2009年3月29日日曜日

2009/03/25

ルカ 18:20-37

S: ルカ 18:20-21
「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

O:  イエスは私たちに、御国のため祈るように言われましたが、この御言葉はクリスチャンにとって、深刻で現実味を持った緊急の問題です。御国が地理的に定義 されていますが、もっと大切なのは、その影響、権威、力が定義されていることです。支配下に何も持っていないならば、王であっても多くを持ってはいませ ん!私たちは、御国が来るように祈りますが、まず、私たち自身がキリストの統治に従っているかどうか、心の中をよく吟味する必要があります。もし従ってい るならば、イエスの権威と力は私たちと周囲の方々に影響を与えるでしょう。しかし、もし、服従を拒否するならば、それは、私たち自身をイエスの保護と力か ら取り除いてしまうことになります。神の御国は、個人的に神に従っている人が集まった時に、最もはっきりと現わされます。つまり教会です。ただし、問題 は、私達の神様への服従の度合いが、人によってまちまちであり、さらに時によって変わることにあります。人の服従のレベルを判断してはいけません。それは 愚かで、服従心に欠けることだからです!しかし、神様と聖霊様への完全な服従によって、大きく一体化するように、常に努めるべきでしょう。そうしてこそ、 御国が私達の中に現れるのですから。

A:  これは、信者たちが、キリストにあって何者で、何であるかについて目覚めるとき、気づくことの一つでもあります。私の持っている多くで、これを教えなく てはなりません!同時に、私自身もこの分野で成長し続けていかなくてはなりません。私自身の服従のレベルに、気をつけているべきです。神様は私に何を、い つ、どのように教えるかを示して下さるからです。ですから、何も心配せずに、ただ、私とこの教会のための御計画と、神様を信頼していればよいのです。神様 のご栄光のために、御国が来て、神様のみ心が、全てなされるように祈り続けながら。

P:  お父様。この御言葉を有り難うございます。Tさんと神学的に一つかみ合わないところがあり、少し心配をしています。この問題を探りながらも、私が心から あなたに従うように助けてください。彼も、私も、交わりに関しての試練でないことを感謝します。この教会であなたが御国を本当に現わして下さることを祈り ます。私たちが、あらゆる点であなたの導きを認め、従うように助けてください。そして、あなたの愛があふれ出し、私たち全員を通して流れ出ていきますよう に。感謝します。神様を賛美します!

2009/03/24

ルカ 12:1-12

S: ルカ 12:8-9
「そこで、あなたがたに言います。だれでも、わたしを人の前で認める者は、人の子もまた、その人を神の御使いの前で認めます。しかし、わたしを人の前で知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。」

O:  イエスは、砂糖にくるんだ言葉で警告を発したりは、なさいません!イエスが試練の時に、ペテロはイエスを知らないと言いました。その後、ペテロはこの言 葉を思い出したことでしょう!だからこそ、復活したキリストと出会い、赦されたことに、ひとしお安堵しました。今日、よく見られる問題は、キリストを知ら ないと言う問題より、むしろ、クリスチャンであることを隠そうとすることです。あからさまでは、ありませんが、周囲に合わせ、同調しなくては、というプ レッシャーが根付いています。とりわけ、日本のような非キリスト教文化では、世間の流れに対抗するのに、勇気がいります。クリスチャンであることを公に 言った方が、より受け入れられると、私は感じます。私は自分自身、公言するクリスチャンで、むしろそうすることで、拒絶より代替を受けているからです。真 のクリスチャンは、普通の仏教者や神道者より、信仰にもっと積極的です。活動の代わりとなる事を見つけるのは、それほど大変ではないでしょう。決して、た やすいわけではありませんが、イエスは、その重要性をはっきりと示しています。

A:  私は、日本の宗教伝統に合わせるために、個人的なプレッシャーを感じたことはありません。兄弟、姉妹が、この伝統のため、共感を持つのに苦労していま す。しかし、それでも、私はキリストに忠誠を、強く、はっきりと誓う必要性を公言するのをやめません。私の仕事は、カトリックの慣習と混ざって、複雑に なっているように思えます。カトリックでは、儀式に香をたきます。お通夜や葬式で香をたくのは彼らには、些細なことに思えるでしょうが、しかし、神に香を を焚くのと、故人に香を焚くのでは、大きな違いがあります。ですから、私がこの違いを信者に、または尋ねられたら誰にでも、うまく説明できるように、聖霊 様の知恵と導きが必要です。私は、慢心からではなく愛で、怒りからではなく恵みで、キリストを教え広め、生きた模範となるべきです。沢山の方がこの教会の メンバーになり、自分たちの必要を悟り、悔い改めと信仰によってキリストに帰依してもらいたいのです。彼らが救われるためにです。

P: お父様。私達は、一体何者かに話題が戻るのですね?私たちがキリストにあって、何者であるかを、この数年、私に強く語って下さり有り難うございます。そして、私はそのように生きることを学んでいます。この件を考えていると、まさにウオッチマン・ニーが「The Normal Christian Life」に書いている内容です。私の人生のあらゆる場所、瞬間でキリストがいることを認められるように助けてください。そして、私へのあなたの目的が全て達成されますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009年3月27日金曜日

2009/03/23

ルカ 10:16-24

S: ルカ 10:23-24
そ れからイエスは、弟子たちのほうに向いて、ひそかに言われた。「あなたがたの見ていることを見る目は幸いです。あなたがたに言いますが、多くの預言者や王 たちがあなたがたの見ていることを見たいと願ったのに、見られなかったのです。また、あなたがたの聞いていることを聞きたいと願ったのに、聞けなかったの です。」

O: タイミングは神の御手にあります。神様の約束は確かなものですが、私たちが、いつ約束の成就を受けるかは、神様次第です。信仰を持って行きながらも、存命 中に成就を見なかった昔の聖人たちについて、へブル書11は長々と語っています。これこそが、ここでイエスが話していることです。今年は、日本でのプロテ スタント宣教150年を祝います。これまで多くの祈りをしてきましたが、まだ、大きな収穫を見ていません。しかし、私が昨日のメッセージで話したように、 小さなサインがあちこちで見受けられます。私たちは、どなたを信じているかを知っているので、決して希望を失うことはありません。

A:  これも、また私が昨日の説教で話したことですが、大きな成就をまだ見ていないのに、日本でのリバイバルの預言を多く聞いていて、私は聞き飽きています。 もちろん、こうした預言を軽んじてはいけませんが、むしろ、神様と神様のタイミングを信頼しているべきでしょう。この教会が成長するにつれ、多くの人が来 るのに備え、私は御国の管として教会を形作っていかなくてはなりません。若い人たちが、多く増えています。彼らを弟子として訓練しなくてはいけません。彼 らが無限の可能性に目を開くように働きかけ、御言葉に基礎を置き、神様の望まれるように十分、用いられてほしいのです。しかし、年配の方たちを諦めるの は、よくありません。むしろ、彼らを励まし、制限を取り外してあげたいのです。神様は、彼らを用いたいと思っておられるのですから。私達は、自分のことば かりを見てしまいがちで、神様が自分に働いて下さらないと考えがちです!神様は、彼らを用いるほどに、力強いお方であると、彼らが分かるように、私は手助 けしていきます!

P: お父様。あなたがなさっていることに、再び、感謝します。Jが進学に際して、遠くに行かずに済みました。有り難うございます。どうぞ、私がJを信仰深く、正しく訓練できるように助けてく ださい。A が教会に喜んできていることを感謝します。彼が、あなたに心から献身するように導いてください。AとTとFのバプテスマの時期を導いて下さ い。彼らが御言葉に堅く立てますように。お父様。リバイバルを見せてください。私の両親と多くの人が、そのために祈ってきたのです。しかし、そのタイミン グもあなたの御手にあります。あなたを信頼します。私がその働きのために用いられますように。妨げになりませんように。あなたの栄光ために。有り難うござ います。神様を賛美します!

2009/03/22

ルカ 2:25-35

S: ルカ 2:27
彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れて両親が、その子のために律法を守るために入ってきた。

S: 聖霊に、より敏感になればなるほど、いわゆる「神の任命」を、より経験するでしょう。神は、誰がどこに、いつ、い て、何が起こるかをご存知です。霊的に敏感でない人に指揮をとっておられないのではありませんが、敏感な人は、神様の働きを享受できます!チェスの駒のよ うに周りで動かれるのと、実際に積極的にゲームに参加するのでは、大きな違いがあります。シメオンは、焦点を神と神の約束に合わせた人でした。ですから、 彼は、救い主と交わる道のりを取り、「聖霊に動かされ」るために、十分な準備をしていたのです。

A:  私は確かに、神の任命を経験し、そしてそれを喜んでいます。そして、さらに好きでいることでしょう!私が、いつも祈っていることは、神様ののスケジュー ル通りに御栄光のために、神様の御意志を行うことです。私は、そのようにやっていると思う時がありますが、逃していると思う時もあります。しかし、何かを やっているのだという具体的な印象を感じなくとも、しっかりと、行動すべきです。常に行動していなくてはならない、という動機からであってもなりません。 私は、キリストの心を与えられているのですから(1コリント2:16)、導きを与えられることを信頼し、心配すべきではありません。聖書から、多くの明確 な導きを得ています。もし、それらを無視するならば、具体的で個人的な導きは、決して頂けないでしょう。

P:  お父様。あなたの私への変わらぬ、圧倒されんばかりの恵みを感謝します。あなたの私への任命の特権を感謝します。あなたに、ますます敏感あれますよう に。私の計画とスケジュールに、いつでも、あなたのお望みの時に関わってください。あなたの御計画が成就し、多くの人に祝福が得られますように。あなたの ご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

2009/03/21

ルカ 1:5-22

S:  ルカ 1:11-12
ところが、主の使いが彼に現れて、香壇の右に立った。これを見たゼカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われた。

O:   私達は神様に語ってほしいと思うときがありますが、実際に起こると、それは想像とは全く異なります。聖なる恐れは,あって当然の感情です!ゼカリヤ は、超自然的なことに関して考えるのに慣れていませんでした。そして実際、彼の予測は全く覆されました。ここでの唯一の現実的な問題は、それが良い知らせ だったにもかかわらず、ゼカリヤが天使の語ったことを信じなかったことです。そのため、この経験が単なる幻ではなかったのだという、むしろ不愉快なサイン を受けてしまいました。ゼカリヤは、信仰を持って、聞けるようになることが必要だったのです。

A  :私は、神様の語りかけを何パーセントくらい聞いているのかと思う時あります。聞いているパーセンテージは増えていると思うのですが、それでも、まあだ とても低いでしょう!神様に対して十分な怖れを持っていないと感じる時がありますが、もっと大きな問題は、言われた通りに行動する心構えがあるかどうかで しょう。実際、聖なる恐れがあれば、私はすぐに従うでしょうから、多分、私に聖なる恐れが欠けているのでしょう。確かに、私は先入観を持っていて、神の語 りかけが、その先入観に一致しないと、理解できません。積極的に聞き、神様の言いつけに、前もって仕え、私の思いを広げてもらい、そして、願わくばゼカリヤが経験したこの教訓を避けたいものです。  

P: お父様。私が預言にもっと用いられ、あなたから聞いたことに、全て従えるように助けてください。あなたが語って下さることを行うために、私に知恵をください。不必要に人を傷つけたり、あなたのタイミングを逃さないためにです。あ なたが私に語られた人や事情のために、私がとりなせるように助けてください。この点、私は大いに成長しなくてはいけません。そうしたことに関わる段階を避 けたり、拒否しないように助けてください。ゼカリヤより、サムエル、イザヤ、マリアのようになりたいのです。信仰と服従で呼応したいのです。あなたのご栄 光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009/03/20

マルコ 4:21-25

S: マルコ 4:23-25
  「聞く耳のある者は聞きなさい。」また彼らに言われた。「聞いていることによく注意しなさい。あなたがたは、人に量ってあげる量りで、自分にも量り与えら れ、さらにその上に増し加えられます。持っている人は、さらに与えられ、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられてしまうます。」

O:  聞くことに関して「持っている人は、さらに与えられる」については、以前も考えたことがありますが、この節は大変強く心に響きます。私たちが心を開いて 神様の声を聞き、喜んで実行に移すなら、さらにもっと聞くことができるでしょう。神様から聞いたことに注意を向け、周りの方々と分かち合い、神様はますま す御言葉を注いでくださいます。神様の御言葉を価値あるものとして見ず,軽んじるなら、御言葉は私たちの心と思いから完全に消えてしまいます。クリスチャ ンであると自称し、あるいは聖職者であると自称する人たちでさえ、聖書の明らかな教えから逸脱しているのを見て私は驚いています。こういう人達はキリスト 教とその名を保ってはいますが、聖書を神の言葉として固守していません。ただ自分たちの虚しい創造として選んでいるのです。

A: 神様から聞いたことを人に話すのは、私には楽しいことです。しかし、聞いたこと(この節が戒めているように)と、分かち合うこと、この二つに注意している べきでしょう。聞いたことを理解し、行えるように、聖霊様に私の心を照らしていただきます。そして、聞いたことを愛、優しさ、謙遜を持って分かち合いたい のです。うした態度を失った瞬間、私は神の目的から自分で外れてしまうことになるのです。聖書の豊かさを分かちあうための知恵を受けたいのです。それに よって、人々に聖書の豊かさを受け取ってほしいのです。ですから、私は料理長であるべきでしょう。みんなが美味しく味わい、消化し、食欲をそそり、栄養と なるために御言葉の肉とミルクを用意します。それができて、キリストの体ができ、強められ、私自身もますます受け取れるのです。

P:  お父様。私への信じられないほどの忍耐を感謝します。私は、あなたの御言葉を、どう対処するか、数年考えてきました。そして、あなたが昔に私を諦めな かったことに驚いています。あなたの御言葉を、直接、個々の人々に、そして他の方々に伝える特権を有り難うございます。驕りや図々しさから遠ざけてくださ い。いつも、愛、謙遜、優しさで語り、確信と大胆さで話せますように。あなたからの私を通して語られる言葉が混じりけのないもので、あなたの意図が達成さ れるためにです。あなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

2009年3月20日金曜日

2009/03/19

マタイ 17:1-9

S: マタイ 17:5
彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことばを聞きなさい。」と言う声がした。

O: 神様は、個人に、あるいはそこにいる人たちに、確証を与えるために語ってくださる時があります。私達は、イエスを弱い者とは思っていません。しかし、罪は なくとも、人としての弱さを負っておられたことが、聖書を読めばはっきりと分かります。イエスは、信じられないほどの困難な試練を受けました。十字架の苦 難だけでなく、その時点まで、普通に役目を果たしました。恵みと憐みである御父は、必要に応じて与えてくださいます。このことも付随して、3人の弟子たち は、疑いのないイエスの神性を確信しながら、決して忘れない記憶として心に刻みました。今日、神様からの確証は、これほどはっきりとしたものでありませ ん。唯一キリストお一人だからです。しかし、イエスの恵みと憐みは変わることなく、私達の必要を満たして下さいます。もし、私たちがイエスに耳を澄ますな ら、私達の必要を正しくしてくださり、必要を確認させて下さいます。

A:  私は様々な確証があったのを覚えていますが、中でも、数年前、シアトルの友人宅に滞在した時のことは、際立っています。その時、友人は外出していまし た。私は居間にいて、祈っていました。異言で祈っていましたので、どういう意味なのかを主に尋ねました。それは、献身のための祈りで、私自身を十分に神に 捧げよ、ということでした。そして、主は私に確信の言葉を与えて下さり、それ以来、私をとても強めてくれています。それが、私にとってどれほど大きい意味 を持っているか、さらに、キリストにある兄弟姉妹のための確証の器として私が用いられる事を、覚えておかなくたはなりません。器あるいは正しくさせる者と して、怯んではいけません。ただ、この過程でも確信を持っているべきです。

P: お父様。あなたが彼らに語ったことを、日曜日に、確信を与える言葉で私が伝えられたことを感謝します。彼らが、その言葉を必要とする限り、いつも励まし、 慰めとなるように祈ります。私が、あなたの子供たちに確信を与える道具となるよう祈ります。彼らを励ます機会を求めながら、常に愛を持って語れますよう に。あなたが彼らを愛して下さっているという事実を感謝します。私たち全てのために罪のあがないを与えて下さり感謝します。あなたが望んでおられるのは、 ただ私たちが悔い改め、あなたに従い、交わることです。私があなたの御言葉を、確信と励ましを持って伝えられますように。そして信者が、くじけることな く、建て上げられ、強められますように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

2009/03/18

マタイ 16:13-20

S: マタイ 16:13, 15
「人々は人の子はだれだと言われていますか。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしはだれだと言いますか。」

O:これは、存在に関わる最も重要な問いです。 「私が誰であるか?」という問いよりも、さらに重要です。実は、この二つは切り離せないものです。自分が何者かであるかは、キリストが誰であるかに、か かっているからであり、自分が神の創造物であるからです。イエスからのこの質問に対する正しい答えは、永遠の命をもたらすものです。ペテロは、あなたがキ リストであり、生ける神の子であると、客観的事実をもって答えました。そして、あなたは私の主である、と救いの意味を加えて、答えています。ペテロの答え を、知的解釈する人達がいますが、イエスを自分の主として、最後まで果たすことができません。ヤコブが指摘したように(ヤコブ2:19)、事実を認めるだ けでは、救いとは言えません。献身が求められるのです。ですから、「あなたにとってイエスとは何者か?」の問いが、今日の教会では、より、なされるべきで しょう。もし、この質問がされれば、ただの傍観者は減ることでしょう。

A: 考えてみると、私は自分自身に対してこの問いを殆どしていません!もっと、問いかけてみるべきでしょう!信者にも考え、正しい答えのために精魂傾けるように励ましたいのです。イエスを主、神であると認めるなら、イエスを備え主、いやし主、義なる人、羊飼い、その他のもろもろとして経験できます。基本的な告白から遠ざかっていると、神様 の恵みと祝福を受けられなくなります。この点に関して、どれほど長い間、私がどれほど多く間違っていたかを覚えておきながら、私は人々とともに働きなが ら、忍耐強くありたいものです。そして、彼らを喜ばせるために、大丈夫だと軽く言い、そうした印象を与えたままにしないように心していきます。

P:  お父様。この明確で、強い御言葉を感謝します。いつ、どのように、この御言葉を分かち合うべきかを示してください。私の人生のあらゆる面で、イエスを主 として、怯まず、ますます共に生きれるように助けてください。私へのあなたのみ心が成就しますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009年3月19日木曜日

2009/03/17

マタイ 11:25-30

S: マタイ 11:25-26
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主であられる父よ。あなたをほめたたえます。これらのことを、賢い者や知恵のある者には隠して、幼子たちに現してくださいました。そうです、父よ。これがみこころにかなったことでした。

O:神様の声を聞くためには学位はいりません。ただ、幼子の心が必要です。神様は私たちが心を捨てるのを望んではおられません。聖書には行うべき教えが沢山あります。しかし、私達の限りある知性では、神の無限さを理解できません。そのため、幼子が持つ驚きの方が、より望まれるのです!私たちは、「自分を認めてもらうために勉強」しますが、主の御名においてミニストリーをする人より、具体的な学位にこだわるのは、聖書全体に書かれている教えとは全く正反対です。

A:  これは、日本の教会では、いつも大変です。日本は、学業が強調される社会だからです。「専門家だけにしかこの仕事を正しくこなせない」という考えが、一 般的に浸透しています。特に教会については、そうです。信者が主に仕えるように、励ましていきたいと思います。主の力と知恵だけが、唯一、頼れるのですか ら。厚美妹の日曜日の証しは、美しく適切なものでした。私も、彼女のように信者一人ひとりを励ましたいと思います。持っている物を捧げると、神様が何倍に もして、夢以上にして、返して下さいます。自分の賜物が不十分であると思いこみ、遠慮している人もいます。私が教え、預言しているように、神様が望んでお られるのは、私達の能力ではなく、用いられようとする思いです。私は、信者を叱るのではなく、むしろ、機会と励ましをあげたいと望んでいます。

P: お父様。この教会へのあなたのお働き、感謝します。このプロセスの中、参加者が増え、喜びを経験していることを感謝します。私に与えられた賜物を生かせる 分野で、信者にも私のように働けるように、教えていきたいと思います。ミニストリーの肝要を分からせて下さり有り難うございます。これまでにも何度も聞い たのですが、以前は分かりませんでした。あなたの御手の中で、私が幼子のように、柔軟に応答し、あなたの語りかけに聞き、従えますように。キリストの体と あなたのご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

2009年3月18日水曜日

2009/03/16

Matthew 10:24-31

S: Matthew 10:24-25
「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになられたら十分だし、しもべがその主人のようになられたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、まさしてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。」


O:大切なのは、私たちがイエスのようにあるべきだということです。イエスは、弟子たちにご自身が受けた処遇より、良い処遇を望
ま ないように注意していますが、それだけではありません。パウロは、「私がキリストに従うように、私に従いなさい」と言っているのは、こうした理由からで す。イエスに近づくほどに、ますます、イエスが私達の心に形成されます。そして、私たちには、それがあまり分からないでいます。西洋文化社会では、”弟 子”についての考えが薄れてきていますが、日本では、芸術や商売の分野で、まだ残っています。恐らく、多数の日本人は、大工の徒弟制度や、陶器師の子弟関 係を思い出し、理解できるかと思います。イエスを信じる者は、イエスがなしたことをし、さらにそれ以上をするだろうとイエスは語っています(ヨハネ14: 12)。楽しいことですが、信じるのは難しいです。しかし、誤解や拒絶を含め、全てそのまま受け入れることです。

A:  私は、お世辞をよく言われます。昨日も、沢山言われました。しかし、私にある良いものは、すべて賜物だと認めています。そして、コミットを新たにし、服 従していきます。私のゴールは、人がイエスに近づくことです。人が私に何を言おうが、よく思おうが、悪く思おうが、関係ありません。私は、イエスのこの世 でのミニストリーと、天での栄光と力ある現在の働きの両方に目を留めているべきです。そうすることで、気が散ったり、良きにつけ、悪しきにつけ、物事を先 延ばしにしなくなるでしょう。また、イエスの言葉になりますが、私が全てを成した時、私の態度は、「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをした だけです」(ルカ17:10)のようでありたいのです。まだ、私は言われたことを、やり遂げてさえいないのです!

P: お父様。昨日のことを感謝します。沢山の人が集まり、温かい雰囲気の良い集いでした。私の望んだこととは、少し違う点がありましたが、あなたは、恵みの多 いお方です。私を必要とする人がいて、泥濘はまったままでないことを感謝します。今日、ホームページ作成に関連して作業を行いますので、先延ばしにする用 事もあります。すべて信仰を持って行えるように助けてください。福田さんのための山崎家からのオーディオセットを感謝します。私が、いつ、どのように、 セットアップするか示して下さい。福田さんにとって、最大の祝福となるように用いてほしいのです。今日の午後、家内の市民ギャラリーでのクラスを導いて下 さい。その他の活動の間も、クリスチャンゲームの制作が続けられますように。主よ。私達の体は望ましくはありません。あなたが望まれるような、生きるため の健康のために、あなたを信頼し、受けることができますように。祝福とご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

2009/03/15

ハバクク 2:1-4

S: ハバクク 2:1
私は、見張り所に立ち、とりでにしかと立って見張り、主が私に何を語り、私の訴えに何を答えるかを見よう。

O:  神の語りかけを信じる人にとっては、神は何を言おうとされているのだろうかが、もっとも重要な問題でしょう。日本語訳では、そのまま、預言者の訴えに対 する神の答えを待ったとあります。しかし、NIV版では、どう答えるべきかを待っていた、となっています。神様は私たちに対して義務を負っておられません し、全ての質問に答えることは、なさいません。ですが私たちが聞こうとさえすれば、多くに答えてくださいます。問題は、信仰と心の在り方です。私達は、ま ず、神が存在し、個人的に人と関わってくださる個人的な存在だと信じなくてはなりません。そして、神の語りかけを謙虚に受け止める心を持つべきです。世の 心理学者は、「幻聴」は、ひどい精神疾患だと主張しますが、しかし、聞こえるのが真実であると証明する人は沢山います。多くの場合、彼らは悪魔の声を聞い ているのですが、悪魔と悪魔の軍隊は元々クリエイティブではないのですから、神様のまねしかできません。悪魔の声は人を狂気にしてしまいます。しかし、神 の声を聞くことほど、正気にさせられることはありません。

A:  あらゆる分野で、私は神の声をはっきり聞くようになっていますが、神の声を聞くことの意味が分からない人が大勢いることに気づいています。何も、神の声 を聞いたことを喧伝する必要はありませんが、決して否定はしたくありません。なぜなら、神様がなさっていることだからです。嘘の声を聞く危険に気をつけ、 聖書を照らして確かめていきます。聖書に詳しいので、変なことは、私には、すぐに明らかです。聞き間違いに、あまりに執着してもいけませんが、ヨハネ 14:26でイエスが言ったように、「私に全てのことを教え」て下さるように、聖霊様を信頼しています。特に、神様の語りには、何であれ、謙虚に従い、心 を尽くす態度を保っていたいのです。神様からの指示を待つまでもなく、従っていたいのです。

P:  お父様。明確な御言葉を有り難うございます。これまで、あなたの声が聞こえないことがありました。それは、私があなたの言う通りにしようとしなかったこ とがあったからです。そうぞ、私にそのようなことが起こらないようにお守りください。主よ!快適な範囲を抜け出て、あなたに従えますように。あなたの私へ の大きな愛ゆえに、危険を避けていられますように。私が、どれほど完全な従順者でないかを、あなたは御存じです。一日一日、一瞬一瞬、あなたへと近づくよ うに助けてください。あなたのご計画と目的が成就し、ご栄光が現わされますように。感謝します。ハレルヤ!

2009/03/14

ナホム 1:1-8

S: ナホム 1:7
主はいつくしみ深く、苦難の日のとりでである。主に身を避ける者たちを主は知っておられる。

O: アッシリア帝国崩壊のさ中に、この預言がされたことは重要です。神の怒りと力に着目してあります。神様が根本的に慈愛に満ちた方であり、恐れるべきであ り、信頼すべきお方であることを、人々に思い出させようとしています。ナホムは陥落の日を預言しましたが、神はそうした苦難の日に砦であることを、聴衆の 信者に思い出させたのです。このへブル語には、日本語訳の方が、より意味が近いと私は思います。神はご自身に身を避ける者を知っているという表現ですが、 NIV版の神様が彼らを助けてくださるという内容の箇所には、強い意味合いが含まれていません。神様が、自分たちの信仰に気づいておられないのでは、とい ぶかる人もいます。彼らは、信仰が何になるのかとさえ思ってしまいますが、それは、地獄からの欺きであり、嘘です。旧約聖書は勿論、新約聖書の多くの箇所 で、神様は、私達の信仰、献身に報いてくださり、その報いに比べると、試練や困難は、小さなことだと強調しています。

A:  私自身、今はあまり試練を与えられたくない思いですが、周囲には、困難にある人が沢山います。彼らが自分のことと関連づけて分かるように、神様の愛と恵 みを私は表したいと思います。そして、彼らが自身と現状から目を離し、イエスに目を向けるように、優しく手伝いたいのです。イエスこそ、私たちが将来経験 する困難よりもさらに多く、私達のために耐えてくださったのですから。この世は、確かに混乱の中にあります。新たに経済危機が襲っています。こんな時こ そ、御国の住人でない人は、、たとえ何が起ころうとも、王を覚え、喜んでいてほしいものです。

P: お父様。今、この御言葉が、必ずしも必要だとは個人的に思いませんが、御言葉を感謝します。あなたは私を通して人に、また、私にお語っておられます。あな たのために私が用いられますように。私があなたの恵みと励ましを伝えていけますように。そして、傷んだ葦を折ることがありませんように(マタイ12: 20.へブル12:12~13)。感謝します。神様を賛美します!

2009/03/13

アモス 3:1-8

S: アモス 3:8
獅子がほえる。だれが恐れないだろう。神である主は語れる。だれが預言しないでいられよう。

O: 神様のメッセージが心に触れたとき、それを差し控えたままでいるのは難しいことです。神様の言葉を全て、ベラベラと、すぐに、誰にでも喋ってしまうべきだと言っているのではありません。Cindy Jacobが、この場合、知恵と抑制が大胆さと同じく重要だと強調しています。けれども、やはりその本質は同じです。神が語ってくださったことに確信したなら、私達の言動全てに沁み渡るでしょう。私たち自身の導きのために神様は語られる時があります。そん なときに、神に従わずに、愚かであったりするでしょう。また、神様は、どのように祈るかを示して下さる時もあります。そのような場合、示された祈りをしな かったら、それは私達の不従順になります。神様が導き、励まし、祝福、矯正の言葉を私たち、あるいは、人のために語られる時、言葉を止めるのは関わる人すべての悲劇となります。愛を持って、言葉を受ける人に伝えるべきです。

A: 最近ほど、預言の現実性、重要性、緊急性を感じたことはありません。しかし、もし私が、礼拝の最中に「主はこう語られた」と突然、言い出したりすれば、信 者は、ひどく混乱するでしょう。ましてや、求道者はなおさらでしょう。日曜に卒業生、転勤する方に主の言葉を贈るのは、とてもよいステップとなるでしょ う。しかし、おのおのが、預言を受ける基礎を持てるように、預言について教えておくべきです。私のゴールは、信者が私から預言を受けることではありませ ん。そうではなく、神の御意志が成就するために、神様の語りかけに気づいて欲しいのです。私がまず、先に手本を示すべきでしょう。しかし、私は決して一人 ではありません。

P:  お父様。あなたのタイミングを感謝します。日曜メッセージを与えて下さり感謝します。準備を沢山しなくてはなりません。準備、説教のために、鋭敏、従順 であるよう助けてください。出席していても、遠くにいても、聞く人があなたからのレーマを頂けますように。遠くにいても、時間が異なっても、電子メディア でみ言葉を忠実に伝えることができます。有り難うございます。私が、いつも御言葉を愛と、恵みと知恵で、誠実に伝えますように。あなたのご栄光を現わすた めに、御言葉が成就できますように。有り難うございます。ハレルヤ!

2009/03/12

ヨエル2:28-32

S: ヨエル 2:28-29
その後、わたしは、わたしの霊をすべての人に注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、年寄りは夢を見、若い男は幻を見る。その日、わたしは、しもべにも、はしあめにも、わたしの霊を注ぐ。

O:  この節はペンテコステ以降に実現した、聖書の中でも軸となる預言です。28節には、聖霊が全ての人に注がれるだろうと書かれていますが、29節には、男 女両方のしもべに聖霊が注がれるだろうと具体的に書かれています。その理由の一つとして、当時の階級の違いが挙げられるでしょう。しもべは、地主と同じよ うな“人間”として分類されてはいませんでした。この節の教えが理解しやすいように、彼らが具体的に挙げられたのです。もう一つ、聖霊は、男女、神に仕え る全ての人に注がれるという説明もできるでしょう。結局、”聖霊に満たされた無神論者”などいないと言えます!いずれの場合も、男女に関係ないことが強調 されています。ですから、ミニストリーに女性を拒否する人の主張には根拠がありません。Cindy Jacobsも「The Voice of God」 の本ので、この節を引用しています。ペンテコステの信者が夢とビジョンを持ち、預言をし、預言をするように期待されて以来、確かなことです。現状の既得権 利に甘んじている人には、愉快なことではないでしょう。なぜなら、神様が私達の計画を先になさり、神様の主権ある御意志があらゆる状況に働いているのが示されるのですから。しかし、そのことが何であるかを知る以前に、神様に献身した人たちには、本当に喜ばしいことです。大切なのは、神様は決して私たちを一人にせずに、途方にくれたままにはなさらないということです。御栄光を現わすために、私たちに語り、状況が平安と喜びになるように、導きと目的を示して下さいます。


A:  はい、主よ、分かりました、と言いたい気持ちです。もう数年にわたって何度も、私は預言を受け、また与えてきました。しかし、それは説教を除けば、大村 でのミニストリーのほんの一部でしか用いていません。神様が私を通して語ろうとなさることに、耳を澄まし、従順であり、そしていつでも、どこにいても、大 胆に従いながら語ろうと思います。同じように、信者にも励ましを与え、訓練したいのです。過去、数回、私はメッセージで、神が一人ひとりに語っておられる ことを強調しました。しかし、私はそれ以上に、私たちを通して、また語っておられることを信者に分かるように手伝いたいのです。私達は、自分のことにばか り目が行って、神様に入って来られる余地を与えないほど、リラックスしていないのです!私は、主の十字架の方たちが、預言に関してバランスを欠いていると 強く感じます。しかし、そのために私は怯んでいたくはありません。


P:   お父様。ワクワクする日々ですが、「私は預言者だ」と思ったり、感じたりすることがないように助けてください。むしろ、完全にあなたに集中できますよう に。日曜の食事会で、私が祝いの言葉を授けるように望んでおられるのを感じます。一人ひとりに、あなたが語りたいと望んでおられることを書きます。 示して下さり有り難うございます。内容について考え、祈る前に、すでに示して下さり感謝します。あなたの声をしっかりと聞き、明瞭な日本語で表現できます ように。それぞれが、励まされ、教化され、力を受けますように。あなたのご栄光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009年3月12日木曜日

2009/03/11

ダニエル10:1-14

S:
ダニエル 10:12 「恐れるな。ダニエル。あなたが心を定めて悟ろうとし、あなたの神の前でへりくだろうと決めたその初めの日から、あなたのことばは聞かれているからだ。」

O: 完全な謙虚さで、神様に献身する人の心に、神様は応答して下さいます。神様を(あるいは、彼らがそう思っている)思い通りにしようとしても、全く神様から得るものはありません。ただ、快適とは言えない懲らしめがあるのみです。しかし、今日の御言葉が教えるように、心を完全に神に明け渡している人にでさえ、答えが望むように、すぐに 得られるとは限りません。大変、難しいことですが、神に従うことは、神様のタイミングにも従うことです。神様は時々、理解できないほどに、素早い応答をし て下さいますが、殆どは長くかかるようです。これは、信仰のための大きなテストですが、いったん学ぶと、大きな平安が得られます。神様は物事を私たちよ り、よく御存じで、ご計画がいつも愛に満ちて良いものだということが、私たちには理解しづらいのです。これが、頭と心で分かった時、平安と喜びが、日常と なり、何物にも揺るがされることはありません。

A:  これに関して、私は大いに苦しんでいます!他の人同様に、何かを祈る時、つい、せっかちになります。しかし、私より忍耐を持てずにいる人と沢山、関わっ ていますが、彼らの我慢の無さは、全く手に負えないほどです。こうした人と接することで、私は神様の私に対する忍耐、私への恵みを思わずにはいられませ ん。彼らにも同様に恵みを持っていようと思います。長く遅れたことは諦めてしまうのが、私の危険なところでもあります。具体的に言えば日本のリヴァイバル です。沢山、熱心に祈ってきました。祈りは天に届いていると思いますが、燃え尽きてしまう危険性も現実にあります。私は、謙虚に、ビジョンを現実のものと し、新たにしていくべきでしょう。神様を操作したり、また、そう試みるべきでもありません。いつも、信仰を持ち、用いられるように、していたいものです。 神様のご栄光のために、神様のタイミングで用いられたいのです。もし、私がそのように誠実であるなら、神様の時宜にかなって栄光ある結果が得られるでしょ う。

P: お父様。聖書日課に「ビジョン」のテーマを与えて下さり有り難うございます。そして、その結果あなたから聞くことができました。Cindy Jacobsの本で、あなたからの確信を、はっきりと得ることができました。タイミングを感謝します。25年前ならば、もっと喜べたことでしょう。しかし、当時は、私も他の人たちも、まだ準 備ができていませんでした。私のこれまでの間違いや失敗は、良い訓練となりました。主よ、私は、起こらないことに慣れてしまっています。実際、起こった時 に、どうするか分かりません!どうか、身体的、精神的、霊的に守ってください。あなたのご栄光のために、あなたの時宜にかなって、あなたのペースで働けま すように。有り難うございます。ハレルヤ!

2009/03/10

ダニエル 9:20-23

S: ダニエル 9:20 私はまだ語り、祈り、自分の罪と自分の民イスラエルの罪を告白し、私の神の聖なる山のために、私の神、主の前に伏して願いをささげていたとき、

O: ダニエルは、個人的な義と悔い改めを示した人として最高のモデルです。ダニエルが完全に神様に献身したことは、聖書の記録からうかがい知ることができま す。ダニエル自身の人生よりも神に従うことに重きを置きました。しかし、それで、ダニエルが完璧だったわけではありませんし、自分の不完全さをしっかり自 覚していました。さらに、彼の民が神様に対して、集団でひどい罪を犯していることも気づいていました。そして、イザヤと同じように、人々の罪をダニエル自 身の罪として告白しています。こうした悔い改めの態度で、ダニエルは自分の国のとりなしをし(この節では「山」、つまりシオンの山)、神様のみ前に真摯に 祈り、身を伏せています。神様はこうした祈りに答えてくださいます。神様が私たちの祈りを聞いて下さっていないように感じるときがあります。神様は、た だ、私たちが自己中心、貪欲さを捨て、神様と同じ心を持つのを待っておられるのです。私たちが赤ちゃんの泣き声にすぐさま、応答するのと同じように、神様 は、クリスチャンになりたての人には、神様がおられ、愛しておられる確信を与えるために、しばしば祈りに答えてくださいます。しかし、私たちが、赤ちゃん の泣き声にしょっちゅう、反応していては、赤ちゃんの成長は望めません。神様は、人間以上に良い親なのです。私達は、神様を操作することはできませんが、 神様に十分働いて欲しいと願うなら、私達が信仰と、献身、神様と同じ心を持つべきです。それが、できた時に、神様の御業が私たちに十分、現わされるでしょ う。

A:  神様が私に預言的な働きをするように求めておられるのを感じます。ですから、悔い改めと聖さについて、自己吟味してみなくては、いけません。Cindy Jacobが、本に書いていますが、神様のスポークスマンになりたいと望むなら、他のクリスチャンにとって平気なことも、清さの妨げになります。決して、 それは、「あなたより、私は聖い」という意味ではなく、私の優先すべきこと、基準、神様が私に与えてくださった最善をしなかったことに対する悔い改めを、 自己吟味する、という意味です。私ときたら、自己弁護の口実を設けるのが、うまいのですから!便利なこと、快適なこと、その時に楽しいことではなく、むし ろ、最も大切なことを行動していくべきでしょう。

P:お父様。私の肉にとっては、喜ばしいことではありませんが、私に、より高い聖を 求めて下さり有り難うございます。しかし、従うことで、御国の喜びが、この世の楽しみと比較にならないことだと、知ることができました。漠然を時間を浪費 するのではなく、祈りに専念する時間を持てるように成熟させて下さい。この世のことにではなく、あなたの心と思いで、私の心を満たせるように助けてくださ い。この世にあって、私があなたの有益な証し人となり、あなたの働き手となり、御国のため、あなたの御心が成就するために用いられますように。あなたのご 栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

2009/03/09

ダニエル2:44-49

S: ダニエル 2:47 王は、ダニエルに答えて言った。「あなたがこの秘密をあらわすことができたからには、まことにあなたの神は、神々の神、王たちの主、また秘密をあらわす方だ。」

O: 正確に預言を伝えることは、神様の力と事実を力強く示すことになります。「霊的な賜物、特に預言を、真摯に求めよ」とパウロが諌めた理由は、このためでも あります。神様の御言葉は全てに力強く、人間の言葉ではなく、神様の御言葉であることが、はっきり分かるほど、聞き手の心に深く響きます。世界中にも、そ してキリストの体を、すぐさま求められている人を、神は励まし、慰め、諫めてくださいます。神様は、確かに預言者として幾人かを教会に送って下さっていま すが、エペソ4にあるように、全ての信者を通して語っておられるし、そう望んでおられます。丁度、私が最近、数回、そのように用いられたようにです。

A:  私は、現在の預言者となるように期待して育てられてはいませんし、そうなるようにも育っていませんが、目的を受け、果たすような経験を最近しています。 確かに、私はメッセージに預言的内容を求めていますが、主は、もっと直接的な預言を与えたいと望んでおられると思います。Cindy Jacobsの、 「神様の声」という本を、私は読み始めていますが、私の心と思いにあらゆる光を注いでくれる内容です。出しゃばりは、よくありませんが、神様が私を用いよ うとなさっていることに、たじろいではいけないでしょう。私は神様が大村のために、この教会に預言的なビジョンを持っておられると思います。そして、私た ちが大村全体のために、存在することと言動によって、預言的な声を持つことを望んでおられると思います。ですから、人々の鎖が解き放たれ、自由になり、神 にご栄光を帰せられるために、私は人間の恐れを捨て、従順のうちに大胆になり、緩んだ大砲ではなく、聖書に厳格に従っていたいと思います。

P:  お父様。あなたのご計画をタイミングに感謝します。昨日の出来事を有り難うございます。礼拝と録音が順調でした。多くの証しと豊かな交わりの時が持てま した。あの本を、浜松で買い求め、昨日、読み始めることができました。有り難うございます。あなたの御意志を私が理解し、私の思いがあなたと一致できます ように。本を読み進めていけますように。私を通して語るあなたの精神的な言葉を伝えるだけでなく、積極的に従いながら、行動に移せますように。私は教える たびに、聞く人のために祈り、望んでいます。私が、私たちが、キリストにある体のために、あなたのご栄光のために、ご意思通りに働けますように。有り難う ございます。ハレルヤ!

2009年3月11日水曜日

2009/03/08

ダニエル2:19~30

S: ダニエル2:21「神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者に知恵を、理性のある者には知識を授けられる。」

O: この節は、現在、アメリカで慌てているクリスチャンへの大切なメッセージでしょう。何も、政治的行 動が悪いわけではありませんが、神様は依然として神様であり、制御しておられることを、覚えておくべきです。私達は政府間の出来事にすぐに慌てがちです が、義のために発言し、決して嘆かないでいるように教えているのです。それは、神様が依然、神様でおられるからです。

A: 私も、この節を時々思い出す必要があります。そして殆どのクリスチャンも、同じく思い出すべきで しょう。ダニエルの時代と場所では、民主主義など想像もできないことでしたが、ダニエルは政府に大きな影響を与え、賢く用いています。キリストの再来ま で、全ては正しくはなされませんが、その間にも、凛として目をあげ、人を勇気づけ、神を喜び、信頼していきます。私たちを創り、呼び、報いてくださる唯一 のお方に、ともに誠実に信仰を持っていたいと思います。

P: お父様。政府内に時間とエネルギーを注いで働いている人たちがいます。感謝します。彼らを祝福し、 導いて下さい。彼らが、今日の真実なる御言葉を思い出すようお願いします。彼らが、あなたに従い積極的になれますように。決して彼らが自分達の力で成し遂 げようと思うことがありませんように。憎しみ、嫉妬、悪意からではなく、あなたに目を向け、あなたの愛と力で行動しますように。オバマ氏と麻生氏のために 祈ります。彼らを導いて下さい。不義の行動や政策ではなく、彼らの知性や能力をはるかに超えたあなたの御意志を行えますように。そして、アメリカと日本の 統治がよくされ、キリストの体として成長できる管となれる環境を作ってください。あなたのご栄光のために。有り難うございます。主を賛美します!

2009年3月9日月曜日

2009/03/07

エゼキエル12:21~28

S: エゼキエル12:28「それゆえ、彼らに言え。『神である主はこう仰せられる。わたしが言ったことはすべてもう延びることはなく、必ず成就する。』ー神である主の御告げー」

O: David Wilkersonにこのエゼキエル記を読んで安らいでほしいと思います! イエスが 自分自身のことを語った時にもそうであったように、真の預言者は、彼らのいる時代、場所では、通常、有り難くは思われません。神様の御言葉を正しく伝えよ うとする預言者なら誰でも、その内容が生産的なものであれ、どうであれ、聞く人の反応をうかがって、言葉をぐらつかせずに、神様のうちに安心を得ていなく てはいけません。もし、私たち自身の言葉が信じてもらえないなら、それは個人的に無礼だと思われるでしょう。しかし、神様の言葉が信じられないなら、それ は聞く人が神様に対しての無礼になります。神様は、御言葉のバックアップ、成就する以上ができるお方です。イザヤがイザヤ書55:10~11で言っている ように、神様は送った言葉を必ず成し遂げてくださいます。主の御言葉を告げ知らせることは、崇高で栄光ある仕事です。しかし、この世からも分かるように、 うまくいくかどうかは保証されていません。エレミヤはエジプトで石打ちで殺され、イザヤは体を二つに切り裂かれ、パウロは打ち首にされるなど、他にも多く の例が挙げられます。それでも、なお、こうした先人達によって伝えられた神の御言葉は、以来、力強く働き続け、成就しています。彼らが天で受けている報い は表現できないほど素晴らしいものでしょう。

A: 私は、私の語ったメッセージへの反応に、苦悩するときがあります。しかし、それは愚かなことです。 メッセージを聞く人のために祈ります。そして、彼らが理解し、受け入れてくれるように、私は御言葉をいつも示すべきでしょう。それでも、なお、私の焦点 は、私を通して語ってくださる、だたお一人の方にあり、そのための責任を私は負っています。確かに、私は不完全で、過ちを犯しまいます。自惚れと高慢に陥ることなく、神様からの確信をいただきます。人間の意見に、情動的に頼ることがあってはなりません。もし、それが神様からの御言葉なら、神様があとは、やって下さるでしょう!

P: お父様。あなたの御言葉を伝え広める特権を感謝します。私がますます信仰を持っていられますよう に。それによって、私の周りの人たちの心と人生に、十分働けますように。私が個人的な拒絶を受け入れないのではなく、あなたの御言葉を受け入れない人たち のために祈れますように。そして、主よ。私のうちにもあなたの御言葉が成就しますように。ただ、御言葉を語り、行いを伴わない者ではなく、行いをできる者 でありますように。感謝します。神様を賛美します!

2009/03/06

哀歌 2:11~14

S: 哀歌2:14 あなたの預言者たちは、あなたのために、むなしい、ごまかしばかりを預言して、あなたの繁栄を元どおりにするために、あなたの咎をあばこうともせず、あなたのために、むなしい、人を惑わすことばを預言した。

O: 預言者は神様の語った言葉を伝える責任があります。人が聞きたいことを話すのではありません。悲しいことに、多くの「繁栄の福音」説 教者は、今日の御言葉に当てはまるように感じます。神様が繁栄を望んでおられないというわけでは、ありません。義と神様への従順に焦点を合わせずに、物質 的繁栄にのみ、集中するのは、ひどい欺きだと教えています。今日の節は、説教者に、いつも「地獄の業火を激しく話」せと教えているわけではありません。神 様が、ご自分の民への優しい慰めに満ちておられることは、他の箇所読んではっきりと分かります。しかし、説教では、第一優先を、神は何を語っておられるの かに置くべきです。

A: 今週、私は説明的な教えをするように求められ、困っていました。問題は、私が、そうしようと思えば できることにあります。つまり、毎回の説教で、私が持っている聖書への深い知識を教えることはできるのですが、それでは、聖霊様が殆ど、あるいはまったく おられない説教になってしまうかもしれません。私が説明的な教えをやりたくないとか、人が望んでいないと言っているのではありません。聖書クラスを始める 機会をとても望んでいます。そのためにも、神様は私をご用意なさっているのですから、分かち合いたいと望んでいます。ただ、参加するかしないかは、信者の 責任です。これまでの経験からして、聖書クラスを始めるのに、ためらってしまいます。しかし、人が来るならば、喜ばしいことです。人々に教える機会を与 え、神様と御言葉をもっと知ってもらうために、学ぶことを選んでほしいと思います。

P: お父様。私にこの問題の決心をつかせて下さり有り難うございます。日曜のメッセージをはっきりと導 いて下さるようにお願いします。信者に聖書クラスを教えるため、どのようにすべきかの知恵を求めます。信者らが、励まされ、しかし、義務感を感じることな く参加してくれますように。そして、沢山、成長できますように。彼らの祝福とあなたのご栄光ために。感謝します。ハレルヤ!

2009年3月8日日曜日

2009/03/05

エレミヤ33:1~11

S: エレミヤ33:3「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、あなたの知らない、理解を超えた大いなる事を、あなたに告げよう。」

O: 聖霊に導かれたイザヤや他の聖書作者が指摘しているように、神様のご計画は、いつでも私たちの計画 よりも優れて良いものです。神様はご計画を前もって示して下さる時があります。大きな恵みの一つと言えるでしょう。けれども、神様のなさることを、私たち は理解できない時があります。(私には、日本語訳の「理解を超えた」の方が、NIVの「知らない」より重要性が伝わるように感じます。)人間は、避けられ ないほどに近視眼的見方しかできませんが、先が見えるようにと、主はメガネを貸して下さる時もあります。そんな場合も、見た人の言うことを信じる人は少な いのです。近代科学は、現在、過去のデータを入力し、将来予見を可能にしましたが、前触れなく起こった現在のひどい経済危機が示すように、近代科学の予見 など殆どあてになりません。皮肉なことに、ほとんどの人達は、主の啓示よりも、コンピューターの予測を、はるかに信じたがるのです。

A: 私も現在起こっていることに、動揺し、落ち着かない時があります。そんな時は、神様も喜んでおられ ないこと、さらにもっと大切なことは、究極には神様が全てを整えてくださることを覚えておきたいものです。これから起こる出来事に関して、メディアや私の 知性ではなく、神の啓示を求めなくてはなりません。たとえ、神様が次のステップを示して下さらなくとも、神様を信頼していきます。私の焦点は、いつでも神 様です。神様の愛、力、誠実さ、すべてにです。そして、愛と従順で神に応答し、神様から平安をいただくのです。

P: お父様。あなたのなさる全てに感謝します。あなたのご計画を、あなたのタイミングに添って聖霊様と 働けるように、私を助けてください。心配を遠ざけ、あなたを喜んでいられますように。今朝、日本の税金申告ができることを感謝します。客観的に見て、私の 払い戻しや、家内が私とは別に申告すべきかどうかで、心配するのは滑稽です。家を出かけるまでに、全ての書類を終えることができますように。税金がどうで あれ、あなたから頂いたものを喜び、信頼していけますように。全てをあなたに委ね、日曜メッセージのためのあなたの声を、しっかりと聞けるように助けてく ださい。あなたが、教会の群れにご用意なさっている食べ物を、私が誠実に準備し、与えることができますように。それによって、彼らが強く大きく成長します ように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

2009/03/04

エレミヤ29:1~14

S: エレミヤ29:8 あなたがたが夢を見させている、あなたがたの夢見る者の言うことを聞くな。

O: 願望は、夢と、そして恐らくヴィジョンを与えてくれますが、必ず実現するわけではないでしょう。幾 人かの人が言うように、達成なしのビジョンは単なる空想にすぎないという見方もできるでしょう。空想自体は楽しいものですが、何ももたらしてくれません。 エレミヤが、この句を書いた時、人々は、自分達の置かれた状況が神のなさった事だと信じたがらない状況でした。それで、救済を思うように空想したのです。 エレミヤが、この手紙を彼らに書いたのは、偽証、不信心、さらには反逆罪でとがめられている時でした。しかし、それでも、エレミヤは主の御言葉を伝えまし た。Joy Dawson師が教えているように、主の御言葉を正しく聞くならば、自分自身の望みは捨てるべきなのです。

A: 私は、この点で問題がありますし、このことで問題を抱えている人に、いつも関わっています。困難を 乗り切り、個人的な成長をするために、神様は、まず、問題を示してくださるのですが、つい、誰かに魔法の杖をひと振りしてもらい、望みを叶えたがります。 私は、最近、愛情ある状況で進歩をし始めたばかりです。これまでは、向き合うことを避けたため、私自身と他の人との問題が大きくなっていました。そして、 その問題に真っ向から触れることに、私は快適ではありませんでした。何年も、人のために、主が私と通して語ってくださることに耳を澄ましていたいと思いま す。それを無視していては、問題はよくなりません。教師は教えていることを、必ずしもすべて行動はできないでしょう。

P: お父様。私への粘り強い忍耐を有り難うございます。私は成績をつけるのに失敗しました。繰り返し、 教訓を与えて下さり感謝します。人々や状況を、しっかり見定めていられるように助けてください。私の空想や先入観で歪んだ見方をしませんように。あなたの 目で見れますように。真実、そのままに見、あなたの愛と恵みで、いつも応答し行動できるように助けてください。あなたの御意志が成就しますように。御栄光 のために。感謝します。神様を賛美します!

2009/03/03

イザヤ56:1~8

S: イザヤ56:7「わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれるからだ。」

O: この御言葉が引用されたのは、イエスがミニストリーの中で最も劇的な場面でしたが、ここでの教え は、強調してもしきれないほど重要でしょう。多くの場合、この句は今日、祈り自体に関連して引用されていますが、実は、元来は、祈り自体は二次的な意味合 いでした。ここで最も大切な教えは、全てを含むということです。つまり、外国人や宦官のような人達であっても、イスラエルの神の家に献身するならば、生ま れついてのユダヤ人と同じ立場にあるということです。この教えを、イザヤが公言したときは、かなり過激なことであり、多くのユダヤ人には受け入れ難いこと でした。イエスの時代に、市場として使われていた宮は非ユダヤ人の裁きの場であり、ヤァヴェを拝みたい人達が歓迎された場所でした。宮に動物を持ちこみ、 商いをすることで、イスラエルのユダヤ人は、自分たちの「集団」に加わらない人を、効果的に締め出したのです。納屋のような建物も悪くはありませんが、騒 がしい市場では祈りに専念することは大変なことでしょう!

A: 最近、「求める人の感受性」に、多くの議論がなされていますが、先月の牧師会のセミナーで、 Mark ・Estesが示した見方は正しいものと思います。人気を得ようとして、信仰に妥協してはいけないし、同じく人気を得ようとして、世の文化を持 ちこんではいけませんが、仲間でない人達を不必要に失望させていることにも、敏感であるべきです。日本の教会は、外部の人が入りにくいことで、よく知られ ています。多くの場合、日本の文化のせいでしょうが、初期の宣教者たちの「私たちのやり方はこうなんだ。黙って受け入れてください」的なやり方からも、無 意識的に来ているのではないかと思います。聖書的文化でさえ、その多くは、教会に長く行っていない人たちにとって、親しみにくいことを、分かっていないと いけません。特に、私は教会で生まれたので気をつけていなくてはいけません。私がすべきことは、教会活動ができるだけ人に来てもらいやすいように、目的や 理由に妥協せず、手段を講じることでしょう。献金をいただく方法も、正しい方向に向かって進んでいるように感じます。しかし、聖霊様がこの教会の壁を取り 除くために示して下さっているのですから、何よりも、まず、聖霊様に敏感でありたいと思います。

P: お父様。私たちに、して下さっている多くのことに感謝します。とらさんのいるウェスレヤン大の教授 が、この教会に出席したいとの意向、そして教会の建物の設計が、本当にバリやフリーであることに感謝します。私たちが壁を立てているとしたら、どうぞ取り 除けるように示して下さい。そして、人々の心に作った障壁を、どうぞ、あなたが壊して下さい。この場所を通して、沢山の人たちが、あなたの御国へと導かれ ますように。彼らの救いとあなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

2009/03/02

イザヤ53:1~12

S: イザヤ53:4~5 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは 思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。しかし、彼は、私たちとそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲ら しめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

O: 私たちは、しばしば、苦しんでいる人に大して、誤った見方をしています。学際的な心理学者(実際に 働いている心理学者も、この場合、含まれます)は沢山いますが、本当の理由を御存じなのは、神様だけです。ですから、自分自身の、あるいは人の苦しみに対 して、適切に対応できるように、全て神様に尋ねましょう。よく、全ての苦悩は罪から生じていると言われますが、ヨハネ9章に出てくるような生まれついての 盲目の人の例もあるのです。この例では、生まれつきの障害は直接の罪の結果ではなく、神のご栄光が現わされるためです。この男性の苦しみは、神様が恵みと 力を罪深い人間たちに示すためだと、捉えることもできるでしょう。しかし、そこまで解釈するのは無意味でしょう。近代心理学は、問題の原因を求めたがりま すが、それでは、殆ど、うまくいきません。効果的治療を期待するあまり、因果関係を求めがちですが、目を向けるべきなのは、今、何をすべきかです。誰のせ いか、ではありません。もし、そうするなら、周囲も罪悪感に苛まれてしまうでしょう!

A:カウンセリングをする状況が多い私は、常に真実に集中していたいと思います。私が愛を持って人を諌め るように、神様は私を成長させて下さっています。神様の恵みと、一人ひとりが踏むべき具体的なステップに、目を向けているべきでしょう。責めよってくるの は悪魔ですから、非難は悪魔に行くべきです。むしろ、全ての罪は十字架で購われたこと、そして、トラブルに至った、曲った古い生き方ではなく、キリストに ある新しい生き方を選ぶことを、私は強調していきます。

P: お父様。あなたのすべての御業に感謝します。昨日、家内がSさんと花の剪定をしました。彼にとって は、愛を持って語った私の真実な教えよりも、もっと癒しになったことでしょう。長い間、歩いた曲がりくねったトンネルから抜け出るために、彼には、認めて もらい、受け入れてもらうことが必要です。昨夜、Jと話の中で、選択肢に集中できたことを感謝します。彼の理想とする望みから離れていいようとも、あなた の選択をJが受け入れるように助けてください。私が、責めるのではなく、慰めと励ましを与える者でありますように。必要な時には、たとえ、強い言葉を用い るにせよ、愛あるあなたの心を持っていられますように。そして、人々がいやされ、解放されますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/03/01

イザヤ40:1~11

S: イザヤ40:1,11 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕をに子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

O: 神様の義と正義を考えていると、神様の優しさを忘れてしまう時があります。人の思いや、言葉がどう であれ、神様は、必要以上に厳しい言葉や手段を使うことは、なさいません。詩篇作者が言うように、人が、ちりであることを、神は覚えておられます。自分が 率いる群れに、残虐だったり、手厳しく支配的な指導者であるなら、その人は神様の御心を持っていません。

A: 信者は自分の問題だけで手いっぱいなのだと、最近の教会総会で、言われた事を思い出します。信者た ちは、私に、遠くからではなく、そばに来て、ともに重荷を負ってほしいと望んでいます。ただ、イエスを見上げることを教えるよりも、むしろ勇気づけ励ます ことが必要でしょう。神が私に働いておられるように、彼らにも同じく働いておられることを、分かってもらうには、大きな能力が要るのですが、私にはとても 難しいのです。ただ、遠方から戦略プランを指揮するのではなく、信者の戦いのためにも、私は一緒に、”塹壕に入って”助けるべきでしょう。

P: お父様。あなたの群れのために、私にあなたの御心をください。あなたがペテロにおっしゃったよう に、私も彼らを養うようにおっしゃっています。私が彼らに正しい食べ物を正しい方法で与えるように助けてください。そして、彼らが、その食べ物を受け、栄 養とし、直面している問題に立ち向かう強さを得ますように。私が理論めいた説教者ではなく、彼らの必要に応じて御言葉を応用できるように助けてください。 彼らが、しっかりとあなたを見上げ、喜ぶように、励ましたいのです。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009年3月3日火曜日

2009/02/28

イザヤ21:1~10

S: イザヤ21:3 私は、心乱れて聞くにたえない。恐ろしさのあまり、見るにたえない。踏みにじられた私の民、打ち場の私の子らよ。私はイスラエルの神、万軍の主から聞いたことを、あなたがたに告げたのだ。

O: すべてのビジョンが楽しいものとは限りません。啓示の全てが快適で、励まされるとも限りません。し かし、ビジョンを見た者は、はっきりと忠実に伝える責任を負っています。警告を与えることは、背中を軽く叩くことより大切だからです。神様のスポークスマ ンとして召しを受け、従う者は、やさしい言葉も、厳しい言葉も伝えるべきです。しかし、主が語った言葉や、示されたことから、逸脱しないよう注意すべきで す。たとえ、それが良いことであれ、悪いことであっても、です。私たちの聞くべきこと、教えられるべきことを、神様は御存じなのですから。

A:David Wilkersonの「The Vision]という本を大変、思い出させる御言葉です。この本はアメリカの未来を描いた内容です。以前、読んだ時は、この作者は少し大袈裟だと思いまし たが、実際、この本に書かれている通りになりつつあるようです!正直なところ、私はこうしたメッセージを、伝えるように託されていないことに感謝します。 私はマイルドに正すのが不得手なのです。大きな問題では、特にそうです。しかし、私は、快適な範囲に留まるべきではありません。時には、愛を持って真実を 語るべきでしょう。今週、私の兄弟に手紙を書きましたが、私たちはみな、対立を極力、避けようと思います。しかし、しばしばそれは、実際の対立/問題に関 して言うなら、解決には役に立ちません。聖霊様の言葉を愛を持って、語るように私はいつも気をつけていたいと思います。けれども、人を正しくし、諫めるこ とから尻ごみしません。それが、主が命じられるように、とりわけ教会内では、そうありたいと望みます。

P: お父様。私への忍耐を有り難うございます。昨夜、私を通して、語ってくださったことを感謝します。 語られたことを愛を持って心に刻めるように祈ります。正しい言葉を、信者一人一人に語る、勇気と機会をください。そして、信者が互いに励まし合いを求める 心を求めます。彼らは、自分たちの問題で手いっぱいで、それ以外に焦点を合わせるのが負担に感じると言います。私も問題に焦点を合わせるのが、彼らに重荷 であるのは知っています。そして、そのことを教えると、私からだけでなく、教会から、恐らくは、信仰自体からも遠のいてしまうでしょう。私は、そう、させ たくはありません。私が彼らへの励ましを語れるように助けてください。そして、彼らが目を上げ、前進できますように。あなたから頂いた強い言葉を、臆する ことがありませんように。あなたは私に、慰めと励ましを与えるように望んでおられます。私が、そのことを積極的に求めるように助けてください。曲った葦が 壊れることなく、弱った足が萎えませんように。有り難うございます。主を賛美します!