2011年1月13日木曜日

2011/01/11

ヨブ記 33:14-17 神はある方法で語られ、また、ほかの方法で語られるが、人はそれに気づかない。夜の幻と、夢の中 で、または深い眠りが人々を襲うとき、あるいは寝床の上でまどろむとき、そのとき、神はその人たちの耳を開き、このような恐 ろしいかたちで彼らをおびえさせ、人にその悪いわざを取り除かせ、人間から高ぶりを離れさせる。

聖書が旧約と新約を通して明言しているように、神は真に慈悲深く、愛情に満ちています。主は人々に、悔い改め主に立ち返るためのありとあらゆる機会を人間たちに与えてくださいます、しかし究極的には選択権は人間の方にあるのです。人間たちは自らの死すべき運命を否定し逃げることにかけては長けています、しかしその姿勢が現実を変えるわけではありません。日曜の証の時間によく引用されるように、私達は“死をおぼえ、主をおぼえる”ことが必要なのです。地上での人生は神が天国のための準備期間として与えてくださったのです、そしてその期間をどのように扱うかは私達が永遠を過ごせるかを決定付ける要因を定めることなのです。もし地上での人生が神への献身をより深め、十字架上のキリストのあがないを信じ続ける道程であるならば、永遠の命は光り輝く褒美となります。その一方で、もし地上での人生が神を無視し自分自身の欲求を追い求めることに費やされるのならば、永遠の命は神との断絶による荒廃であり、神について全てを知りながらも神から切り離されること以上にひどいことはありえません。

私はこの節の文字通りの受け手になるとは考えたこともありませんでした、しかし私はたった今死んだばかりでありながら、キャシーと対話しているという夢を見たあと、今朝3時に目を覚ましました。(夢の中で)彼女は私に私の葬儀に参列している人々のために準備していたメッセージを書き終えたかどうかを尋ね、そして私は彼女にまだ終わっていないと伝えなければなりませんでした。どういうわけか私はその後再び眠りに就くことができませんでした!私は3時半頃に起きだし、コンピューターに向かい、そしてそのメッセージを書いたのです!その過程で、私は自分の習慣が、私が突然天に召された場合にキャシーにとって悪夢となるようなことを生み出しているということを認めざるを得ませんでした。同志の宣教師であるメルビン・ブラッドショーは、私の父がその後目覚めることがなかった心臓の手術を受けるほんの少し前に、父を見舞いに訪れました、そしてそのメルビンの(父の)葬儀の弔事で述べた言葉はずっと私の胸に残っています。“私はいまだかつて彼以上に生きる理由がある人に出会ったことがないし、彼以上に死ぬ準備ができていた人にも会ったことがない。” 私はそのように生きたいのです、主が私をこの地上で生かして下さる限り-それが30年先でも、30秒後だとしても。

天のお父様、あなたの私に与えてくださるお恵みに心から感謝します。私は実にたくさんの生き方を変える余地があります! 彼女は私の後に続き、より小さくシンプルになっていく生を歩んでいます、そして彼女は私よりもこの先の人生に向かってより良いスタートを切っています。その生の行程にうまく就けるよう助けてください!乱雑な思考をうまくとりなす知恵を求めます、なぜならそれは私の人生と奉仕に突き刺さる障害であり続けるからです。この人生もしくは地上での生の後の命において、あなたが私のために備えてくださったいかなるものに対して準備できるよう助けてください、そしてすべての物事においてあなたの目的があなたのご栄光のために叶えられますように。感謝します。神を讃えよ!

0 件のコメント:

コメントを投稿