2011年1月15日土曜日

2011/01/12

詩篇 4:8 平安のうちに私は身を横たえ、すぐ、眠りにつきます。主よ。あなただけが、私を安らかに住まわせてくださいます。

昨日のことがあった後にこの節を迎えるとはとても興味深いことです!しかし、これは主によって何かをするように目覚めさせることについてではなく、何よりもまず(安心して)眠りにつけるほど主を信頼することについて述べています。不眠症にはたくさんの要因があります、しかしおそらく多くの物事に対して悩むことが一番の理由でしょう。それを変えることは、私たちが何に信頼を置くのかに拠ります。私たちが自分自身で物事を是正しなければならないと感じているうちは、不眠症はありふれたことであり続けるでしょう。赤ん坊のように眠る、という表現は、赤ん坊には何ら責任もなく、もし食べ物や物理的な快適さや愛情が満たされていれば、赤ん坊たちには何の心配もないという事実からきています。私たちは成長するにつれ、より大きな能力を得て、そしてそれがより大きな恩恵をもたらし、それと同時により大きな責任を引き連れ、そして心配ごとの種を孕んでいきます。ここでダビデが謳っていることは、私たちが、神は究極の存在であり、真に唯一で現実の、私たちの問題の解決法であるということが垣間見えたとき、(何も悩まずに)眠りに就くことに何の問題もないということです。(日本語訳は‘すばやく’と強調して書いていますが、NIV版はそうではありません。)

私は確かに不眠症であった時期がありました。この具体的な事実は徹底的に私が両面から試されたものです!私は数え切れないくらいに、夜には脳の活動をオフにするようなスイッチがあればよいのに、と口にしてきました、しかし実際にそのスイッチは存在するのです、それは信頼と呼ばれるものです。私は神の誠実さを頻繁に、そして深く経験してきたので、実際的に信頼しないという不合理性に対して私は頭を抱え込まずにはいられません、しかしだからといって、自動的に信頼が私の中に自然に生まれ出でるというわけではないのです;私は意識的に(信頼するという)選択をしなければならないのです。神が私に対しとても忍耐強いということに私はとても感謝しています、なぜなら私の観点からみれば、すべてのことにおいて神を信頼しないことについて言い訳など全くできるはすもないからです。私は信頼とは自動的に生まれるものではなく、大事につけ小事につけ信頼することを選択しなければならないということを常に心に留めていなければなりません。もし私がそうするならば、不愉快なことはそんなにイライラさせるものではなくなり、主の平安が真に私の心と精神をわが主キリストにおいて守ってくださるでしょう。

天のお父様、今朝のあなたが出してくださった実習に感謝します。昨日私にとても強烈に、人生は些細なことに聖霊の実を奪わせる余地が無いほど短いものだと教えてくださってありがとうございます。そのことをただ時としてではなく、常に私が覚えていられるよう助けてください!ストレスを与えるものとしてよりむしろ奮起させるものとして、私の人生の中の全ての些細なことをもってしてあなたを真に信頼できるよう導いてください。そして悪魔の欺く業がつまずかれ、そしてあなたの御心が叶えられるにつれあなたに栄光が来たされますように。感謝します。ハレルヤ!

2011年1月13日木曜日

2011/01/11

ヨブ記 33:14-17 神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。夜の幻と、夢の中 で、または深い眠りが人々を襲うとき、あるいは寝床の上でまどろむとき、そのとき、神はその人たちの耳を開き、このような恐 ろしいかたちで彼らをおびえさせ、人にその悪いわざを取り除かせ、人間から高ぶりを離れさせる。

聖書が旧約と新約を通して明言しているように、神は真に慈悲深く、愛情に満ちています。主は人々に、悔い改め主に立ち返るためのありとあらゆる機会を人間たちに与えてくださいます、しかし究極的には選択権は人間の方にあるのです。人間たちは自らの死すべき運命を否定し逃げることにかけては長けています、しかしその姿勢が現実を変えるわけではありません。日曜の証の時間によく引用されるように、私達は“死をおぼえ、主をおぼえる”ことが必要なのです。地上での人生は神が天国のための準備期間として与えてくださったのです、そしてその期間をどのように扱うかは私達が永遠を過ごせるかを決定付ける要因を定めることなのです。もし地上での人生が神への献身をより深め、十字架上のキリストのあがないを信じ続ける道程であるならば、永遠の命は光り輝く褒美となります。その一方で、もし地上での人生が神を無視し自分自身の欲求を追い求めることに費やされるのならば、永遠の命は神との断絶による荒廃であり、神について全てを知りながらも神から切り離されること以上にひどいことはありえません。

私はこの節の文字通りの受け手になるとは考えたこともありませんでした、しかし私はたった今死んだばかりでありながら、キャシーと対話しているという夢を見たあと、今朝3時に目を覚ましました。(夢の中で)彼女は私に私の葬儀に参列している人々のために準備していたメッセージを書き終えたかどうかを尋ね、そして私は彼女にまだ終わっていないと伝えなければなりませんでした。どういうわけか私はその後再び眠りに就くことができませんでした!私は3時半頃に起きだし、コンピューターに向かい、そしてそのメッセージを書いたのです!その過程で、私は自分の習慣が、私が突然天に召された場合にキャシーにとって悪夢となるようなことを生み出しているということを認めざるを得ませんでした。同志の宣教師であるメルビン・ブラッドショーは、私の父がその後目覚めることがなかった心臓の手術を受けるほんの少し前に、父を見舞いに訪れました、そしてそのメルビンの(父の)葬儀の弔事で述べた言葉はずっと私の胸に残っています。“私はいまだかつて彼以上に生きる理由がある人に出会ったことがないし、彼以上に死ぬ準備ができていた人にも会ったことがない。” 私はそのように生きたいのです、主が私をこの地上で生かして下さる限り-それが30年先でも、30秒後だとしても。

天のお父様、あなたの私に与えてくださるお恵みに心から感謝します。私は実にたくさんの生き方を変える余地があります! 彼女は私の後に続き、より小さくシンプルになっていく生を歩んでいます、そして彼女は私よりもこの先の人生に向かってより良いスタートを切っています。その生の行程にうまく就けるよう助けてください!乱雑な思考をうまくとりなす知恵を求めます、なぜならそれは私の人生と奉仕に突き刺さる障害であり続けるからです。この人生もしくは地上での生の後の命において、あなたが私のために備えてくださったいかなるものに対して準備できるよう助けてください、そしてすべての物事においてあなたの目的があなたのご栄光のために叶えられますように。感謝します。神を讃えよ!

2011年1月12日水曜日

2011/01/10

第2歴代誌 13:18 ユダ人は、勝利を得た。彼らがその祖父の神、主に拠り頼んだからである。

この物語全体はアビヤ王の力強い信仰を表すものの一つです。ヤロブアムは遥かに巨大な軍勢と、優れた戦術を持っていた、しかしアビヤは神に拠り頼んでいた、その点が両者の命運を分けたのです。資産や能力を持つことは何ら悪いことではありません、しかしあなたがそれらにかまけて神を無視するとしたら、短期的に見ればどう写ろうとも、あなたは究極的には成功を収めないでしょう。それが、莫大に多数を占める企業や国家計画における最大の過ちです:彼らは神を完全にこの方程式から除外しているのです。アメリカ人の一部の人々はそこから目覚めつつあります、そしてそれは大いなる祝福です。しかし、十分でない数の人々が物事の順序を変えるために目覚めたとしても、悲劇が待っているだけです。その一方で、日本はいまだかつて神に従うと宣言したことがありません。もし私たちが職場でも献身的なクリスチャンとしてふるまう義務があるとしたら、強大な変化を遂げることができるでしょう。中国は確実に世界の檜舞台に登りつつあります、しかし、もしその国家の内で燃え上がるリバイバルが政府の上層部まで上りつめるとしたら、それは全世界にとって素晴らしい祝福となります。要点は、人間の政治や技術、独創力は、万物の創造主である神と対峙するのであれば、開花するチャンスなど無いということです。

これは私にとって、この地上で起こっている全てのこと共に、常に胸に刻んでおく必要があることです。マスコミは恐ろしい話を伝えることに躍起になり、そして彼らは驚くほどその業に長けています。私は勝利の主であるイエスから目をそらさず、主の御国が来て主の御心が叶えられるよう誠実な祈りに身を投じなければなりません。より直接的な見地からいうと、私は、神の御そばにいれば、全ての事は可能となり、しかし、神に背を向けるものは究極的には何一つ成功しないということを覚えておかなければなりません。私は主が私の手に委ねられたものに感謝し誠実であらねばなりません、しかし私はそれらにかまけてはなりません。主が私の剣であり私の盾なのです!

天のお父様、私のパソコンへ流れ込む情報の洪水に関して私が成熟していることに感謝します。私はあまりにも多く世界の出来事に対して不要な心配をしてきました。あなたがすべての価値において-宇宙からミクロの世界にいたるものまで-正義であることを覚えていること、そしてどんな種類の心配事を振り払えるよう助けてください。あなたがこの教会でなさってくださる全ての素晴らしいことに感謝します。昨日の喜びに満ちた役員部会に感謝します。私たちの能力や欠乏に関係なく、あなたを信頼することで私たちが成長できるよう助けてください、そしてあなたの計画通りにあなたのご栄光を顕すために、あなたの目的が成し遂げられますように。感謝します。神を讃えよ!

2010年12月5日日曜日

2010/11/30

イザヤ 40:9 声を上げよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ。あなたがたの神を。」

Once again the NIV has taken a step back from literal translation, and lost something in the process. I grew up with “Behold your God,” which is literal enough, but “behold” isn't used in normal conversation any more, so the emotional impact wasn't there. “Look and see your God” would be the best English I could come up with, but thankfully the Japanese is fine as it is. The phrase echoes in me because I am constantly telling people to get their eyes off of themselves and onto Jesus, probably because God has had to tell me that so many times! I am constantly amazed at how people can look at things and not really see them, and that's just in the physical realm. The problem is far more acute in the spiritual realm. God puts His grace and His goodness on full display, and yet we fail to see it, tying ourselves in knots over minor bumps in the road. If we would indeed “look and see” Christ, then everything else would fall into perspective and we would be able to relax and enjoy the journey.

NIVがまた文学的な翻訳から離れ、その翻訳段階で何らか欠けてしまいました。私は文字通りに「神を注視」して育ってきました。しかし「注視」とは普通の会話ではもう使われていません。従って感情的なインパクトはありませんでした。「神様に目を向けて見る」というのが、私が思いついた最も良い英語だと思います。しかし有難いことに日本語はその通りに訳されています。恐らくそのフレーズは神様が私に何度も言ったことだから、私自身、人々に自分の目を自分達から避け、イエス様に目を向けるように絶えず言っており、そのフレーズは私の中でこだましています。人々は目に目を向けますが本当にその物を見ることが出来ていないことに私は物質界において絶えず驚かされます。その問題は霊的な分野では非常に深刻なものです。神様はご自分の恵みと善良さを包み隠さず示しますが、私たちはそれを見ることに失敗してしまい、小さな問題にひどく悩まされます。もし私たちが本当にキリストに目を向け見るなら、他の全てのものが遠い存在となり、人生をリラックスし楽しむことが出来るでしょう。

Talk about preaching to myself! I got really irate yesterday at the nonsensical new regulations that won't allow anything over 1 pound (453g) to be sent to the US by air, blocking me from mailing Christmas presents. I wasn't ready to trust God, and I suffered for it. Later, I did hospital visitation for someone under a medical sentence of death. I could speak life and hope to him and his family, because I was at enough of a remove that I wasn't blinded by the circumstances. Surely I can learn to remember that God who can be trusted with the transition from physical death to eternal life can be trusted with the petty details of my life! Once again it is a matter of applying the truth that I already know to where the rubber meets the road.

自分自身に説教をしているようです!飛行機でアメリカまで送る荷物が1ポンド(453g)を超えてはならないという無意味な新しい規則に昨日とても苛立ちました。その規則によって私はクリスマスプレゼントを贈ることができません。私は神を信じる準備ができておらず、それについて不快な思いをしました。それから後で、私は死の宣告を受けた人を訪れるため病院へ行きました。命と希望について彼と彼の家族に話すことが出来ました。私はその事柄によって目をくらまされることはありませんでした。肉体的な死から霊的な命へと変えてくださることに信頼をおける神様は、私の人生の細かなことにおいても信頼できる方ということを私はっ本当に学ぶことが出来ます。またしても、それは肝心なことを私が既に知っているという事実を適用する事柄です。

Father, even as I am amazed at how others can look at things and not see them, I am also amazed at how I can know truth and not apply it. Thank You for Your grace and mercy! Help me continue to grow as Your child, seeing things as You see them, hearing what You are saying, and rejoicing to be obedient to You, for Your glory. Thank You. Praise God!

お父様、私は他の人が物事に目を向けることが出来てもそれを見ることができないということに驚きますが、自分が真実を知ることが出来るのにそれを適用できないということにも驚きます。あなたの目軍にと御慈悲に感謝します。どうぞあなたの御栄光のために、あなたに従う喜びを持って、あなたが見るように私が見、あなたの言うことを聞き、があなたの子供として私が成長し続けますように。感謝します。神様を讃えます!

2010/11/29

イザヤ 11:3-4 この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによっ て判決を下さず、正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、口のむちで国を打ち、 くちびるの息で悪者を殺す。

One of the difficulties in translation is in deciding where to begin and end sentences, and the Japanese and English made different choices in this case. That does impact how we perceive what is said, even if analysis shows that the meaning is technically the same. The NIV connects the first line of verse 3 with verse 2, which tends to divorce the idea of “the fear of the Lord” from the righteousness and justice discussed in the rest of verse 3 and verse 4. Actually, the fear of the Lord is the only true basis for righteousness and justice, because mankind has demonstrated a virtually unlimited capacity for unrighteousness and injustice in those who do not fear God. For those who deny God, “righteousness” and “justice” are whatever are convenient for them at the moment, because absolute values depend on an absolute foundation, which can only be God. Several recent decisions by judges in the US have raised strong questions of what secret sins and perversions those judges might be hiding! The Bible is very clear that God hates acquitting the guilty as much as He hates convicting the innocent. (Exodus 23:6-7, Proverbs 17:15) Justice is not giving a free ride to those who will not work, or giving more “rights” to perpetrators than to victims!

翻訳においての難解な一つに、文をどこから始めどこで終わるかを決めることがあります。日本語と英語ではこの場合、異なった選択になります。それは私たちが言われたことをどのように把握するかに影響します。たとえ形の上では意味は同じという分析結果であってもです。NIVでは3節は2節と関係があり、それは3節の残りと4節で正義と公正の話から「主への恐れ」という考えを分離させる傾向があります。実際に主への恐れは正義と公正の真の基礎となる唯一のものです。なぜならば、人間は神様を恐れない人々の中では不正義さや不公正さを実に無限的に行ってきたからです。神様を否定する人々にとって、「正義」や「公正」は彼らにとって一時的に都合のよりものになります。なぜならば絶対的価値は絶対的基礎の上にあるものです。つまりそれは神様でしかありません。アメリカの裁判官による最近の幾つかの決断について、その裁判官は秘密の罪や背徳を隠しているかもしれないという強い疑問を引き起こしています。聖書にはとても明確に、神様は正しい者を悪いとすることを嫌うと同じくらいに悪者を正しいと認めることを嫌うと書いてあります。(出エジプト記23:6-7、箴言17:15)公正は働かない者に無料で何かを差し上げることではなく、また犠牲者よりも加害者へさらに「権利」を与えることではありません!

This is an issue that can really get me worked up. However, I've got to remember that God is still God, and not just get indignant, but pray for change. I am to speak up when appropriate and I am to be faithful in prayer, and above all I am to live every part of my life in awareness of and submission to the Lordship of Jesus Christ. All the social issues that are so rampant today are spiritual at their roots, and that is how I must approach them. Spiritual battles can't be won by human schemes!

これは本当に私をいらいらさせる事です。しかし私は神様が今でも神様であることを覚えておかなければなりません。そしてただ腹を立てるのではなく、変化のために祈ることを覚えていなえればなりません。私は適切な時に声に出して言い、祈りにおいて忠実であるべきです。そしてとりわけイエス・キリストの権威を認知し従順する生活を送らなければなりません。今日とても荒々しい全ての社会問題は人々の根にある霊的なものです。そして私は彼らにどのようにアプローチするかということです。霊的戦いは人間の案では勝つことは出来ません!

Father, with modern information technology I am much more aware of the incredible volume of injustice and unrighteousness that are rampant in the world today, but You have been fully aware of it all along. Help me remember that and release each thing to You in prayer. Help me submit my will to You in prayer, so that Your Name may be hallowed, Your kingdom come, and Your will be done in each situation, by Your grace and for Your glory. Thank You. Praise God!

お父様、現代の情報技術によって、今日荒々しい不公正や不正義のかなり多いことにより気がつきます。しかしあなたはずっといつもそのことを十分に認知していました。それを私が覚え、祈りの中で一つ一つのことをあなたに委ねるよう助けてください。どうぞ祈りにおいて私の意思をあなたに委ねるよう助けてください。そして、あなたの恵みによってあなたの御栄光のために、あなたの名前が崇敬され、あなたの御国が来、あなたの意思がどんな状況においても成就されますように。感謝します。神様を讃えます。

2010/11/28

イザヤ 9:6 ひとりのみどりごは、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はそ の肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

This is one of the most famous of all Messianic verses, widely quoted every Christmas, but we still tend to overlook one little part of it. That is, the government, the Lordship, will be on His shoulders. This is precisely what the NT stresses, speaking of Jesus as Lord, but we don't have the same concept of Lordship in society today, and we miss the meaning. We get all tied in knots over various earthly governments, and indeed no earthly government is perfect, but the Bible calls us to remember that the ultimate government, Lordship, rule, rests with Christ; all other governments and authorities are temporary. This is why Paul, while living under the very oppressive Roman government, would tell the Romans, and Titus, that we are to be subject to the civil authorities. (Romans 13:1-7, Titus 3:1-2) There are indeed times when civil disobedience is called for (Acts 4:19; 5:29), but we need to remind ourselves that Jesus is the ultimate authority, and be fully submitted and obedient to Him.

この箇所は救世主について書かれてある全ての説のなかでもっとも有名な箇所の一つであり、毎年クリスマスによく用いられます。しかしまだ私たちはその一部分を見落としがちです。それは、統治、主権は彼の肩にあるということです。これは主としてのイエス様について書かれている箇所で新約聖書がまさに強調していることです。しかし、私たちは今日の社会では主権について同じ理解は持っていません。そしてその意味を誤解しています。私たちは地球上のさまざまな統治によってひどく混乱させられています。そしてもちろん地球上の統治は完璧なものではありません。しかし聖書は究極の統治、主権、規範、キリストとのやすらぎを私たちに思い出させ、他の全ての統治や権威は短期的なものであるということを思い出させてくれます。これはパウロがとても圧政的なローマ政府の元で過ごしていた時に、ローマ人とテトスへ言ったことですが、私たちは人的権威に従うべきであると書いてあります(ローマ人への手紙13:1-7、テトスへの手紙3:1-2)人的権威に従うべきではない時ももちろんあります(使徒による働き4:19、5:29)私たちはイエス様が究極の権威であることを忘れず、全てを彼に捧げ、彼に従うべきです。

I have certainly allowed myself to get upset over human governments many times over the years, so it is good to have this reminder. I am reminded of what it says in Hebrews 2:8-9, that whereas we don't see everything lining up with what God desires in the world today, we do see Jesus with the eyes of our hearts, and that should be enough to give us peace and joy regardless of what is going on around us in the natural. The Lordship of Christ is far from being a merely theoretical, philosophical construct. It is the most practical reality there is, and I need to keep my mind and heart fixed on it.

私は何年もの間、人的権威について何度も怒ってしまったことがあり、このことを思い出すことは良いことです。今日の世界で全てが神様が望まれていらっしゃることと合致しているようには見えませんが、私たちの心の目を持ってイエス様を見、それは、この世界で私たちの周りで起こっている事にかかわらず、平安と喜びを私たちに与えるのに十分であるとヘブル人への手紙2:8-9に書かれてあることを思い出します。キリストの主権は理論的や哲学的考えからはとても離れています。それは最も実用的迫真性があり、私はそれを心に留める必要があります。

Father, my shortcomings in this area cause me no end of grief. I get so stirred up over one thing and another, not recognizing on the emotional level that You are still God, Jesus is still Lord, and I have nothing to be upset about. Forgive me. Keep me from making demands of others, emotionally or otherwise, but help me rather rest in submitting everything to You. To this point I have gotten worn out almost every Christmas, particularly since becoming a pastor, and it has been far more from emotional stress than from physical activity. This year is so far no exception! Thank You for the training in releasing each activity, each responsibility, to You, so that I may avoid the thieving traps of the devil and delight in the peace and joy that You have provided for me, for Your glory. Thank You. Hallelujah!

お父様、この分野での私の欠点は終止符のない深い悲みを引き起こします。あなたが今も神様であり、イエス様は今も主であり私は動揺する必要は何もないという感情的面を認識せず、色々なことでとても不安になります。どうぞお赦しください。人に感情的に要求することがないよう助けてください。逆に、あなたに全てを委ねることにより安らぎを私が得るようにしてください。特に牧師になってから、体力的疲労よりもはるかに感情的ストレスによって、これまでほとんど毎回クリスマスに疲れ果てます。今年も今のところ例外ではありません!あなたの御栄光のため、あなたが私に与えてくださった平安と喜びの中で楽しみ、悪魔の冷淡な罠を避けることができるように、一つ一つの活動や責任をあなたに委ねる訓練を与えてくださり感謝します。ありがとうございます。ハレルヤ!

2010/11/27

イザヤ 7:9 「もし、あなたがたが信じなければ、長く立つことはできない。」

There are times when “you” being singular or plural masks important meaning in Scripture. Isaiah was speaking from the Lord to King Ahaz, but here he specifically uses the plural pronoun to speak of standing in faith. Likewise, the NIV says “stand at all,” where the Japanese says “stand for long.” Sometimes we think we are standing pretty well, but without faith in God, our almighty Redeemer, that is a strictly temporary situation. It is clear throughout the Bible that faith, that is, relying on God rather than on what our senses and intellect tell us, is essential. That can be a major stumbling block to those who take pride in being rational and “scientific,” yet even most such people will admit, when pressed, that there are things our intellects can't tell us. The biggest problem with hyper rationalism is that it ignores the spiritual. That's highly ironic, when one of the biggest puzzles for astrophysicists (considered by many to be the pinnacle of the scientific world) is “dark matter,” that is, stuff they can't see. They insist on running their lives by what they can see, and yet they acknowledge that their own best data says that the majority of the universe is invisible! Any world view that leaves out the invisible and the unknown, attempting to eliminate the need for faith, is highly deficient to say the least!

聖書の中で「あなた」という言葉は時に単数形だったり複数形だったりし重要な意味を持ちます。イザヤはアハズ王に主からの御言葉を話していましたが、彼は信仰に固く立つことについて話す時、明らかに複数形の代名詞を使っています。同様にNIVでは「しっかり立つ」と書いてあり、日本語訳では「長く立つ」と書いてあります。時々私たちはしっかり立っているように思いますが、私たちの全能の救い主である神様の信仰なしでは、それは完全に短期的なものです。聖書に明確に書いてあるように、私たちの感覚や知性よりも神様に頼る進行が不可欠です。それは論理的主義な考えや科学的な考えを誇りに思っている人たちにとっては大きな妨げとなりえます。しかし多くのそのような人たちでさえ、問い詰められると、私たちの知性では理解できない事があるということは認めるでしょう。異常なほどの論理的な考えを持つ大きな問題は霊的なものを無視してしまうことです。それは、(科学の世界で最高の者であると多くの人に認められている)天体物理学者にとって最大のなぞの一つが暗黒物質、つまり目に見えない物であるということだが、それはとても皮肉的なことです。彼らは自分達が見えるものによって生活することを主張しますが、宇宙のほとんどは不可視だという彼ら自身のデータに気がついています。信仰が必要ということを無くそうと、目に見えないものや知られていないものを除外する見解を持った分野は、控えめに言ったとしても非常に不十分的です。

I was raised in a highly intellectual household that was also a household of faith. What an incredible blessing! I was never taught to ignore my intellect, and science was highly respected and recommended, but there was always the underlying awareness of the limits to all that. God was presented as the absolute truth, though our awareness and understanding of Him is partial and imperfect. (1 Corinthians 13:9-12) I was taught that seeking God is even more sure of success than seeking intellectual knowledge. (Jeremiah 29:13; 33:3) My challenge right now is in communicating that truth to those who were not so blessed as to be raised in such an environment. I cannot be on some intellectual or spiritual high horse, looking down on those who do not understand; that would be completely counterproductive. I've got to seek God and trust the Holy Spirit to get His truth through to people, using my words and actions whenever He so desires. I have experienced more times than I could count the reality that I can't save anyone! I must stand in faith so that others may be brought to faith, for their salvation and the glory of God.

私はとても知的な家庭に育ちました。それはまた信仰を持った家庭でもあります。なんとすばらしい恵みでしょう!私は自分の知性を無視するようには決して教わったことはありません。また科学は非常に関心高いもので推奨されていました。しかしその全てにおいて限界があるという認識が常に基礎にありました。神様についての私たちの認識や理解が一部分的なもので不完全でありますが、神様は絶対的な真実として存在していました(コリント人への手紙 第一13:9-12)私は神様を求めることは知性を求めるよりももっと成功を確実にすると教わりました(エレミヤ書29:13、33:3)私の今のチャレンジは、知的な環境で育ち、あまり幸せでない人たちに真実を伝えることです。私は、理解していない人たちを見下すような、知性的態度や霊的な傲慢な態度でいてはいけません。それは全く逆効果です。私は神様を求め、神様が望まれる時はいつでも私の言動を用いて、精霊様が神様の真実を人々に伝えてくださるということを信じなければなりません。私は誰をも救えない現実を数え切れないほど経験しました!人々の救いのため、また神様の御栄光のために、彼らが信仰へと導かれるように、私は信仰にしっかりと立たなければなりません。

Father, thank You for expressing this so clearly through me this morning. Help me depend on You at all times, rather than on the gifts, intellectual and otherwise, that You have placed in me, so that in everything Your will may be done, in and through me, for Your glory. Thank You. Hallelujah!

お父様、今朝私を通してとても明確にこのことを教えてくださり感謝しまう。どうぞわたしが、あなたから頂いた知性や他の賜物に頼るのではなく、あなたにいつもより頼むよう助けてください。そしてあなたの護衛工のため、私の内に、また私を通して、全てにおいてあなたの御心が行われますように。感謝します。ハレルヤ!