2009年5月26日火曜日

2009/05/24

箴言 3:31-35

S: 箴言 3:32
主は、よこしまな者を忌みきらい、直ぐな者と親しくされるからだ。

O:  箴言は常識の本とも呼べるでしょうが、問題は常識がいつも常識であるとは限らないことにあります!真理を考えると、あたかも沢山の明らかな真理があるよ うに思えますが、多くの場合、私たちは真理を全く知らないでいるかのような行動をとっています。この節にあるように、よこしまであろうとする人は多くない と思いますが、一貫した正直さを大事にしている人も多くありません。ここで述べてある「直ぐ」も怠るとよこしまになってしまいます。これは、有名人の不誠 実さと邪まさが次々に暴露される社会を見ていると明白です。神様と親しくありたいと言う人もいますが、そのために求められるこの節の単純な、しかし完全な 誠実さを大切にしている人は少ないようです。

A:  父が絶対的真理に添った生き方をしたと知ったときほど、私は祝福を受けたことはありません。私には父の生き方がまるで常識のように伝播していますが、い つでも賢明であるとは言えないようです!神様のそばにいたいと渇望していますが、私が前進するために御使いを分かろうとしても、神様と親しい関係は築けな いでしょう。イエスはナタナエルに、虚偽も欺きもないことを見て褒めています。そして12弟子の一人として歓迎しました。(1ヨハネ)私は、これ以上に賞 賛できる例をあまりないでしょう!今日の社会は、自分たちが正直でないことに気づかないほどに、あらゆる種類の「罪のないウソ」があるのが問題です。私 は、聖霊様の助けていただいて、自分で細かく注意し、一貫して絶対的な誠実さの手本となり、教えていきます。真実であろうことを語ることが役に立たないわ けではありません。壊すのではなく、建て上げるのですから、私は言葉に気をつけねばなりません。父が44年前に指摘したように、建てるためには外科手術が 必要です。そのためには、私は言動の一つ一つに愛を持ち、決して羨望、嫌悪、野心などで心が曇らないように心がけていきます。


P: お父様。私への忍耐を再び感謝します。あなたは私に賜物と行動の訓練を下さっています。欺かれて、それらを誤用し
て しまう時もあります。真っ直ぐに立っているように助けてください。あなたこそ、いつも正しくまっ直なお方なのですから。私の言葉、行動があなたのご性質を 映し出すものでありますように。私をみて人々があなたへと導かれますように。人々の救いとあなたのご栄光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009/05/23

詩篇 145:1-21

S: 詩篇 145:13
主はすべての約束に真実であり、またすべてのみわざにおいて恵み深い。

O: この13節後半部分では、日本語訳がありません。それで私がNIV版から訳しました。脚注には「マソラテキスト(6~10世紀にかけてユダヤ教学者によっ て改訂された注釈されたヘブライ語聖書)、死海文書、シリヤ語(70人訳聖書)の一つであり、殆どのマソラテキストは13節後半訳がない。」と記載されて います。現存するマソラテキスト原本よりも死海文書の方が古いのですが、恐らく標準的に日本語訳では、「公式(マソラテキスト)」に従ったのでしょう。最 後の文は17節に呼応しており、私は17節を参照しました。他の文は聖書全体の趣旨と一貫した意味を持っています。大切なことは、神様は約束に真実であ り、実行される方だといことです。それとともに、その時にはどう見えようとも、神様のなさる事は全て神様のご性質、つまり愛を現わすものだということを覚 えておくべきです。(NIVでは17節は、「愛」となっていますが、日本語訳では「恵み深い」となっています。)あらゆる思い煩いと恐れを差し出すことを 忘れているときには、安全に休めることを思い出すべきです。神様は私たちに害を与えるような不正実は決して行われないのです!

A:  このことを理解するために、私はまた訓練期間を与えられました。もう私はそろそろ学んだ頃だと思っておられることでしょう!けれども、私は学ぶのが、他 の人と同じく、いえ、ひょっとしたら人より遅いようです。あまりにも学ぶことが私には多いのです。神様と違って、私たちには始めから最後がわかりません。 ですから、神様を信頼して、あらゆるもつれと絡みを神様にほどいていただくように委ね、神様の視点での素晴らしいタペストリーにして頂きたいのです。神様 が多様性をお好きで、すべてを素晴らしく組み合わせ最適になさるのは、創造の時から明らかです。ですから、私は神様の私たち一人ひとりへの設計と目的が美 しいだけでなく大変満足できるものだと信頼し、教えていきます。持っている様々な望が満足させようと躍起になっても、それは誰のためにも、何のためにもな りません。神様がパウロにおっしゃったように、神様の恵みこそ私たちに必要な全てだと信じていきましょう。

P:  お父様。先の一週間半のことにもかかわらず、昨日、私はやりたくないことがあり、気まずい日でした。そのため、キャシーに対して不愉快を感じてしまいま した。赦して下さい。助けて下さい。私への裁きと贖いをしてください。私自身の強さで義を思えることをするのではなく、神であるあなたに委ねさせて下さ い。二つの結婚前カウンセリング、今日の結婚式一つを感謝します。明日の40回目の結婚記念日は最適なタイミングのように思えます!3組のカップルに対し て、あなたの恵みを伝えることができますように。特に40年目の私の花嫁に対して。有り難うございます。神様を賛美します!

2009年5月25日月曜日

2009/05/22

詩篇 119:25-32

S: 詩篇 119:32
私はあなたの仰せの道を走ります。あなたが、私の心を広くしてくださるからです。

NIV版と日 本語訳では、この節の後半部分は違っていますが、Amplified訳では、さらに違った見方になっています。しかし、キングジェームズ版もNew American Standardのいずれにも日本語は合致してます。NIV版では「私の心を広くして下さい」とあり、 Amplified訳では「私が喜んでやれるように」となっており、さらに、他の3つは「心によって広くする」となっています。これらを見てみると、いず れも同じ側面について教えていることがわかります。クリスチャンが心の狭い人だと責められるのは皮肉なことです。この節にあるように、真のクリスチャン は、実はその真反対です。私は、教義的で心の狭いクリスチャンと会ったことがあります。しかし、真のクリスチャンは絶対的な真理を信じ、守っています。神 様の子供である栄光の一つには、私たちにはキリストの心が与えらていることです。そして、神様は無限です。ですから、全く狭小なことではありません。どの 訳版でも、この節の前半は同じです。神様の仰せの道を、心広く、解放し、喜んで進み、歩まずに、などとなっています。私達が神様の命令をためらう時、神様 から心を変えてもらう必要があるのがはっきりと示されます。それを行うと、私たちの前に置かれている競争を忍耐を持って走り続けられるのです(へブル 12:1)。

A:私は、広い心と、起こる出来事を何でも受け入れることの違いを覚え、教えてい きたいと思います。キリストの心は、確かに識別できる心なのですから!また、見極めに必要なことを教えていただくように、聖霊とみ言葉に頼ります。神様 が、そうなさっているように、私も人をそのまま受け入れます。しかし、それは神様と同じく、彼らの行いをそのまま大目にみるというのではありません。聖霊 が私の人生の手綱を引いて下さっているのかを知るためにも、私は走る速度に気をつけていたいと思います。私の周りには、やたらを走りたがる人達がいます が、彼らは神様の道以外を走りたがっています。それでも、全ての権威を持って、彼らを十分、愛していきます。前進するのを恐がる臆病な人がいます。そうし た人たちには、優しさを持って励ましていきます。私には、その両方をなすだけの知恵はありませんが、神様にはあります。神様に委ねるなら、わたしを導いて 下さいます。

P: お父様。私のうちに、周囲にいつもいて下 さって有り難うございます。私は全てを整えることができません!心配せずに、ただあなたに敏感で、従っていられますように。そしてあなたのタイミングでみ 心を行えますように。明日のカウンセリングのスケジュールが、過度の約束ではなく、調整ができたことを感謝します。今日、J君が庭仕事を手伝うように示して下さり感謝します。私があなたの御意志の最中心に、いつもいて、あなたの速度で進めますように。あなたのご栄光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009年5月22日金曜日

2009/05/21

詩篇 116:1-19

S: 詩篇 116:10
「私は大いに悩んだ」と言ったときも、私は信じた。

O:  NIVでは、今日のみ言葉は脚注としてしか載っていませんが、私はこの節の日本語が大好きです。 Word/Faith Movement がどう主張しようとも、困難さを認めることは、信仰がないことではありません。神様は、私達が困難に目をつぶり、状況を否定することを望んでおられませ ん。それどころか、私達が目を見上げ、何よりも高く神様を見上げてほしいと望んでおられるのです。私達が、そうした見方を持てたとき、たとえ抱えている問 題がどれほど大きくとも、ペテロが言うように「軽く、束の間」だと実感できるでしょう。信仰とは勇気と似ています。真に勇敢な人は恐れがありません。なす べきことのために、彼らは恐れを克服します。強い信仰のある人は、周囲の世界が崩壊することを否定しません。全てをあり合わせても、なおそれ以上に神様が 偉大であることを知っているので、たとえ世界が崩壊しようとも、動じることがないのです。自分たちの発言に気をつけなくて良いと言っているのではありませ ん。私たちの発言は、周りの方にだけではなく、自身の信仰にも影響します。今日のみ言葉をもう一度、見てみましょう。私は大いに悩んだ。しかし、神様は依 然、神様であり、信頼できるお方だと告白しましょう。

A:  個人的なレベルでは、つまり、この数週間、神様は私を訓練して下さいました。家内を失うかもしれないが、それでも神は神であり、よい方であり、信頼すべ き方であると言う訓練でした。私は人々に信仰を語っていきますが、彼らの信仰をこの地上にだけに留めておくべきではありません。神様が私に預言的に教えて 下さったことを除いて、仔細にわたって私が神様のご計画に関与してはならないでしょう。神様が彼らに約束なさっても、私を通して語って下さったのでなけれ ば、私は彼らに約束することはしません。この世には、あまりにも「願い事の叶う預言」が多いのです。私はそうした動きに加わりません。詩篇46:1~2 に、「神はわれらの避け所、また力。苦しむ時こそ、そこにある助け。それゆえ、われらは恐れない。たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。」の 通りです。キリスト信仰イコール「即効」で、現在の問題が消えるわけではありません。そこにあるのは、永遠の命にある希望です。その希望こそが、全てを変 えるのです。

P: お父様。この一週間、あなたがして下さった全てに感謝します。昨夜は熟睡できました。よほど体が疲れていたのでしょう。肉体の疲労が睡眠にこれほど影響するなんて興味深いことです。この一日のことを感謝します。キャシーのための、 あなたの力と油注ぎをお願いします。彼女は午前と午後にクラスがあります。私も、今朝は、テスト問題作成、午後と夕方の授業があります。日曜メッセージも 考えなくてはなりません。先の問題に心配し過ぎることなく、一つ一つをきちんとこなせるように助けて下さい。必要なことは、全てその時にあなたが与えて下 さるのを私達は知っています。昨日、現金が備えられたことを感謝します。病院側がクレジットカード払いを認めてくれませんでした。私達にはちょっと驚きで した。あなたはちゃんと心得て下さり、備えて下さっていました。あなたの恵みから得た今回経験した全てを忘れることがありませんように。そして、悪魔の試 みから来る不安を拒否できますように。あなたの意図される平安と喜びの中を歩めますように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

2009/05/20

詩篇 112:1-10

S: 詩篇 112:7
その人は悪い知らせを恐れず、主を信頼して、その心はゆるがない。

O/A: 今日の節は、キャシーの昨日の血管造影を思うと、まさにぴったりのみ言葉です!もっとも、作者の意図から、かけ離れてはいますが。より幅広い、より応用可 能なことは、悪い知らせを聞いても、神様を信頼して神様に基礎を置くならば、その悪い知らせは、もはや怖れを生み出さないことにあります。この数日、信頼 に関して特訓を受けたわけですが、私はそれによって幾つかを学びました。血管造影室の待合室で私は眠って待っていたのですが、そのことから来る疲労感より も、学びを得たような気がします。神様に信頼するという点で、もっと成長しなくてはならないということ、そして今回の訓練では、自分なりに成長できたと思 います。愛があふれ出るほどに豊かで、それ以外にも、理解、コミュニケーションに関して沢山の益がいただけました。家内を失うかもしれないという考えは、 決して心地よくはありませんでしたが、へブル12:11の「平和の義の実を結ぶ」ことができた気がします。

P: お父様。あなたの恵みに再度、感謝します。たった今、成したことの一つ一つは、あなたからのものです。感謝します。キャシーが退院し、一緒に結婚40周年 記念を祝いました。私のかつての生徒達が家内の世話にあたり、関わってくれたことを感謝します。医療技術においても、英語においても、特に、思いやりのあ る態度で接してくれ、彼らは、よくやってくれました。主治医が専門的で、友好的であったこと、私たちに丁重であったことを感謝します。沢山の人が愛と心配 を示してくれました。インターネット、その他の殆ど可能な手段を用いて示してくれました。日々、あなたからの恵みを、ますます知り、感謝できますように。 それらのことを当然なのだと思うことがありませんように。むしろ、あなたへの感謝と賛美ができますように。あなたのご栄光のために。神様を賛美します!

2009/05/19

詩篇 111:1-10

S: 詩篇 111:1
ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。

O:  ここでは、礼拝で公に証しをすることの聖書的な理由が正しく述べてあります。詩篇には、こうした内容の物が多くありますが、殆どの教会ではあまり見られ ません。神学を聞いて大喜びする人は恐らく少ないでしょう。一方、自分たちの必要に神様がどう関係しているかになら、誰でも勇気づけられることでしょう。 ウエイトレス、事務員、退職者が宝くじを当てた話になると多くの人が興味を持って聞くのです。たとえ、そうした話の結末が大抵、悪い結果になると知ってい ても、です。この手の話ならば、新聞のネタとしては売れるでしょう。教会では、日々神様が与えて下さる現実の祝福を分かち合いましょう。そうした証しに よって、話す人も、聞く人も励まされ、神様に栄光を帰せれるのです。

A:  今、上に書いたことは、ちょっと自画自賛してしまったかもしれません。私達の教会では、当初から礼拝の主要な部分として「証しのとき」を設けていますか ら。それでも、何が大切であるかを時に思い出すべきでしょう。殆ど証しのない時もありました。そんな時はきまって、何か気まずさを感じてしまいます。そう 遠くない将来、証しをしたい人が前もって申し出るようになる時が来るのを、私は心待ちにしています。証しをしたがる人が、今、大勢いるからです!少し、不 自然な感じがするかもしれませんが、「メソメソする時間」ではなく、また、時間の関係で割愛してしまってもよくありません。証しを聞いた後、もう私の説教 はいらないでしょうね、などと言ったことがありますが、主が望まれるのあれば、きちんと証しの後のフォローをやるべきでしょう。礼拝の中心は主であり、私 の説教でないことを覚えておかねばなりません。

P:  お父様。最近、証しが多いことに感謝します。信者が証ししたいと思うこと、人と分かち合いたいと望むこと、その恵みを感謝します。あなたのみ業を分かち 合い、人々をあなたへと導けるように助けて下さい。狂信さからではなく、あなたへの純粋な感謝と賛美を持って行いたいのです。あなたのご栄光ために。有り 難うございます。神様を賛美します!

2009/05/18

詩篇 103:1-22

S: 詩篇 103:15-18
人 の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。しかし、主の恵みは、とこしえから、 とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。

O:  15節と16節は人の束の間を絵画的に表現している点で、とても仏教的です。しかし、その後に「しかし」で始まる17節が続いています。聖書が虚無的で あることは決してありません。いつでも希望があります。それは神様が偉大なあってあるお方だからです。ダビデが永遠の命について、どう完全な概念を持って いたのかは不明ですが、新約聖書に近いものではなかったでしょう。それでも、ダビデは神様が命以上に信頼できるものであると預言的に知っていました。私達 が現在、持っている聖書のわずか4分の1しか持っていなかったのに拘わらず、ダビデは神に信頼し、完全に自身を捧げ、神のみ心を求めました。神がダビデを 信頼し今日のみ言葉のように、素晴らしい内容の箇所を聖書に書き足すようにされたのは、こうしたことが背景にあります。ダビデは大変、現実主義的な人でし た。ですが、そうでない多くの経験をあまりにも多くしています。このため、ダビデは神様の恵みと良い方であることを、より鮮明に、より確かに確信を持った のです。

A:  私も、神様が真実であることを経験しています。それは、もう、言葉に表現できなほど、もう思い出せないほどです。常に、このことの輪郭をしっかりと心に 覚えていたいと思います。家内が心臓の問題で今日から入院する、今の状況は特にそうです。私とともにおられる方への確信と希望を現わしていくべきでしょ う。それを見て、人が信仰へと導かれるためです。それは、ちょうどダビデが信仰を何世代にも渡って建て上げ、神を指したのと同じです。私も、私の後に続く 人々に信仰が引き続き建つようにしていきます。私は自分の状況には現実的ですが、目の前の問題がどんなものであれ、神様の方がより現実的であることを心に 覚えていたいと思います。明日のことは分からないが、私の手を取って下さる方を知っている、という歌の通りです。

P:  お父様。あなたの誠を感謝します。ダビデと、ダビデが経験した、あなたが真実であることの記録を感謝します。私が、経験することの一つ一つを、積極的に 信頼を込めた祈りで、あなたに差し出せるように助けて下さい。そして、言葉にあるように、あなたからの平安で、私の主であるイエス・キリストの内にあっ て、私の心と思いを守って下さい。キャシーの今日の入院手続き。明日の血管造影に特別の恵みを与えて下さい。これは私たち夫婦にとって、かなりの特訓で す。私たちには勇気づけとなるあなたの誠が、まだ沢山あるのです。今日もあるも、すべてにおいて、あなたの完全な御意志がなされますように。あなたの御栄 光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

2009/05/17

詩篇 86:1-17

S: 詩篇 86:11
主よ。あなたの道を私に教えてください。私はあなたの真理のうちを歩みます。私の心を一つにしてください。御名を恐れるように。

O:  このみ言葉ほど、神様が喜んで祈りに答えるものはないでしょう。個人的な弱さを認め、謙虚に語られています。願い事というよりは、献身した祈りです。特 に情報過多である現代社会では、殆どの人は気持ちが散る生活をしているで、心を一つにと願うのは正しいことでしょう。ダビデはモーゼ5書を持っていただけ でした。恐らくヨシュア記、士師記、ヨブ記を持っていて、神様の方法を学び、頼っていたことでしょう。しかし、今日、私達には、旧約、新約の両方の聖書が あります。ですから、神様の方法を知らないなどの言い訳はできないわけです。ただし、ここで問題なのは、神様の真実をいったんは分かっていながらも、神と ともに歩もうとする人が、とても少ないことです。あまりにも多くの人たちが、この絶対なる真実を拒み、その過程で命そのものをも拒んでいるのです。重力の 法則と同じく、神様の真実も誰も否定できないことなのです。

A:  私も心を一つにしていないという問題持っています。神を求めながらも、多くのことに気を取られているのです。だからこそ、試練が必要なのでしょう。それ によって、何が大切なのかに鋭く焦点が合わせられますから。家内を失うかもしれないという恐れで、どれほど彼女が私にとって大きな祝福かが分かりました。 さらに、私がすべきことの優先順位事項が明確にされました!神様が真実な方であり、愛であると知っている私の神様への献身と信頼が試され、強められたので す。現実的に激しい不安でいっぱいです。それでも、私の信仰が最終的には良いものになると信じています。もちろん、医学的に見て、家内の今の病状でパニッ クになる必要がないのは承知していますが、34年前に家内を一旦、失ったことを思い出してしまうのです。それ以外にも、家内が死んでしまうのではないかと 思ったことは何度かあります。長女ルースが生まれた時の医療不手際からだったのですが、私の反応は確かに変わりました。神様が与えて下さった成長です。さ らに、私達がイエスのようになり、成長しているこの祝福が与えられたことを感謝します。

P:  お父様。あなたの恵み、愛、誠を感謝します。人間的な私の反応はパニック状態ですが、あなたを信頼できること感謝します。私の心を清めて下さり、私の焦 点を合わせて下さって感謝します。最近、読んだ本で、いわゆる天才とは、焦点と集中力の問題だと教えられました。有り難うございます。あなたに十分、焦点 を合わせ、集中していられますように。あなたを交わり、み心を行えますように。私があなたの御手で用いられ、キリストの体のために働けますように。あなた のご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/05/16

詩篇 84:1-12

S: 詩篇 84:12
万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。

O:  今朝は私流でこの箇所を歌っていました!この詩篇の中から沢山の歌が作られていますが、心と思いを尽くして聖書に触れるのに大変良い方法です。今日の節 の最後の部分は、詩篇全体のメインテーマ、つまり、神を信頼し、他の選択を排除し、神と共に生きることを要約したかのようです。その内容は私が最近、読ん だ本「Why Marriage Matters」と似ています。この本では、一夫一婦制が、他の形態の結婚制度に比べ、社会全体的にも、結婚に関わる人にも、優れていることを、客観的分 析を踏まえて示しています。同じように、神を信頼し、神の御霊と一歩一歩歩むことが大切です。そうした生き方をする人が少ないことは皮肉なことです。今 日、男女の一夫一婦制という知恵ある制度に挑む人が多いのです。神と共に歩くよりも、何かよい方法があるのではと考えるのです。それらは全て地獄からの嘘 です。私達の平安、繁栄、さらには命そのものを殺し、盗み、破壊しようとする試みなのです。

A: 神様の恵みによって、私は祝福された40年の単婚生活を持ち成長しています。53年間、神と共に歩んできましたが、結婚生活も神との歩みのどちらも私が個 人的に誇るべきではありません。神が私を導き、守って下さったのですから。ですから、私は聞いてくれる人すべてに、この二つのことを勧めていくべきです。 その際にも、私のように祝福を受けていない方を軽んじることのないように気をつけていきます。私はイエスの代表として、悪魔の仕業を打ち壊す(1ヨハネ 3:8)ために働き、多くの人の心と思いを曇らせている嘘と欺きを取り払いたいのです。しかし、それは唯一、愛によってのみなされるのです(1コリント 13)。私の人生が神様のご栄光のために、真実を現わすものでありたいのです。

P: お父様。あなたは本当に私を多く恵んで下さっています。この恵みを多くの方と分かち合い受けてほしいのです。そして、あなたの私達への現在、永遠にわたるご計画を歩むことの素晴らしさを彼らが分かりますように。有り難うございます。ハレルヤ!

2009年5月20日水曜日

2009/05/15

詩篇 77:1-15

S: 詩篇 77:11-12
私は、主のみわざを思い起こそう。まことに、昔からのあなたの奇しいわざを思い起こそう。私は、あなたのなさったすべてのことに思い巡らし、あなたのみわざを、静かに考えよう。

O:  私達を目の前の問題で気をそらすのが、悪魔の最も巧妙な作戦の一つです。私達の視界を壊そうとするのです。生来、人間はとても近視眼です。過去を見るこ ともあまりしません。この節では、詩篇作者は過去で神様が誠実であったことを振り返るという賢明な見方をしています。将来も、共にいて下さるという信仰を 持ち、修復させるためでした。私達の、神様との過去の関係を振りえってみると、それがとても短い時があり、あまり勇気づけられるものではありません。しか し、それでも神様がなさったことの目的と、なさったことが有益だったことを忘れてはいけません。だからこそ、聖書に出てくる物語は、その教えと同じくらい 重要なのです。自分の状況を知るためにも、従順、不従順の現実的な結果を見る必要があります。新約聖書は、旧約聖書の主な目的の一つは、このためであると 明確にしています(。1コリント10:6,11)ですから、神様の恵みと祝福の証しを互いに分かち合うのは、大きな益となるのです。神様が他の人に恵みと 祝福を与えてだ下さるなら、私にもなさると知るからです!

A:  私には神様との関係を振り返り、将来の自信を得るための、やり残しが沢山あり、まだ心配があります。神様は私の弱さを知っておられますが、そのために責 めてはおられません。神は、私により深く、より高いレベルぼ信頼と従順を求めておられます。キャシーを失うかもしれないと思うと辛くなります。それが、ほ んの束の間であると知っていてもです。主は私をご存知です。10年ちょっと前、主が私に語られました。主の愛を信頼せよ、と。そして、その通り、信頼し続 けるプロセスにあります!私達は、信仰と献身を一辺にやりたがりますが、それは継続して成長させるもので、日々新たにし、強めていくものです。パウロは、 その域に達していなかったことを証しました。さらに、あのバプテスマのヨハネでさえ、最後の投獄で、いぶかっています。私は、神様の手から離れてもよいレ ベルに達していると思わないようにします。丁度、幼子に父親が必要なのと同じです。私は、神様が導かれる所に従います。

P:  お父様。今朝、このことを有り難うございます。涙を流しましたが、リリースすることができ感謝します。あなたの誠、そして先祖から受け継ぎ、私自身あな たと歩むことで得た、あなたから頂いた豊かな豊かな遺産を感謝します。私に下さった誠実と、それを数年にわたって試し、鍛錬して下さり感謝します。今日も 歩けるように助けて下さい。日々、あなたのご臨在を確信して平安でありますように。出会う人すべてに私が信仰の伝い手になれますように。そして、より多く の人があなたに信頼することを学べますように。彼らの救いとあなたの御栄光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009/05/14

エズラ記 9:5-15

S: エズラ記 9:13
「私たちの悪い行いと、大きな罪過のために、これらすべてのことが私たちの上に起こって後、-事実、私たちの神、あなたは、私たちの咎の受けるべき刑罰よりも軽く罰し、このようにのがれた者を私たちに残してくださいました。」

O:   聖書では二度以上にわたって、代表的な悔い改めの記録が見られます。その悔い改めの中では、個人的には無実であるのに神の御前で、人々の罪のために悔いて います。まず、第一にダニエルが思い起こされ、詩篇にもその例が幾つか見られます。今日の節では、エズラの声高な公衆での悔い改めによって、他の人をも悔 い改めへと促されています。このような全ての場合の特徴として、悔い改めた人は、自分の犯した悪を認めただけでなく、神様が寛大で、慈愛に満ちた方である ことが分かりました。事実、これはおそらく、心からの悔い改めには、その通りです。自らの犯した悪のために、罰を受けたことで、神様に対して怒る人がいま すが、それは、まだ心から完全に悔い改めていないのです!ですから、神に怒ることは、とても危険なのです。(しばしば、まだ罰になっていないことにさえ、 私達は怒ってしまいがちです。しかし、私達が望むことを与えられないのは、その時は脇に逸れたことのようでも、むしろ訓練と憐みなのです。) 真の悔い改めは、神を聖、義なる審判と認めることにつながります。そう認めたときに、神が私達に対して、すでに恵み深い方であったことが分かります。神様 の神聖さを知るほどに、私達の希望がキリストの十字架にしかないことが理解できます。それによって、十字架に反することは、全て悔い改めるようになるで しょう。

A:   悔い改めるべき理由に関してなら、私は沢山あります。町を歩く平均的な人は、自分の罪について、ほんの少ししか気づいていません。彼らには、神様の神 聖さの啓示がないからです。しかし、私達は神様に近づくほど、私達が、自分の聖さではなく、神様の聖さに頼っていることが、はっきりと分かってきます。聖 さに関してなら、私達は汚いぼろ切れにすぎないのですから(イザヤの表現)。私は、悔い改めを日々、新たにし、聖霊様がスポットを当てておられないこと は、深く掘り下げず、神様が、その時に取り扱っておられることを見ます。私は悔い改めの必要性と特権を教え、信者が敗北ではなく、勝利の道を歩むように導 きます。確かに私達は有罪です。しかし、神様はその罪をもカヴァーする道を備えて下さっています。清められるのです。何と素晴らしい知らせでしょう。信者 が悪魔に騙され、敗北しないように、彼らの罪と神様の備えを理解するように助けて行きたいと思います。


P: お 父様。悔い改めの特権を感謝します。キリストの十字架を有り難うございます。十字架のために悔い改めることができるのです。悔い改めと反省の違いを理解 し、人に教えられるように助けて下さい。彼らが過去の罪を、あなたへの勝利へと変えられますように。あなたと共に、私達が正直であるように助けて下さい。 あなたの真実で私達を自由にしてください。あなたのご栄光のために。
感謝します。神様を賛美します!

2009/05/13

第2歴代誌 30:1-9

S:
第2歴代誌 「あなたがたの神、主は、情け深く、あわれみ深い方であり、もし、あなたがたが主に立ち返るなら、あなたがたから御顔をそむけるようなことを決してなさいません。」

O: このメッセージは、くり返し何度も聖書に出てきます。驚くことに、殆どの人はこれに応答していません。ここに書かれているように、多くの人は自分たちの時 にそれが値するとは考えられないでいます。しかし、多くの人が神に立ち返り、そして多くの祝福を受けています。信仰と反抗は全く不思議なものです。信仰と 服従による祝福はとても大きく、一方、反抗の結果は悲惨なものとなります。けれども、私達は祝福も結果も現実のものではないと捉えがちです。そして、まる で甘やかされた子供のように、不満でふくれっ面になり逃げ出すのです。神様は実に、「主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのに遅く、恵みとまことに富ん だ」(出エジプト記34:6とその他)方です。そうでなければ、とうの昔に私達は消し去られていたことでしょう!ペテロが、第2ペテロ3:9で指摘してい るように、神様は私達が滅びることを望まず、全ての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。

A:  私は、これまで数え切れないほど、主の忍耐を試していることになります。神様の恵みをしっかり確信し、大胆に教え広め、私自身でも軽んじることのないよ うに心がけていたいと思います。福音のため、神様の導きと油注ぎを求めます。さらに多くの人が受取り、救われるためです。

P:  お父様、あなたは私の弱さ、至らなさを、私以上にご存知です。そして、それでも私を愛して下さっています。有り難うございます。あなたの恵みと赦しの力 と深さを感謝します。栄光ある事実はキリストの十字架を通してのみ与えられること、恵みと赦しが必要なことを、人々が理解できるように油を注ぎ、助けて下 さい。あなたのみ心を行えるように、引き続き私のうちに働いて下さい。悪魔の働きが破壊され、多くの人が救われますように。あなたの御栄光のために。感謝 します。ハレルヤ!

2009年5月16日土曜日

2009/05/12

第2列王記 13:14-25

S:
第2列王記 13:19 神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、経ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことだろう。」

O:  神様から言われたことは、神様からストップがあるまで、それをやり続けなくてはならないという単純な教訓が、この節から学べます!ただ、ここでは、皮肉 にも、王は始めからエリシャがイスラエル真の戦いの力であることを知っていました。神の力が彼を通して行使されたからです。それで、エリシャは王に、窓か ら弓を射るという象徴的なことをさせています。弓で地面を射るように言われた、こうした状況下では、エリシャがやめるように言うまで、続けるのが賢明で しょう!しかし、王は愚かでした。まるで私たちと同じです。三回で十分だと感じ、預言者の指示に完全に従うことをしませんでした。私達も同じです。神様に 信頼することより、自分自身の理解と理性に頼まろうとします。箴言3:5が、はっきり教えるように、それはあまり賢明なことではありません。

A:  この点、私は何度も失敗をしています。そして、ようやく、ある程度は教訓を学んでいると思います。私ではなく、神が知恵者であると、深いレベルで気づいた ことは、私にとって最高の時でした。私の優れた知性が私の隠れ家である砦を見えなくさせていたようでしたから。それさえも、一つには、運動能力と社会性の まずさから来ていた部分もあります。私は、全ての人は、全ての分野で同じ立場にあるのだと、ようやく分かってきました。神様に比べたら、私達のやっている ことは、半導体を作るための完全に研磨されたシリコンディスクの不規則性とたいして変わりません。必要なことは、神様に焦点を合わせ、従うこと、そして、 それらが全てに関わっていることを理解することです。その服従には隣人を愛することも、もちろん含まれます。それによって、大きな恵みの中におかれるので す。それができて、私は、もはや何物にも心を悩ますことはなくなるのです。

P:  お父様。私への大きな忍耐を感謝します。導き、教え続けて下さってありがとうございます。とらさんが貸してくれたCDで、少し私の神学的見解が変わりま した。有り難うございます。はじめ、スピーカーの話しぶりは、私の耳に心地よくはなかったのですが、聖書論争への説得力ある話でした。私が成長を妨げる厳 格さを避けることができますように。むしろ、積極的に歩き、あなたにいつでも従うよう助けて下さい。キリストの体とあなたのご栄光のために。感謝します。 神様を賛美します!

2009年5月15日金曜日

2009/05/11

第2サムエルl 12:15-25

S: 第2サムエル 12:20
するとダビデは地から起き上がり、からだを洗って身に油を塗り、着物を着替えて、主の宮に入り、礼拝をしてから、自分の家に帰った。そして食事の用意をさせて、食事をとった。

O:  ダビデは神様とともに長く歩んでいたので、幾つかのことを学んでいます。つまり、私達は神様のあわれみに依っていること、そして、何が起こっても、神様 は依然,礼拝すべき方であること、などです。ここでのダビデの行動をしもべたちには奇妙に感じました。悲しみは、しばしば人の理性を失わせるものです。し かし、彼の行動がとても冷静であったので、しもべが奇妙に感じた理由の一つです。ダビデが望んだような解決を神様はなさらないことが分かった時にも、ダビ デは、ただ「主よ、あなたは神です。あなたは最善をご存知です。私はあなたを礼拝します。」と言っています。これは諦めではありません。これこそ信頼なの です。

A:  その時に望んだ方法で、問題が解決しなかったことが、私の人生には沢山あります。振り返ってみて、それらの多くは、神様のご計画が私の計画より、はるか に良かったことが分かります。神様は私達に、求め、探し、戸を叩くよう語っておられますが、先ず何よりも信頼が先にあるべきです。何が起ころうとも、神様 は信頼でき、拝むべきお方だということを、私は教え、覚えていたいと思います。特に、状況が思うように運ばない時ほどそうです。私は、もう何年も、心配に 多大のエネルギーを費やし、物ごとに関わってきました。そんな時は、ただ神様に信頼し、礼拝していればよかったのです!そうすることが平安と喜びに至る道 なのです。

P:  お父様、このみ言葉を有り難うございます。このみ言葉は、昨日あなたから頂いたメッセージそのままです。あなたの喜ばれる善が成されるために、ピリピ 2:13にあるように、私の内に働いて下さり感謝します。昨日の朝、運転中に語って下さり有り難うございます。信号機などで、いかに私が感情的エネルギー を浪費しているか教えて下さいました。愚かなことです。しかし、同様のことを、私は他の面でもやっているのです。あなたを信頼し、私が成長していることを 感謝します。私の喜びは何によっても揺るがされません。あなたからの語りかけ、私を通しての働いて下さることを望みます。そして、この恵みがこの教会の各 信者にだけではなく、他の多くの方々とも分かち合えますように。私達が堅く立ち、私達の愚かさのために、悪魔に平安と喜びを盗みとられることがありません ように。有り難うございます。神様を賛美します!

2009/05/10

民数紀 6:22-27

S: 民数紀 6:27
「彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」

O: 文化的に理解しようと試みて、日本語では完全にこの節の内容を見落としていま す。私が調べた全ての英訳は「彼らの上に私の名を置く」となっています。一方、日本語では「私の名で祈るなら」と訳されています。モーゼ5書中、この神の 言葉が、多神教文化にどっぷり浸かった人々に対してであることを考えると大変意義のあることです。ヤーベ以外に神はいないことを教えなくてはならなかった のです。NIVでは、すべて「主」でひとくくりにされていますが、原版ではヤーベとなっており、この節でも3度使われています。イスラエル人が周辺諸国を まねて、「バアルよ、雨を降らせよ」などと言わぬように、のちに起こることの機先を制されたのです。旧約聖書に出てくる人々の名前を調べてみると、「バア ル」を「主」の意味で用い、彼らの言語の一つとして定着していたことが分かります。たとえ、彼らが唯一の神を理解できなくとも、この節で、神はご自身だけ が彼らの神であることを示そうとなさっておられます。
A: ここでは、多神教に関連したことが多く書かれていますが、これは「八百万の神」である日本に大いに 関係しています。エホバの証人が、日本で、うまくいっていることの理由の一つでしょう。彼らは多くの名前にこだわっていますから。キリスト教では、父なる 神の御名をあまり用いません。このため、イエスが父なる神様ではないと聞くと、彼らは、やや困惑します。(もっとも、イエスはヨハネ10:30で「私と父 は一つである」と言っています。)ある時期、私はこの難題に困惑したことがあります。いまだに、その答えを見出してはいませんが、一般化していない専門用 語の世界と関係しているかもしれません。そして、クリスチャンと、異端と称される人々の混乱を招くかもしれません。神様の御名に敬虔に用いるように、聖書 ははっきりと述べています。ですから、日本人に神様がどなたであるかをしっかりと教えることができるように、神に求めていこうと思うのです。

P: お父様、私達の間で、また私達を通してなさっている全てのことに感謝します。昨 日、気づいたことがあります。有り難うございます。これまで気づかなかったことにも、また知っていたことにも感謝します。あなたが完全に信頼できるお方で あることに感謝します。どんな小さな心配ごとにも、ますますあなたを信頼するように助けて下さい。いつでも、あなたの御霊に充分従い、心の中であなたの御 名を高く掲げ、行動によって示せますように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

2009/05/09

出エジプト記 34:1-10

S:
出エジプト記 34:6-7 「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代に保ち、咎とそむきの罪を赦す者、罰すべき者を必ず罰して報いる者。父の咎を子に、子の子に、三代に、四代に。」

O: このみ言葉が英語より日本語の方が、はるかに短くおさまるのは興味深いことです。この内容が西洋的考えより、東洋的考えだからでしょう。どちらにしろ、大変、重要な箇所です。神様がご自身を表現なさったこの時まで、人々は一神教ではなく、ましてや、創造、空間、時間などの洗練された高次元な哲学は持っていなかったからです。神様は、まずご自身の優しさの部分から描写を始めておられますが、イスラエルの人は、神様の力を怖いものとして見ていたので、これは特に大切です。
むしろ、彼らは人を面白がり、攻撃を加える気まぐれな神々という概念に慣れていました。しかし、罪には結 果が伴うこと、そして、罪を犯させる存在を人間は止められないことを、神は非常に明確に教えています。この点に関し、最近、私達は過ちを過去の世代のせい だと主張し、今、ある責任を逃れようとしがちです。それでも神様との関係は続きます。聖書が、創世記から黙示録まで、明確に書き記してある通りです。つま り、一人ひとりが自分の罪に責任があるのです。大切なことは、周りの人に与える影響のためにだけではなく、のちの4世代に至るまでの影響のためにも、自身 の罪を避け、悔い改めることです。

A: 日本人は祖先を大切にすることにばかり目が行きますが、自分たち自身も、同じく、未来は先祖になる という現実を考えません。家内の友人のTさんが、「私は先祖の所に行くのだから」クリスチャンにはなれないと言いました。彼女は、子供や孫までも一緒に地 獄に引きずり落とすかもしれないことを考えていません。人々は、神様の掟と、彼らが掟を破ってきたことを知るべきでしょう。それによって、福音が、本当に良い知らせとなるのです。私は、神のみ前に個人的な責任の基礎を置き、人々が恵みを恵みとして理解し、神様のとてつもない愛と憐みを知ってほしいのです。

P: お父様。私は罪、義、裁きを悟れません。それは聖霊様の仕事だからです。聖霊様が私を通して働かれ るよう、どうか、私が充分に従い、用いられますように。自分でそうすることがありませんように。あなたの真実な言葉を語っていけますように。いつも、あな たの愛の内に働き、尊いあなたに自由に応答できるよう聞く人達を解放して下さい。彼らの救いとあなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

2009年5月12日火曜日

2009/05/08

出エジプト記 33:12-23

S:
出エジプト記 33:15 そこでモーセは申し上げた。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上がらせないでください。」

O: NIV版では、「あなたのご臨在」が、日本語訳では「あなたご自身が」となっています。またしても、へブル語の分かる人が必要です!神様はどこにでも偏在 なさっていますから、神様が「一緒においでになる」とは着目すべきです。「ご臨在」と私達が呼んでいることです。しかし、モーセがそうした理解(偏在)を 持っていたかどうかは疑わしく、日本語の意味の方がよりへブル語に近いかもしれません。いずれにせよ、大切なのは、モーセは神様なくしては、どこにも行き たくなかったこと、そして、神様はモーゼのそうした態度を非常に喜ばれたことです。アダムの罪は神のようになりたがり、神から離れ、その過程で神に不従順 になることです。モーゼはそれを覆し、神と一緒にいたいのだ、神なくしては無なのだから、と言っています。こうした心の在り方によって、彼は力強くされ、 神様に用いられたのです。

A: 「私を離れては、あなたがたは何もすることができません」(ヨハネ15: 5)というイエスの真理を学びました。私も、モーゼのような心の持ち方を常にしていたいと思います。ただ、私と一緒に行くように頼むだけでなく、神の望む 所ならばどこへでも、神と一緒に行くという選択をしたいのです。神は、確かに、私が以前全く知らない土地であったこの教会へと私を導いて下さいました。そ れは素晴らしいことです。私の無知と神に依り頼むことを、はっきりと気づかされたからです!パニックを遠ざけ、御霊とともに歩んでいきます。もはや、憂う ることなく、必要な知恵と導きをいただきます。神様のご計画は素晴らしいのです。そして、神様のご栄光のために、キリストにあって、その計画に私も与って いるのです。

P: お父様。あなたのご計画に感謝します。あなたのご栄光のために、あなたの時 宜にかなって御計画の中を、あなたと共に歩むよう助けて下さい。各信者に、あるいは、教会全体の集会において、あなたのご臨在が現われるよう祈ります。一 人ひとりに、あなたとあなたの救いを強く確信させて下さい。あなたの愛、恵み、力を周囲に示して下さい。そして、彼らをみそばに引き寄せて下さい。彼らの 救いとご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/05/07

創世記 33:1-11

S: 創世記 33:11
「どうか、私が持って来たこの祝いの品を受け取ってください。神が私を恵んでくださったので、私はたくさん持っていますから。」

O:  神様は多くの理由で私達を祝福して下さいます。しかし、その理由を私達に限定して考えたことは滅多にありませんし、焦点を当ててもいません。ここでは、 神様はヤコブを祝福しました。それによって、ヤコブがエサウを寛大に扱い、過去のことで怒っているエサウを和らげようとしたのです。この過程で、ヤコブの 家庭は、エサウの仕返しから守られ、それだけでなく、復讐の罪とと恐らくは殺人の罪からも守られました。最近は、「繁栄を約束する福音」の話題があります が、そうした教えの最大の問題は、繁栄、とりわけ物質的繁栄にばかり目が行くことです。これでは、人間の強欲さに拍車をかけてしまいます。神様は神の子供 たちを祝福したがっておられ、それが、時には物質的祝福だったりもしますが、豊かさそのものを求めると罠に陥るでしょう。私達は神様の祝福に感謝しましょ う。だた、神様の祝福を期待していましょう。しかし、その場合も、マタイ6::33でイエスが言われたように、神様と神の国を第一に求めましょう。さもな くば、ひどい欺きにあうでしょう。

A:  私達への神様からの恵みは、豊か過ぎて、説教では十分に触れることができません。ですが、横行している様々な教義で信者が惑わされないように、私は、彼 らにしっかりと恵みを教えていきます。各信者が固く御言葉に立ち、たやすく騙されないよう教えていきます。それによって、彼らの目が開き、神様の子供たち に対する素晴らしい恵みを分かってほしいのです。頼み、神様から大きな期待を抱くことと、貪欲さとおこがましさの違いを学んでほしいのです。私達の動機 は、この点でよく混乱しがちです。ですから聖霊様に、神様の真実を教えていただき、道をまっすぐに整えていただきましょう。

P:  お父様。あなたがなさっている全てに感謝します。若者たちがユースキャンプに出かけました。そこでの彼らの経験に感謝します。彼らは驚いています!見聞 きしたことの幾分かは、彼らの境界を広げ、幾分かは受け入れることができませんでした。彼ら一人ひとりに私が働きかけ、彼らが道から逸れることのありませ んように。むしろ、彼らのあなたへの献身がますます深まり、御言葉を理解できますように。あなたの意図しておられる方法で、聖霊の賜物が働ける教会に導く ように私を助けて下さい。賜物を否定したり、あなたからの賜物を求めないことがありませんように。御国のために、あなたの言われるように全体となり、私達 が一丸となれますように。あな栄光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009年5月11日月曜日

2009/05/06

創世記 6:5-8

S: 創世記 6:6, 8
それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。しかし、ノアは、主の心にかなっていた。

O:  この節を馬鹿げた神人同形説だと主張する人がいますが、聖書は、私達の罪が神を悲しませたと、はっきり指摘しています。パウロが神の聖霊を悲しませては いけない(エペソ4:30)と、新約聖書で教えています。今日の節から、新約聖書のこの箇所まで、感情は私達が神に似せて作られたことの一つだと聖書は教 えています。8節は、とても興味深いですね。「ノアは主の目に恵みを見た」と訳する人もいます(この節で恵みを主題としてあるのは、そうした理由からで す)。一方、NIV版では、「心にかなっていた」となっており、日本語訳でも、「ノアは、主の心にかなっていた」となっています。へブル語が分かる同居人 はいませんので(ギリシア語の分かる同居人はいますが)、自分で調べて確かめるしかありません!このあとを読んでも明らかなように、ノアは完璧ではありま せん。しかし、大変な苦労、嘲笑、神に従う代価をいとわなかったことに着目すべきでしょう。神は、ノアに箱舟建設を命じる前から、ノアの心を知っていまし た。そのことを、この節述べているのです。ダビデがひどい罪を犯しながら、なおも、神の御心を求めたとして語られたように、ノアも、また、少なくとも正し い方向に向いていたのです。私達は罪を犯さないように気をつけるべきですが、もし、罪を犯したと気づいたなら、ただちに悔い改めるべきです。しかし、最も 基本的なことは、心の在り方で、それこそ、神様の求めておられることです。

A:  私は、私の心は神様に従っていると思いますが、それで罪の言い訳にしてはいけません。そして、私は人の罪を戒めますが、それは、彼ら個々の罪にというよ りは、むしろ彼らの心の在り方に焦点を当てていきます。もし、心が正しいならば、その人は、正しくなるために必要なことを受け入れるために、聖霊に心を十 分開くでしょう。比較的、小さな罪であっても、それが心の問題を表わしている場合があります。また、大きな罪でも、ほんの束の間の小さなことであったりし ます。そこは、神様に判断を委ねるとして、周辺の問題よりも、むしろ神様を見ていたいと思います。

P:  お父様。あなたの恵みを感謝します。あなたの恵みなしで、誰も立つことはできません!どうか、私が教師として、恵みを伝えることができますように。下ら ない、安っぽい恵みではありません。あなたの恵みは、主イエス・キリストの血と体の代価なのですから。あなたを悲しませることのありませんように。聖霊様 を遠ざけることのありませんように。私を通して、ますますあなたからの御霊を流せるように、心を開いていけますように。生ける川の水となり、多くの人が、 その水を飲み、命を得て、救われますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/05/05

黙示 3:14-22

S: 黙示 3:19-20
わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

O:  ラオデキアの教会にあてたこの手紙全体は、今日のアメリカの教会に向けているかのような内容です。しかし、各信者がこれを読んで、他人事のように考える のは危険です。むしろ、自ら応用するべきです。19節はへブル12の繰り返しで、箴言3の引用です。聖書は、驚くほどに一貫しています!さらに、子どもを 正しくしつけなかった親は、たとえ親が、どう感じようとも、子どもをうまく愛することができないということも、この節から読み取ることができます。。子ど もを正しくしつけるには、大変な労力と感情のエネルギーを要し、多くの親たちは苦慮しています。20節は、殆どの人が想像できないような、神様との親しい 関係を約束しています。誰かと食事を共にするという行為は、受容を現わすことです。ですから、ペテロがコルネリオ(使徒10)の家で食事をしたのは大きな 出来事でした。それだけでなく、重要な位の人がある人の家で食事をする時に、位の低い人は大抵、僕として仕え、位の高い人が食べ終わるまで、食べません。 しかし、イエスは、私達の心に来る時は、私達を等しい立場でいたいと語りました。イエスは主であり、間違いは犯されません。それでも、なお、イエスは私達 の親友でありたいと望んでおられるのです。

A:  私は、長いこと、神との親しい関係こそが、救いの真の目的だと思っています。そして、そうした親しい関係を、ますます味わっていますが、まだ、この点で も大いに成長すべきでしょう。親しい交わりと救いを思うと、天の御国が、本当に楽しみです!しかし、天の御国まで、その親しい関係を伸ばすべきではありま せん。神様との親しい関係の邪魔が入らないように、聖霊様を抑制したり、悲しませるべきではありません。これは、私自信の努力によって達成できませんが、 自発的な協力と献身が求められます。

P: お父様。あなたが私に望んでおられること、私を通してなさりたいことの全てに、私は献身して協力する選択をします。こ今日の説と、ヨハネ14~17で、イ エスが教えておられる神様との親密な関係を、ともに享受するためです。イエスのように、私の成長し、あなたのみ業だけを見て、あなたのしもべとして、あな たの言葉だけを語れますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/05/04

黙示 1:1-8

S: 黙示 1:5-6
イエス・キリストは私たちを愛し、その血によって私たちを罪から解き放ち、また、私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。キリストに栄光と力が、とこしえにあるように。アーメン。

O: ここに、また福音の表現があります。大切なのは、私達が、キリストの血によって自由にされているだけでなく、王国とし、父である神のために祭司とされているという点です。どんな旅も、スタートが目的地であるのと同じで、私達の救いも、救われたことから出て、救われたあと、へと行きます。今の時点で、救 われている私達のほとんどは、何から救われているかさえ、はっきりと分からないでいます。そして、救われて、どうなるかが、ぼんやりとしか分かっていませ ん。ですから、クリスチャンの生活というのは、発見の旅なのです。あのパウロでさえ、まだ到達していないことを強調していますし(ピリピ4: 12~14)、私達も、ゴールに向けて進み続けていくべきです。そうすればするほど、ゴールがはっきりと分かってきます。

A: 何から救われ、救われてどうなるのかを、日本のクリスチャンに目を覚まし理解してもらうことは、私が個人 的に情熱をかけていることです。多くの人が、人生という旅の目的を、あまり分かってはいません。ですから、彼らに理解してもらうのは大変です。 その点、神様が人を何から救われたのかを理解させるのに、Ray ComfortのCDは、私に大いに役立っています。CDで学んだことを、教え続けたいと思います。それは、とても重要なことで、私の個人的な焦点は全て の信者が、神様の望まれることを行い、キリストのうちにあることです。「王国と祭司」の表現は、説明をしないと彼らを惑わせてしまうでしょう。神様が彼ら にご用意なさっている豊かな栄光に彼らの目が開くように、聖霊様の力と知恵を求めます。また、王国に入れるように彼らを教えるのではなく、私自身がキリス トにあって歩むべきです。

P: お父様。昨日の素晴らしい礼拝と、昨夜の会話に感謝します。あなたがRay ComfortのCDで示して下さったことを、CDを聞いて24時間以内に実行できました。有り難うございます。これ以上、にせのクリスチャン改宗者を生 み出さないために、私の伝道で、人々が何から救われたかを理解してもらう手助けがいつでもできますように。昨夜は、二人の男性に、あなたが準備して下さっ た豊かさを表現する機会がありました。この教会の信者一人ひとりが、あなたの聖霊が注がれ、満たされるために心開くよう祈ります。そして、この教会のあら ゆる点で、一人ひとりの信者が、あなたが望んでおられる栄光から栄光へと変えられますように。あなたのご栄光とみ心の成就のために。感謝します。ハレル ヤ!

2009年5月6日水曜日

2009/05/03

第1ヨハネ 4:1-3

S: 第1ヨハネ 4:1
愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。

O: ま ず、今日の聖書日課を1~6節とすべきでした。しかし、今日の節は重要な真実を含んでいます。悪魔はだまします。力の限りを尽くして、だまそうとします。 大変誠実で、はっきりと霊的なものを受け、感銘を受けながらも、ここでヨハネが教えている識別に欠ける人達を知っています。科学は霊的領域の現実を認めて いません。多くは、経験に基づいた実証がないからです。しかし、この節は実証可能な見極めについて語っています。大切なことは、イエスが、「蛇のようにさ とく、鳩のようにすなおでありなさい。」(マタイ10:16)と教えている通りです。「統合失調症」と診断された人が、悪霊の存在を知り、その声が聞こえ るのとは、あまり大きな関連はありません。Yさんは、彼の幻聴に、聖霊がどうか尋ね、その声は、違うと答えました。ヨハネが、必ずしも霊について書いたの ではなく、聞こえた声を試し、吟味すべきだと言うことです。聖書に精通していなければ、正常からの逸脱がはっきりと分かりません。ですから、聖書にしっか りと親しんでいるべきなのです。

A:  私は、何やら「あやしい」信奉者の集まりに参加した説教者を多く知っています。彼らのうちの幾人かは、嘘、あるいは少なくとも、ひどく騙されています。 しかし、私は、また、こうした動き全体が非難されるのも憂慮しています。神様は時に人々を、敵対から救うために極端なことが起こるのを容認されるからで す。確かに、この世と信仰ムーブメントに、何かが実際に起こっています。けれども、聖書は私達が信じること、語ること、の重要性について多くをさいて教え ています。「オーソドックス」グループは、それを認めたがりません。私は、祖父と同じ立場を取っていきます。「Dr. Carverの反論の問題点というのは、それがあまりにも聖書的なことだ」と祖父は言われていました。私が望むのは、神様の真実すべてですが、また、いか なる欺きの霊に気をつけているべきです。

P:  お父様。私への恵みを感謝します。私にあなたの御言葉を注いで下さり感謝します。どんな欺きにも屈しないための見極めができますように。私は、人の意見 で(聖書に堅く立っていない人や、聖書の部分を否定する人達)たじろぐことなく、あなたの真実のうちを正しく歩き、教えていけるように助けて下さい。私 が、この教会を、あなたの望まれる素晴らしい教会へと指導する器となれますように。欺きによって逸れることがありませんように。そして、あなたの時宜にか なって、ご計画が成就しますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009年5月5日火曜日

2009/05/02

第1ペテロ 5:1-11

S: 第1ペテロ 5:7
あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださいるからです。
O: 何ということでしょう!この箇所全体(1-11節)は強く私に響くので、どの部分でもについて書くこともできたでしょう!この短い節はとても有名です。全て私達は心配しがちだか らです。まず、イエスの山上の垂訓の説教に始まり(マタイ6:25~34)新約聖書は、多くの箇所で、心配しないように諌めています。そ れほど、心配し過ぎることが問題なのです。私はこの節の日本語表現が気に入っています。英語では、普通、「心配」と訳しますが、日本語の字義は、「心を配 る」という意味で、宅配に使う漢字と同じ文字を使います。神様は神様の心を私達に送って下さったのですから、心配しなくてはならない理由はないのです!神 様が私達を愛して下さっているので、神様に全てを明け渡すべきです。ペテロは、人間が心配することを知っていました。それが人間の性質だからです。しか し、一つ一つを神様に明け渡すべきです。私達には対処できなくても、神様はどんなことにも対処できるからです。
A: 人生の様々な点で、私は、あまり心配しない方だと 思っています。けれども、率直に見てみると違います。私は何でも自分で分かろうとするたちです。つまり、まさに心配しているのです。知的なアプローチがま ずいと言っているのではありません。私達の思いは神様からの賜物であり、思いを用いることを神様は望んでおられるのですから。ここで言いたいことは、つま り、答えが最終的に私達にあると考えてはいけないことです。神様が神様であることを、そして、私達は人間であることを、いつの時も覚えていましょう。私自 身、これまで数えきれないほどに傲慢な思いにかられ、そうした思いに、必ずしも、うまく払いのけることができませんでした。「コントールする」の究極の表 現は自殺です。実は、私もその思いにかられたことがあります。神様の恵みが、その思いを止めてくださいました。ただ、私の動機は愚かなプライドからだった のです。神が神であること、神様の思いを私に送って下さっていることを、いつも、いかなるレベルにおいても覚えておくべきです。コントロールされずにいる ことは、とても良いことです。
P: お父様。60年と7ヶ月半以上、私に驚くばかりの恵みを与えて下さり感謝しま す。あなたが私を、この場所にどれほど長く居させようとも、あなたの恵みに頼っていることを感謝します。たとえ、これから、さらに60年が与えられたとし ても同じです!あなたに十分信頼できなかったことで、何度も、色んなことで、私自身で問題を起こしたことがあります。事ごとに、感謝をもって祈りと願いを 捧げ、求めるところをあなたに申し上げ(エペソ4:6)、あなたが善であり、あなたに喜ばれ、かつ全きことであるかを知るべきなのです(ローマ12: 2)。有り難うございます。神様を賛美します!

2009年5月4日月曜日

2009/05/01

第1ペテロ 4:12-19

S: 第1ペテロ 4:17
なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さがきが、まず私たちから始まるのでしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。

O:  アメリカで起こっていることを読めば読むほど、ますます裁きのことを思います。ローマ1にあるように、アメリカの教会をはじめ、アメリカが望んできた以 上のことを神様はアメリカに与えて下さいました。真のクリスチャンは、彼らが思っているより、はるかに少ない数であることを知るだろうと、 Charisma Magazineである人が指摘していましてた。私と他にも多くの人が、もう何年にも渡って、大掃除のためにアメリカの教会は迫害を経験する必要があると 述べてきました。しかし、それを見るのは心痛むことで す。迫害、大掃除となるのを憎まないではいられませんが、しかしそれ以上のとりなしが適切にあります。アメリカはキリスト教国家として知られており、どの 国よりも世界中に宣教師を派遣しています。それで、なおさら見えなくなっているのですが、状況は、さらに劇的なものとなっています。彼らは、9、11で目 が覚めました。主が反キリスト政府を転覆しようとなさったのですが、すぐに、また彼らは不道徳に戻ってしまったのです。

A: 日本はキリスト教国家ではありませんが、現在は、クリスチャンに対してアメリカほど敵意を持ってはいません。そうした日本に住んでいながら、米国市 民権を持っている私は、あいまいな状況にあります。アメリカのために、特にアメリカの教会のために、私はとりなしの祈りをしますが、この問題にばかり目を 向けていてはいけないでしょう。むしろ、私は、日本でキリストの弟子を作るという、私に与えられた働きをするべきです。私がアメリカのいかなる教会組織か らも、経済的援助を受けていないのは幸いです。援助を受けている宣教師の方々のために祈ります。受けている援助はすぐに、無くなってしまうかもしれませ ん。同時に、私はこの教会を、神様の視線で見つめ、裁きの対象とならないためにも、神様に喜ばれない点は悔い改めていきます。

P:  お父様。私はアメリカを嘆いています。あなたに目を留め、あなたにあって喜べるように助けてください。あなたが私に祈ってほしいと望んでおられることを 軽視せずに、また、疲弊されることもありませんように。日本と同じようにアメリカを憐れんで下さい。あなたの真の子どもたちが守られ、キリストの愛、恵 み、清さの証し人として、しっかりと強く立ち上がりますように。そして、あなたのご栄光のために大きな収穫がありますように。感謝します。ハレルヤ!

2009/04/30

第1ペテロ 1:13-25

S: 第1ペテロ 1:13
ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。

O:  私は、この節の日本語が早口言葉か何かのように感じます。それを表す英語表現がないとしたら、その意味がぴったりと来ないでしょう。その意味合いが大変 重要なので、残念なことです。ペテロは人生のゴールについて語っています。つまり、この世(サタン)は、金銭、個人的な権力、物質的快楽などにゴールを置 くように仕向け、それらは、すべて、仕掛けられた罠で、教会にさえ入りこんでいます。ペテロは私達のゴールがこの世ではなく、恵みにあると教えているので す。つまり、悪魔が私達の目の前にちらつかせている物に、心を奪われてはいけないのです。もちろん、清さを誇るのも良くありません。清さも、また神様から の恵みだからです。裁きの日に神様は、信仰に報いて下さいますが、それは、私達の信仰に応じた神様の恵みによるものです。ですから、誇るべきではありませ ん。キリストの再来が、いかに素晴らしいか、私達は想像ができませんが、報いに焦点を当てれば当てるほどに、自己管理をして、正しく歩み続けられるので す。

A:  報いに焦点を合わせる事が欠けていたため私はさ迷った事があります。それでも、神様は真実なお方でした。私が信仰深くなかった時でさえです。私達は信仰 によって一つなのですから、私は周りの人を助け、励ましていきたいと思っています。それぞれが頂いている召しにふさわしく、諌め、励まし、互いに助けあう ことは、教会の重要な役目の一つです。この点に関しての牧師としての私の責任は、普通の以上に大きく、軽く扱うべきではないと思います。私自身が聖くある よう心がけ、しかし、人に聖くあるようう勧める時は、見下さないように注意していきます。敵はずる賢いのですが、私達が望むなら、私達を満たし、強めたい と望んでおられる聖霊様の知恵と力にはおよびません。

P: お父様。あなたが、なさっていることに感謝します。大抵、私は喜んでいるのですが、昨夜は落ち着きませんでした。しかし、あなたが全てをうまく整えて下さいました。私 が周囲の人への良い模範となり、励ましとなるように助けて下さい。ただ仕事をこなすのでも、裁くだけの人でもありませんように。Rさんが、彼女の人生で、 今、方向を変えようとしています。その恵みに感謝します。どうぞ、彼女に平安と体力を与えてください。そして何よりも、昨日私が祈ったように、あなたから の愛を確信できますように。J君が、さまざまな点で成長を続けています。有り難うございます。さらに影響を受けるように、これからも彼が進めるように導い て下さい。主よ、あなたは私達の心と命に働いて下さっています。私達みんなが、喜びある従順さで、あなたに応答できるように助けて下さい。

2009年5月2日土曜日

2009/04/29

第1ペテロ 1:3-12

S: 第1ペテロ 1:6-7
そ ういうわけで、あなたがたは大いに喜んでいます。いまは、しばらくの間、さまざまの試練の中で、悲しまなければならないのですが、あなたがたの信仰の試練 は、火で精錬されつつなお朽ちて行く金より尊く、イエス・キリストの現れのときに称賛と光栄と栄誉になることがわかります。
O:  こ のみ言葉で心に響いたのは、クリスチャンは悲しんだり、苦しんだりしない、ということにではなく、試練の中にあっても、これから先のことを知っているの で、喜んでいられることです。砂漠で、鉄のコンテナ船に幽閉されたソマリヤの信者の証しを思い出しました。夜は凍え、日中は焦げつく暑さでした。神様が天 国で彼らのためにご用意なさっていることが、あまりにも素晴らしいので、目の前の苦悩が小さく思えるのだと、のちに彼らは語りました。神様と一緒にいられ る永遠に比べると、現在の問題は束の間だと言っていました。クリスチャンは苦しまなくて良いと言う人たちがいますが、聖書は、そうでないことを教えていま す。私達は、苦悩に対して、大変恐れがちです!ピリピ2:5で、「あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちに見ら れるものです。」と教えています。へブル12:2で、そのお方が「はずかしめをものともせずに十字架を忍んで」くださったと教えています。目の前の問題に ばかり集中していると、耐えるのが難しくなってきます。パウロが言ったように、神様と、神様が私達にご用意なさったものに、焦点を合わせるほど、ますます 喜びに満たされるのです。
A:  私は、この教訓を長い間、学び続けていますが、感謝なことに改善されてきています。しかし、私の周りには、本当に小さな悩みなのに、そのことにしか集中 していない人が沢山います。正直なところ、彼らを揺さぶって、自己中心をやめるように教えたい衝動にかられます。勿論、そのやり方は、うまくいきません! 神様が私に下さった恵みを思い出し、同じ恵みがほかの方にも与えられていることを覚えて、彼らがうつむくのではなく、上を見上げ、内向になるのではなく外 向になるよう励ましていきます。私達は率直な評価が必要です。そのためには、内省の態度がある程度求められますが、そのことに拘泥していると、すぐに病的 になってしまうでしょう。
P:  お父様。日曜の証し、先週の日曜のひろき兄弟の証しを感謝します。あなたからの私達への溢れんばかりの恵みの感謝を強調していました。Rさんへの恵みを お願いします。彼女は、自分自身しか見ていないので、最悪の敵が自分自身なのです。そのままの彼女をあなたが愛しておられること、また、ただ感謝を持って 従い、あなたからの愛を勝ち取らなくて良いのだと、彼女が分かりますように。Mさんへのことを感謝します。彼女の新たな輝きを有り難うございます。彼女の 霊が見事に癒されたように、病からも完全に癒されるよう祈ります。私が出会う全ての人をあなたへと引きよせるように助けて下さい。彼らの目があなたを見上 げ、渦中で、あるいは過ぎたことにでも、あなたからの勝利を受け取れますように。彼らの祝福とあなたのご栄光のために。ハレルヤ!

2009/04/28

第2テモテ 1:3-12

S: 第2テモテ 1:12
しかし、私はそれを恥とは思っていません。というのは、私は、自分の信じて来た方をよく知っており、また、その方は私のお任せしたものを、かの日のために守ってくださることができると確信しているからです。

O:  日曜礼拝メッセージを完全にするための続きです!私達が神様をよく知るために聖霊様が与えらています。神様を知り親しくなると、この地上で恐れがなくな ります。なぜなら、パウロが言った、「キリスト・イエスにおいて、ともに天の所にすわらせて下さいました。」(エペソ2:6)ことを私達は知っているから です。今、世界中でペンテコステの信者が増えているのは、そうした理由からです。ペンテコステの人は、聖霊の経験がない人よりも、より強い確信を持ってい るのです。私の個人的な感想では、「バプテコスタル」(聖霊の強い経験を持ったバプテスト)の人たちが、この目的のために備えられていると思います。乾い た学際的な知識ではなく、彼らは聖書に堅く根ざしており、聖霊とともに生きているからです。

A:  今、私が書いたことは、自惚れに聞こえるかもしれません。私自身が「バプテコスタル」の範疇に属するからです。しかし、私の経験も、聖書も、どちらも否 定できません。「古典的」ぺンテコスタの人たちと、幾つか賛同できない点がありますが、なお、全ての信者は、啓示や賜物があろうがあるまいが、聖霊に満た される必要があると強く信じます。信者がキリストにあって何者かに目覚めるというビジョンを私はもっているのですが、聖霊に満たされることが、その唯一の 方法なのです。聖霊の恵みと力を通して神様を知る時、主イエス・キリストにあって私達が何者かを理解できるのです。十字架の全ての祝福を手に入れることが できるのは、聖霊によってだけなのです。

P:  お父様。この数日、あなたがなさったことに感謝します。昨日の病院の予約を有り難うございます。Mさんは元気でした。私は主治医の先生と話すことができ ました。パソコンの問題も解決し、集中して、パソコンを使い仕事ができます。牧師会は友愛にあふれた良い集まりでした。大村の牧師、神父、信者が聖霊に満 たされることを祈ります。あなたをよく知り、キリストを通してして下さったことを、彼らが知るためです。そして、彼らを通してあなたがなさりたいことのた めに、彼らが仕えますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/04/27

第2テサロニケ 1:3-12

S:
第2テサロニケ 1:11 そのためにも、私たちはいつも、あなたがたのために祈っています。どうか、私たちの神が、あなたがたをお召しにふさわしい者にし、また御力によって善を慕うあらゆる願いと信仰の働きとを全っとうしてくださいますように。

O: この御言葉は、NIV版よりも本語訳の方が豊かな意味合いを含んでいるようです。(「善を慕うあらゆる願い」を「良い目的」と比較しています。)「義に飢 え渇く者は幸いです。」(マタイ5:6)のイエスの山上の垂訓を思い出します。さらに、ピリピ2:13の「神は、み心のままに、あなたがたのうちに働いて 志を立てさせ、事を行わせて下さるのです。」も思い出します。祈りが神様のみ心にかなっているなら、神様は喜んで祈りを聞いて下さいます。私達が神様に近 づくほど、神様のみ心を行いたいと、ますます思うようになるものです。


A:  信者一人一人のために祈るのに、この節は私の助けとなってくれます。それは、この節で、自己中心的な願いと神様の望みを区別できるからです。私は、信者 の望みや、祈りのリクエストを無視するべきではありません。神様に命じるのではなく、全てを神様のみ心に委ねるという形で、信者に確信を持って祈っていき ます。

P: お父様、昨日の素晴らしい礼拝を感謝します。様々な証しと祈りのリクエストがあったことを感謝します。個人として、教会全体として、私達を本当に成長させ て下さって有り難うございます。どんな理由であれ、私が後退するのではなく、むしろ、あなたのご計画とみ心が成就するために働けますように。確かに、私達 は新しい時期に入っています。これまでになかったことです。小林兄弟が証しで言ってくれたように、一つ一つの仕事に集中するためにも、あなたに目を留め続 けていられますように。私達が気を逸らすのではなく、あなたのスケジュールにそってあなたの目的が成就しますように。あなたのご栄光のために。有り難うご ざいます。ハレルヤ!