欺いてはいけません(。ヤコブ1:22)信者 に、彼らの経験した神の恵みと愛こそが、もっとも力強い伝道になるのだと、励ましていきたいと思います。型にはまった話ではなく、彼らが自分自身の経験を 話し、他の人が神の家族に加わるように、彼らが聖書的基本を身につけるように指導したいと思います。神様がとても個人的な方であり、一人ひとりに心を注い でおられるという事実、これらは一般の人は分かっていません。そして、それを彼らが知るのは、創造主である神様との個人的な関係を築いた時なのです。

P:  お父様。この明白な御言葉を感謝します。私の望む以上に、私に多く語って下さり有り難うございます。私の低い期待を赦して下さい!私は外国人であり、 「本物のキリスト者」です。そのため、私の経験は彼らに、そのまま応用できないのです。こうした過去の思いを取り扱ってください。信者を奨励していけます ように。彼らは妨げではなく、却って、その証しが私の証しより力強いのです。この教会が真に伝道の場となりますように。私たちが、あなたの働き手であり、 あなたの望んでおられる真実なる救いの知識を、理解できるように助けてください。有り難うございます。神様を賛美します!

2009/03/26

ルカ 24:13-35

S: ルカ 24:25
するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない。心の鈍い人たち。」

O:  神は、このことを私たちについてしばしば語っておられないのでしょうか。もしクリスチャンが聖書の書かれていることの全てを信じないなら、この世は生き るのが大変難しいことでしょう。この箇所では、二人の弟子はイエスに心から献身していましたが、彼らは現実の状況から目を上げて見るのができませんでし た。それまでの過去の経験を基にしたのです。しかし、それは動物が学習する方法です。人間は単なる動物以上の存在として造られました。ですから、神様は私 たちが、状況以上を見上げることを望んでおられます。けれども、多くの場合、私達は、そうすることを拒否しています。神様の御言葉は、滅多に複雑ではあり ませんが、私達は先入観を持ち、そのために受け入れるのを拒んでいます。だからこそ、神様の御国を見るためには、幼子のようになるべきなのです。先入観な ど持たない子供は、価値のあることとして受け入れるのです。もし、大人が神様の愛をそのまま額面通りに受け取れるなら、私達の多くがとても変わるでしょ う!

A:  私は神が語ったことを日本人に全て理解してもらえるように教え、ミニストリーをし、祈っていますが、私自身、理解と信仰の面で大きく成長しなくてはなら ないでしょう。過去の経験の照らすと、私は期待することに制限を設けがちですが、今の時点での実りのレベルを考えると、少しの期待です!私は人々を奨励し 続けながらも、自分自身と状況から目を逸らし、イエスに目を向けていたいと思います。悪魔の語る否定的な言葉にではなく、イエスの語ることを聞きます。そ して、私の信仰が、イエスの語った「信ずる者には、どんな事でもできる。」(マルコ9:23)の高みまで上がるためです。

P:  お父様。あなたは私を通して人々について語られます。私が、その言葉をしっかりと聞き、受け取れるように助けてください!パウロがそうであったように、 人々に語った後、私自身やり遂げられない時があるようで気になります。パリサイ人の偽善から私を遠ざけてください!あなたの御言葉を幼子のように受け取れ ますように。そして幼子がわかるように、分かりやすく説明できますように。幼子に教えるように、御言葉を教えてほしいとKは望んでいます。感謝します。K は自分の先入観によって限界を感じていたことに気づけるほど、かなり成熟しています。そして、説明された御言葉のよって、彼女が持っている先入観は壊され ることを望んでいます。どうぞ、私が、一瞬一瞬、信仰を持ち、従えますように。あなたの言葉を聞き、見、同じように人々を導けますように。彼らの救いとあ なたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!