2011年1月24日月曜日

2011/01/16

詩篇 43:3 どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに 向かってそれらが、私を連れて行きますように。

God's light, His revelation, indeed lead us to Him. However, considering our passage for the year, believers need to realize that it is our function, as the light of the world, to lead others to God as well. People all around us are floundering around for lack of light to guide them. Christians have the responsibility and privilege of shedding light on such people so that they can see their way to God, who is the source of all true light and truth. Some would say (especially those who reject God) that such a position is sheer conceit and an affront to “the dignity of man.” It is true that we must share the light in all gentleness and humility, but refusing to share the light is spitting in the face of God, who loved the world, not just us, so much that He gave His Son as an atonement for the sins of all mankind. The devil does all he can to convince people there is no such thing as ultimate truth and good, especially in the spiritual realm, and in recent years he has been sadly successful. Our function as the light of the world is to give people, give society, a frame of reference as to what is right and true, so that they will be able to see through the lies of the devil. If you are in a completely dark room it is easy to become disoriented, but it doesn't take a very bright light to get your bearings. We aren't to bemoan how small our light is, but rather understand that even a small light can make a huge difference.

神様の光、救いは本当に彼自身へ私たちを導きます。しかしその年の私たちの道について考えると、世の光として神様へと他の人々を導くのは同様に私たちの役目だと理解する必要があります。私たちの周りに居るすべての人達は彼らを導く光が欠け四苦八苦しています。そのような人達が真の光と真実の源である神様へと歩む彼らの道を見ることができるよう、クリスチャン彼らへ光を照らす責任と特権があります。中にはそのようなポジションは真に自負心で「人の威厳」とはかけ離れたことであるという人(特に神様を拒否している人々)がいます。私たちがすべての優しさと謙虚さの元で光を分かち合わなければならないことは事実です。しかし光を分かち合うことを拒むことは、私たちだけではなくこの世を愛され、それゆえにすべての人間の罪のための償いとしてご自分の息子を与えられた神様の顔に唾を吐くことです。悪魔はそのような究極な真実や良いことは存在しないと人々を説得するために最善を尽くします。特に聖的領域にいる人々に対しそのようにします。悲しいことに近年、彼はそのことについて成功しています。世の光としての私たちの役目は人々や社会に、何が正しくて真実なのかという基準系を与え、彼らが悪魔の嘘を見通すことが出来るようにすることです。もしあなたが全く暗い部屋にいるなら簡単に混乱してしまいますが、しかし自分がどこにいるか分かるためには非常に明るい光が必要ということではありません。私たちは自分たちの光がどれほど小さいかと嘆くのではなく、むしろたとえ小さな光でさえ大きな結果をもたらすことが出来るということを理解しなければなりません。

This is an important truth that urgently needs to get through to all the believers. Because I grew up in a strongly Christian environment, I sometimes forget what it must be like for those who don't have the same foundation for evaluating truth. I cannot just dump facts on people, even believers; I've got to walk them through the truths of God so that they can appropriate them and apply them. My job is not to draw people to me, but to help people see the way to God, and help them understand that they can likewise help others see the way to God as well.

これはすべての信者に直ちに分かってもらう必要がある重要な真実です。私は信仰が強いクリスチャン環境で育ったため、真実を評価するための同じような基礎を持っていない人達にとってそれがどのようなことであるか時々忘れてしみます。私は人々に、たとえ信者にも、ただ真実を放り出すことはできません。彼らがそれらを使用し適応できるよう、神様の真実を通してそれらを押していかなければなりません。私の仕事は私へと人々をひきつけることではなく、人々が神様への道を見る助けをし彼らが同じように他の人達を神様へと導くことが出来るよう彼らを助けることです。

Father, You give me more messages that I have the opportunity to preach! Show me when and how to communicate these truths You pour into me, so that the sheep may be fed, the lies of the devil repulsed, and the Body of Christ built up. Thank You for the book I'm reading right now, pointing out the importance of one-to-one transmission of truth. Help me be faithful in doing that, taking the time to be with people individually, transmitting what You have placed in me by action and not just word, so that the Body of Christ may be built up indeed, for Your glory. Thank You. Hallelujah!

お父様、説教をする機会がある以上に多くのメッセージを与えてくださります。その羊たちが糧を与えられ、悪魔の嘘に反撃し、キリストの体が作り上げられるよう、あなたが私に注ぎ込んでくださるこれらの真実を私がいつ、どのように伝えるべきか、どうぞお示しください。私が今読んでいる本についてあなたに感謝します。それは真実の一対一の伝達の重要性を指摘してくれます。私がそれをすることにおいて忠実で、個々人と時間をとり、あなたが私に与えられたことをただ言葉だけではなく行動によって伝えることができるよう、どうぞ私を助けてください。そしてあなたの御栄光のために、キリストの体が真に作り上げられますように。感謝します。ハレルヤ!

2011年1月19日水曜日

2011/01/15

詩篇 36:9 いのちの泉はあなたにあり、私たちは、あなたの光のうちに光を見るからです。

この節は数年前に私の心を打ちました。その表面的な解説は、神の支えのもとで私達は命の光を見るということです。しかし、より深いレベルまで掘り下げると、神の啓示なしにはその(神の)光を見たとしても、それがいのちと真実であるということが見えません。この世界は、ほとんどすべてのことに対して人間中心的な解釈に囚われてしまっています、そして何が真に真実で何がそうでないかを見ることができるようになるには、聖霊の啓発が必要なのです。物質的な価値観に則ったひとつの事例は現在の極端な気候です。あらゆる種類の解説が展開されていますが、それらの大半は神を無視したもので、それらは究極的に行き詰まります。より深い真理とは人類がコントロールするのではなく、神の前に謙虚であることが最も賢明な道だということです。人類は地球環境と生態系にダメージを与えてきました、しかしその解決策はまだ生まれてもいない赤ん坊達の大量虐殺によって人口を減らすことでは見つかりません!私はこの課題についてずっと議論し続けることも出来ます、しかしそれは誰の利益になりません。要は、私達が真に大切な物事を見極めるには神の啓示が必要だと言う事なのです。イエスはこの問題について盲目に生まれついた男性の話を用いてふれています(ヨハネの福音書9章)、彼は言っています、「もしあなたがたが盲目であったなら、あなたがたに罪はなかったでしょう。しかし、あなたがたは今、『私達は目がみえる』と言っています。あなたがたの罪は残るのです。」と。

私はこの領域で後ろ指を刺す立場に居るはずもありません、なぜなら私も他の人々と同じく、なにかについて自分の理解が唯一正しいものだと思う傾向があるからです。それと同時に、私は聖霊と御言葉をとおして(神の)啓発を多少なりとも経験してきました、 そして私はその導きに背かずに歩まねばなりません、それが社会的な規範(政治的に正しいかどうか)に適合しているかどうかにかかわらずとも。わたしは愛をもって真実を語り(エペソ人への手紙4:15)、私と私の聞き手に神の光を注いでいただかねばなりません。

天のお父様、あなたは私の、様々な問題について声高に議論したがる性質をよくご存知です、そしてどのみちあなたは私に我慢してくださっています!私自身の理解を信頼するのではなく、あなたを認めることによって、私の意識に上るすべてのものにあなたの光を見つけ出すことができるよう助けてください、ちょうど箴言3章5~6節にあるように。あなたの光を私の周りにいる人々に何の障害物もなく伝達する効果的な「視神経繊維」となるよう助けてください、そして彼らが、自分達の救いとあなたのご栄光のために、言葉に表すことのできるすべての感覚においてあなたの光を認めることができますように。感謝します。神を讃えよ!

2011年1月17日月曜日

2011/01/14

詩篇 27:8 あなたに代わって、私の心は申します。「わたしの顔を、慕い求めよ」と。主よ。あなたの御顔を慕 い求めます。

この詩篇全体は親しみ深い、心からの愛に包まれた詩節に溢れており、その多くは音楽と共に詠じられます、しかしこの一篇は特に私にとって、長い、長い年月の間特別なものでした。日本語訳版はかすかな訳の違いがある版がありますが、英語版では外の訳は思い当たりません:“My heart says for You, ‘Seek My face.’”と。ダビデが臨終の言葉に話したように(IIサムエル記23章)、彼は神が彼を通して話しているということに気づいていました、そしてここで彼は神を慕い求める彼の心は神ご自身から生まれているものであると理解しているのです。イエスは「わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることができません」(ヨハネの福音書6:44)と言いました。神を求めるという熱望は賜物であり、それは軽んじられるものであってはなりません。私は誰もがその熱望を時には感じるものだと思います、そこで真の問題はそれを用いて私達が何をすべきかということです。ダビデはその正しい答えを持っていました:「私はあなたの顔を求めます」と。私達には神の約束があります、すなわち、主が私達の心に灯したその衝動に従うならば、私達は実際に主を、そして主が私たちにと望まれた内なる祝福を見つけるでしょう。(エレミヤ書29:13)

私はかなりの年月の間、神を求めることにあまり熱心ではありませんでした、そしてその姿勢は人間の愚かさを指し示すものです。子供時代でさえ、私には純粋に祝福された、神との親しい交わりがある時期があったにも関わらず、私はその親密な状態に長く留まろうとはしませんでした、そしてかなりの局面において私は主とかけ離れた時期も経験しました。そういうわけで私は神に拠り頼まなくてはならないのです、なぜなら私自身に任されたら、毎回溝にはまってしまうでしょうから!牧師として、私の情熱と責務は他者の中で眠る神を求めたいという欲求を養い育てることであるべきです。私は彼らにそうするように強制することはできません。英語の諺にあるように、「あなたは馬を水飲み場まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」と同じことです。しかし、私は、そして多くの人々が悪魔の嘘をやり過ごし(その水を)飲むことができるように、その御言葉の生ける命の水を活かし、手に入るようにし、できる限り(他者に)訴えかけるようにすることはできます。ありがたいことに、一度じっくり試してみると、いのちのパンと生ける命の水はかなり習慣性が強いのです!私は信徒たちに日々自分達を食べさせるように教える必要があります、なぜなら週に一度の豪華な夕食だけではわからないからです。私はまた、もし私たちがプライドを捨て全身全霊で神を求めさえすれば、神は本当にキリストを通して近寄りやすい方であるということも彼らが理解するよう助けていかなければなりません。

天のお父様、私はこのことを人々に伝え渡そうとする試みの間で本当に心痛とフラストレーションを感じてきました、しかしそれは私以上にあなたの心が傷ついていることを知っています。私が奉仕する全ての人々にあなたのご栄光を注ぐことをお願いします、そして彼らの目が自らの必要とあなたのお恵みに開かれ、悔い改めと信仰をもってあなたのもとに立ち返れますように。あなたは私と他の人達にこの1年以内にこの教会にたくさんの人々が増し加わるという真の期待を与えてくださいました。私はそうなるように祈ります、そして全体として教会があなたの御国に生まれた一人ひとりに栄養を与えることができるように、そうすることで私達がともに、あなたのご栄光のため、あなたが望まれるような成熟を遂げることができますように。感謝します。神を讃えよ!

2011年1月16日日曜日

2011/01/13

詩篇 19:14 私の口のことばと、私の心の思いとが、御前に、受け入れられますように。わが岩、わが購い主、主よ。

この節は、実際はこの詩全体において、なぜダビデが“主の御心にかなう男”であったかを顕しています。彼は間違いを犯しました、そしてその中には本当に悪い過ちもありました、しかし彼は神が誰であるかを知っており、そして彼の動機の根底にあるのは主を喜ばせることでした。多くの人々は身体的な行いから罪を考えがちです、しかしここではダビデは、何世紀も後にイエスがマタイの福音書15章18~20節で言ったように、私たちを汚すもの(罪)は私たちの心から生まれるということを取り上げているのです。私は、D.L.ムーディが1世紀前に話したこと-ある若い男性が彼に向かって(人間は)不純な思考を考えないようにするのは不可能だと抗議した時に話した言葉を思い出しました:「あなたはあなたの頭上を鳥たちが飛ぶのを止めることはできません、しかしあなたの頭の上に巣を作るのを止めさせることはできるはずです」。悪魔とこの世界はつねに不純で、反抗的で、そしてあらゆる罪深い考えを私たちに投げかけてきます、ですから私たちはイエスと善きことに心を留め続けて(ピリピ人への手紙4:8)いなければなりません、そうすれば私たちは堅く立つことができるでしょう。

私は戦場はまず他のどの場所でもなく己の心の中にあるということがよくわかっています。私はその領域において時には勝利を納め、時には敗北を喫しました。神はただ裁き主だけではなく、私の巌であり私の贖い主であるということを胸に刻んでいることが大切です。もし主が私の裁き主であるということだけに焦点を置くならば、私の反抗的な性質がしゃしゃり出てきそうになります。しかし、主が私の巌であるということは、主は私を安定させてくださるものであり、人生の嵐の中における私の安全な天国であるということなのです。主が私の贖い主であるということは、主が私を罪から救ってくださるということです。ダビデはそのことを主の啓示によってのみ知りました、しかし私にはイエスの十字架と復活という聖書の記録があります、ですから私は二重に確信できるのです。言葉を司る人間として、職業的と個人的のその両方において、私は私の言葉は神を喜ばせるものであるようにとても慎重である必要があります。私は、口にするあらゆるむだなことばについて、言い開きをしなければならないということを心に留めていなければなりません(マタイによる福音書12:36)!

天にましますお父様、あなたは私自身以上に私が軽々しく言葉を口にする性向をよくご存知です。あなたの栄光とお慈悲に感謝します!私はこのダビデの祈りを今ここで祈ります、なぜならあなただけが私を私自身から守ってくださるからです。私があなたに続いて話せるように助けてください、なぜなら私はあなたに続いてあなたのお考えを考えているからです。そしてあなたのご栄光のために、あなたの御心が私を通して叶えられますように。感謝します。神を讃えよ!

2011年1月15日土曜日

2011/01/12

詩篇 4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。

昨日のことがあった後にこの節を迎えるとはとても興味深いことです!しかし、これは主によって何かをするように目覚めさせることについてではなく、何よりもまず(安心して)眠りにつけるほど主を信頼することについて述べています。不眠症にはたくさんの要因があります、しかしおそらく多くの物事に対して悩むことが一番の理由でしょう。それを変えることは、私たちが何に信頼を置くのかに拠ります。私たちが自分自身で物事を是正しなければならないと感じているうちは、不眠症はありふれたことであり続けるでしょう。赤ん坊のように眠る、という表現は、赤ん坊には何ら責任もなく、もし食べ物や物理的な快適さや愛情が満たされていれば、赤ん坊たちには何の心配もないという事実からきています。私たちは成長するにつれ、より大きな能力を得て、そしてそれがより大きな恩恵をもたらし、それと同時により大きな責任を引き連れ、そして心配ごとの種を孕んでいきます。ここでダビデが謳っていることは、私たちが、神は究極の存在であり、真に唯一で現実の、私たちの問題の解決法であるということが垣間見えたとき、(何も悩まずに)眠りに就くことに何の問題もないということです。(日本語訳は‘すばやく’と強調して書いていますが、NIV版はそうではありません。)

私は確かに不眠症であった時期がありました。この具体的な事実は徹底的に私が両面から試されたものです!私は数え切れないくらいに、夜には脳の活動をオフにするようなスイッチがあればよいのに、と口にしてきました、しかし実際にそのスイッチは存在するのです、それは信頼と呼ばれるものです。私は神の誠実さを頻繁に、そして深く経験してきたので、実際的に信頼しないという不合理性に対して私は頭を抱え込まずにはいられません、しかしだからといって、自動的に信頼が私の中に自然に生まれ出でるというわけではないのです;私は意識的に(信頼するという)選択をしなければならないのです。神が私に対しとても忍耐強いということに私はとても感謝しています、なぜなら私の観点からみれば、すべてのことにおいて神を信頼しないことについて言い訳など全くできるはすもないからです。私は信頼とは自動的に生まれるものではなく、大事につけ小事につけ信頼することを選択しなければならないということを常に心に留めていなければなりません。もし私がそうするならば、不愉快なことはそんなにイライラさせるものではなくなり、主の平安が真に私の心と精神をわが主キリストにおいて守ってくださるでしょう。

天のお父様、今朝のあなたが出してくださった実習に感謝します。昨日私にとても強烈に、人生は些細なことに聖霊の実を奪わせる余地が無いほど短いものだと教えてくださってありがとうございます。そのことをただ時としてではなく、常に私が覚えていられるよう助けてください!ストレスを与えるものとしてよりむしろ奮起させるものとして、私の人生の中の全ての些細なことをもってしてあなたを真に信頼できるよう導いてください。そして悪魔の欺く業がつまずかれ、そしてあなたの御心が叶えられるにつれあなたに栄光が来たされますように。感謝します。ハレルヤ!

2011年1月13日木曜日

2011/01/11

ヨブ記 33:14-17 神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。夜の幻と、夢の中 で、または深い眠りが人々を襲うとき、あるいは寝床の上でまどろむとき、そのとき、神はその人たちの耳を開き、このような恐 ろしいかたちで彼らをおびえさせ、人にその悪いわざを取り除かせ、人間から高ぶりを離れさせる。

聖書が旧約と新約を通して明言しているように、神は真に慈悲深く、愛情に満ちています。主は人々に、悔い改め主に立ち返るためのありとあらゆる機会を人間たちに与えてくださいます、しかし究極的には選択権は人間の方にあるのです。人間たちは自らの死すべき運命を否定し逃げることにかけては長けています、しかしその姿勢が現実を変えるわけではありません。日曜の証の時間によく引用されるように、私達は“死をおぼえ、主をおぼえる”ことが必要なのです。地上での人生は神が天国のための準備期間として与えてくださったのです、そしてその期間をどのように扱うかは私達が永遠を過ごせるかを決定付ける要因を定めることなのです。もし地上での人生が神への献身をより深め、十字架上のキリストのあがないを信じ続ける道程であるならば、永遠の命は光り輝く褒美となります。その一方で、もし地上での人生が神を無視し自分自身の欲求を追い求めることに費やされるのならば、永遠の命は神との断絶による荒廃であり、神について全てを知りながらも神から切り離されること以上にひどいことはありえません。

私はこの節の文字通りの受け手になるとは考えたこともありませんでした、しかし私はたった今死んだばかりでありながら、キャシーと対話しているという夢を見たあと、今朝3時に目を覚ましました。(夢の中で)彼女は私に私の葬儀に参列している人々のために準備していたメッセージを書き終えたかどうかを尋ね、そして私は彼女にまだ終わっていないと伝えなければなりませんでした。どういうわけか私はその後再び眠りに就くことができませんでした!私は3時半頃に起きだし、コンピューターに向かい、そしてそのメッセージを書いたのです!その過程で、私は自分の習慣が、私が突然天に召された場合にキャシーにとって悪夢となるようなことを生み出しているということを認めざるを得ませんでした。同志の宣教師であるメルビン・ブラッドショーは、私の父がその後目覚めることがなかった心臓の手術を受けるほんの少し前に、父を見舞いに訪れました、そしてそのメルビンの(父の)葬儀の弔事で述べた言葉はずっと私の胸に残っています。“私はいまだかつて彼以上に生きる理由がある人に出会ったことがないし、彼以上に死ぬ準備ができていた人にも会ったことがない。” 私はそのように生きたいのです、主が私をこの地上で生かして下さる限り-それが30年先でも、30秒後だとしても。

天のお父様、あなたの私に与えてくださるお恵みに心から感謝します。私は実にたくさんの生き方を変える余地があります! 彼女は私の後に続き、より小さくシンプルになっていく生を歩んでいます、そして彼女は私よりもこの先の人生に向かってより良いスタートを切っています。その生の行程にうまく就けるよう助けてください!乱雑な思考をうまくとりなす知恵を求めます、なぜならそれは私の人生と奉仕に突き刺さる障害であり続けるからです。この人生もしくは地上での生の後の命において、あなたが私のために備えてくださったいかなるものに対して準備できるよう助けてください、そしてすべての物事においてあなたの目的があなたのご栄光のために叶えられますように。感謝します。神を讃えよ!

2011年1月12日水曜日

2011/01/10

第2歴代誌 13:18 ユダ人は、勝利を得た。彼らがその祖父の神、主に拠り頼んだからである。

この物語全体はアビヤ王の力強い信仰を表すものの一つです。ヤロブアムは遥かに巨大な軍勢と、優れた戦術を持っていた、しかしアビヤは神に拠り頼んでいた、その点が両者の命運を分けたのです。資産や能力を持つことは何ら悪いことではありません、しかしあなたがそれらにかまけて神を無視するとしたら、短期的に見ればどう写ろうとも、あなたは究極的には成功を収めないでしょう。それが、莫大に多数を占める企業や国家計画における最大の過ちです:彼らは神を完全にこの方程式から除外しているのです。アメリカ人の一部の人々はそこから目覚めつつあります、そしてそれは大いなる祝福です。しかし、十分でない数の人々が物事の順序を変えるために目覚めたとしても、悲劇が待っているだけです。その一方で、日本はいまだかつて神に従うと宣言したことがありません。もし私たちが職場でも献身的なクリスチャンとしてふるまう義務があるとしたら、強大な変化を遂げることができるでしょう。中国は確実に世界の檜舞台に登りつつあります、しかし、もしその国家の内で燃え上がるリバイバルが政府の上層部まで上りつめるとしたら、それは全世界にとって素晴らしい祝福となります。要点は、人間の政治や技術、独創力は、万物の創造主である神と対峙するのであれば、開花するチャンスなど無いということです。

これは私にとって、この地上で起こっている全てのこと共に、常に胸に刻んでおく必要があることです。マスコミは恐ろしい話を伝えることに躍起になり、そして彼らは驚くほどその業に長けています。私は勝利の主であるイエスから目をそらさず、主の御国が来て主の御心が叶えられるよう誠実な祈りに身を投じなければなりません。より直接的な見地からいうと、私は、神の御そばにいれば、全ての事は可能となり、しかし、神に背を向けるものは究極的には何一つ成功しないということを覚えておかなければなりません。私は主が私の手に委ねられたものに感謝し誠実であらねばなりません、しかし私はそれらにかまけてはなりません。主が私の剣であり私の盾なのです!

天のお父様、私のパソコンへ流れ込む情報の洪水に関して私が成熟していることに感謝します。私はあまりにも多く世界の出来事に対して不要な心配をしてきました。あなたがすべての価値において-宇宙からミクロの世界にいたるものまで-正義であることを覚えていること、そしてどんな種類の心配事を振り払えるよう助けてください。あなたがこの教会でなさってくださる全ての素晴らしいことに感謝します。昨日の喜びに満ちた役員部会に感謝します。私たちの能力や欠乏に関係なく、あなたを信頼することで私たちが成長できるよう助けてください、そしてあなたの計画通りにあなたのご栄光を顕すために、あなたの目的が成し遂げられますように。感謝します。神を讃えよ!