2009年4月29日水曜日

2009/04/26

コロサイ 1:24-29

S: コロサイ 1:28-29
私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、努力しながら奮闘しています。


O: この節も、また、全ての牧師への召しの御言葉です!「すべての人を、キリストにある成人(成熟)として立たせる」ことは不可能のようですが、それは私達自 身の力によるのではなく、キリストの力によって、うまく均衡が保たれます。その働きは「戒め、教え」ることで与えらます。あることに秀でた牧師もいます が、適正なバランスを持った牧師は殆どいません。両方を上手くこなす鍵は励ましていく方法にあります。信者の生き方に、希望と神様の目的が成就するように 鼓舞することです。全ての人にとって、これは難しいことです!成長を嫌い、甘やかされ、あるいは、霊的な自殺という選択さえしてしまうなど、霊的成熟を拒 んでしまうのが現実です。しかし、それで神様をあきらめる口実にはなりません。確かに苦しいものですが、キリストの力が働いてくれます。

A:  今。まさに私はこの問題に直面しています。と言うのも、ある親切な夫婦が、私達が彼らを十分に歓迎しなかったために、もう、この教会には来ないと告げた からです。もし、彼女が、教会に来なくなった理由を教えてくれなかったら、私は、Mark Estesの「ケアの文化」をうまく構築できていなかったことに気づかなったことでしょう。主は、私にMark Estesのセミナーに出席させてくださいました。そこで私はDVDを買い、家に持って帰ってきたのです。ですが、教会内に、この教えを伝えることをして いませんでした。信者にセミナーの内容を理解させ、ケアの文化を実践していなかったのです。ケアーは大変な仕事です。特に牧師にとっては!私は、努力し て、信者を諌め、教えながら、霊的成長のケアをしていかねばなりません。私が教え、それでも、信者が教えを受け入れないのならば、それは彼らの責任です。 正しい態度ではありません。諌めることは教えに必要なことです。しかし、今の問題が示しているように、私が教えを怠っているのです。つまり、人ではなく、 私自身が責められるべきです。


P: お父様。気づかせて下さり感謝します。目を覚ましているように助けて下さい!例のご夫婦がクリスチャンであったことを感謝します。なぜなら、彼らはすでに 救われていて、ただ交わり方の問題だからです。私から始めていきますが、どうぞ、ケアの文化をどう教えていくか示して下さい。殆どの信者は、ケアの表現と して、私がしていることを分かっていません。これ見よがしにしているのではありませんから、信者が気づかなくとも、それ自体は悪くありません。しかし、彼 らは手本によって訓練され、手助けされる必要があります。誰とでも広く付き合うことは、私の能力では不足していて難しいことですから、信者を指導するため にも、あなたの助けと強さを求めます。信者は多忙です。ですが、基本的な問題は、私が抱えている問題と同じように、ケアに関わることでもあります。信者が 彼らの快適範囲から抜け出すためには、私自身が快適範囲から抜け出るべきでしょう。そのための、あなたからの恵みと油注ぎを求めます。キリストの体のため に、そしてあなたのご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美しま。

2009/04/25

ピリピ 3:7-16

S: Philippians 3:16
それはそうとして、私たちはすでに達しているところを基準として、進むべきです。

O:  パウロ自身が述べているように、完全な人などいません。しかし、私達の明らかなる不完全さを、罪の口実にしてはいけません。イエスのようになることを目 標とし、自分自身が今いる状態に満足しないようにしましょう。最近の自己尊重の動向は、私達がそのままで素晴らしいのだと言うように教えています。ある意 味で、それは真実ですが、自己満足では前進できません。「栄光から栄光へ」(NIVでは「栄光が増し加わる」)へと姿を変えられていくと(2コリント3: 18)、パウロは表現していますが、神様の子供であることは栄光あることで、それだけではなく、さらにその先があり、進歩を止めるべきではないと教えてい ます。この節は、私達が現在の成熟の度合いを考えるべきだと教えているのです。その成熟の基準は神様との親しい関係、従うこと、そこからスタートし、そし てそこに向かって進むべきです。


A:   私と同じようでないからと、他の方々を裁きたい誘惑にかられる時があります。しかし、それは、つまり私が、さらに成長しなくてはいけないことを示して います!人の成熟度を他の人と比較してはいけませんが、私は信者全てが成長し続けるように励ましていくべきでしょう。神様が与えて下さっている状況と機会 にどう対応するか、私達は責任を負っています。どう仕えるかで、神様は次の仕事を与えて下さるのです。神様のゴールは私達がキリストに似た者と変えられる ことです。その成熟度に達した時に、神様と十分、交われるからです。神様は、その状態を望んでおられます。私は信者の心に、そのことを描いていきたいと思 います。信者が、変えられることを心から望み、そのために働いて欲しいのです。もちろん、私も目標をしっかり持ち、心と思いにしっかり留めていたいと思い ます。

P:  お父様。このことを思い起こさせて下さり有り難うございます。さらに前進しなくてはいけないこと、成長しなくてはいけないことに、心からの謙虚さで歩む ように助けて下さい。そして、私が、どこに、どのようにいるか、あなたが私を用いて下さるという確信を謙虚に持ち、歩むよう助けて下さい。常に成長するビ ジョンを、彼らが望み、努力できる方法で、信者に伝えることができますように。まだ、自分は人を引き寄せたり、あるいは自分以上に人を高められない、神様 に用いられるほどではないと、信者に思わせることがありませんように。成長する教会となるように、御計画にそって、個人的にも、教会全体としても私達を助 けて下さい。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/04/24

エペソ 3:2-13

S: エペソ 3:12 私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信をもって神に近づくことができるのです。

O: これは、十字架の御業が下さる最も根源的な祝福の一つです。キリ ストの贖いの死を離れて、私達は神様に近づくこともできなければ、その権利もありません。キリストの完全な清さに触れた瞬間、私達は完全に打ち壊されてし まうでしょう。しかし、キリストは人となられ、そして十字架で罪を負って下さいました。キリストを信じる者は、キリストを通して神に近づけます。しかも、 大胆に自信を持って、神の御元に近づけるのです。へブル書では、「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、 大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか」(へブル4:16)と励ましています。私達は、神様をサンタクロースのように思い、どんな望みも叶えてもら えると期待する、甘やかされた子供のようになりがちです。あるいは、自分の罪に目が行き、神様を恐れて全く近づけないでいます。事実は、まさしく、そう、 私達は罪深いのです。神に近づく権利など、受け継いでいません。しかし、御子の血と体を通して、私達が神様の御元に行き、相続人になれるようにして下さい ました。一生かかって、この全てのかかわりが、私達の思いと心に沁み入るのでしょう!

A:  私の心と思いに沁み入るまで長くかかりましたが、まだまだ成長しなくてはなりません。私は、この栄光ある不思議を他の方々に伝えるように召されていま す。大変な特権ですが、それさえも、聖霊様の助けなくしては、私は適任ではありません何層もある欺きと間違った考えを、人々は持っています。その層を突き 通すために、聖霊様の助けが必要なのです。日曜の役員会で、福音の栄光ある真実を理解するための、しっかりとした基盤を持っていない人達がいることを知り ました。私は、この基盤を重ねるために、慎重に完全にやっていかねばなりません。それによって、神様の望まれるように成長し、私達の内に、そして私達を通 して、キリストが教会を建て上げるためです。

P:お父様。あなたが私に望んでおられる段階を、長期的にも、瞬時瞬時にも、私が理解するよう 助けて下さい。週ごとに、機会あるごとに、真実を必要とする人達、受け入れようとしている人達と分かち合いができますように。分かち合う時間があっても、 彼らの心が受け入れるよう整わなくてはいけません。聖霊様に私が十分、敏感で、従うように助けて下さい。私が語ることが単に真実なだけでなく、聞く人に とって、常にあなたの御言葉でありますように。人々の救いとあなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/04/23

エペソ 1:15-23

S: エペソ 1:17
どうか、私たちの主イエス・キリストの神、すなわち栄光の父が、神を知るための知恵と啓示の御霊を、あなたがたに与えてくださいますように。
O:  聖霊様に満たしていただくよう祈る大きな理由の一つが、この節に書かれている内容のためです。。神様は無限です。ですから、聖霊を通して、啓示される以 外に、私達は神様をよく知ることができません。私を遣わされた父が引きよせて下さらなければ、だれも私の来ることはできない(ヨハネ6:44)、とイエス は語りました。子を知る者は父の他にはなく、父を知る者は、子と父をあらわそうとして選んだ者の他に、誰もありません(マタイ11:27)、とも語りまし た。引き寄せと啓示を示して下さるのは、聖霊様なのです。ですから、パウロは、聖霊によらなければ、だれも「イエスは主である」とは言えない(1コリント 12:3)と言ったのです。聖霊様こそが、知恵と啓示を与えて下さるのです。聖書の最も良き解説者です。なぜなら、聖書を書いた方だからです!聖霊様が私 達の霊に触れて下さって、神様を知ることができます。ですから、むしろ、御霊に満たされるよう求めましょう(エペソ5:18)。

A: 聖霊に満たさ れることは、十字架の御業ゆえ、信者には大きな祝福の一つです。しかし、また、もっとも論議を呼ぶことでもあります。聖霊様の御業から離れて、私達は救わ れません。もっとも、聖書の記録や個人的な経験では、ただ単に救われることと、聖霊に満たされることの違いが語られており、それは、異言のような賜物よ り、さらに大きく違っています。私は信者が聖霊様に心を開くように励まし、聖霊様が彼らを満たし、流れるようにしていただくように祈ります。他の方法など ありません。ただし、問題は1番、2番、3番などの公式がないことです。神様は私たちに働いておられます。御心と神様の善き喜びのためにです。そして、確 かに私達が聖霊で満たされることを望んでおられます。それで、私達は、神様の差し出されるものを受け取る選択をしなくてはいけないのです。私は、信者の心 と思いに、このことが届くために、聖霊様の力と知恵を求めます。まさに、この節でパウロが祈った通りに求めます。
P: お父様。何とか話を戻すことができました。そして、それはあなただけが唯一の答えです。あなたが与 えて下さらない限り、私に知恵はないことを、昨日気づかせて下さり有り難うございます。コンピューター関連に自信のあった私は、コンピューターに問題が生 じ、プライドが攻撃されましたが、それは良いことです。コンピューターの問題より、はるかに重いカウンセリングの時は、私の知恵をはるかに超えた状況で す。それに私が気づくことも、また、私には良いことです。聖霊様に十分、心を開き、従えますように。そして、出会う問題の一つ一つの対応に必要な知恵と啓 示を持てますように。ただ、問題解決のためだけではなく、あなたを、ますます知り、御子に似たものと変えられますように。あなたのご栄光のために。感謝し ます。ハレルヤ!

2009年4月26日日曜日

2009/04/22

ガラテヤ 3:15-29

S:
ガラテヤ 3:26, 29 あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。もしあなたがたがキリストのものであれば、それによってアブラハムに子孫であり、約束による相続人なのです。
O:  多くの人は、この節全体を神学的に難しいものとして、捉えているかもしれませんが、この中はとても大切な真実が含んでいます。ガラテア人は、ユダヤの律 法によってクリスチャンになろうとしたため、パウロは、神様の恵みは律法だけによるのではないことを、ここで長々と説明しています。ガラテヤ人を混乱させ た人々は、旧約聖書にある素晴らしい約束を指しながら、祝福されるためには、ユダヤの律法に従わなければならないと教えました。(ここでは、十戒について 述べているのではありません。細かな食事規定、その他のことです。)今日の御言葉で、パウロは、この議論の逆の見方をして、論理的な説明で示しました。ア ブラハムへの約束は、律法が与えられるより以前からあり、彼らは律法に頼っていませんでした。現在、ユダヤの食事規定を守る人は、まず、いませんが、も し、守ったからと言って、どれほどの違いがあるのでしょうか。大変、重要な教えはこうです。つまり、アブラハムになさった神様の約束の全ては、イエス・キ リストへの信仰を通して私達にも有効なのです。私達が神の子供だなんて、信じがたいことです!ですが、それがよく分かった時、平安と喜びが続きます。私達 は、ただ信頼して従えばよいのです。
A:  ここでも、また私のミニストリーでの大きな重荷に、すっかり当てはまる内容です。つまり、キリストにあって自分が何者かを信者に分かってもらうことで す。ただ、自分のいる所から抜け出られると思い、クリスチャンになった人にとっては、神様が願いを叶えてくれなかったことで、遠ざかっていきます。ですか ら、私はそうした人たちに、愛を持って真実を語らなくてはいけません。そうした不純な動機からであれば、神様からは何もいただけないことを教えていきま す。一方、自分は値しないからと、神に何も期待しない人もいます。こうした人達に、私の心は痛みます!イエス・キリストを主と認め、信仰によって献身する なら、ちょうど今日の御言葉のように、神の子どもとして聖書にある約束全ての相続人となれることを、確信させたいと思います。私達が善良で、素晴らしいか ら神様が愛して下さったのではなく、神は神であって、そういうご性質だと信者に理解できるように助けていきます。神様は私たちを甘やかしません。けれど も、信仰と従順を持って神様に応答するなら、神様は祝福したいと望まれます。
P:お父様。恵みを感謝します!私が、あなたの恵みを、より伝えていけますように。そして、多くの人が恵みを受け、あなたのみ心通りに歩いていけますように。感謝します。神様を賛美します!

2009/04/21

ガラテヤ 2:1-10

S: ガラテヤ 2:5
私たちは彼らに一時も譲歩しませんでした。それは福音の真理があなたがたの間で常に保たれるためです。

O: いつの世も、福音を捻じ曲げようとする人がいるものです。今日でさえ、そうです。最近の問題は、律法的だったガラテアでの問題とは、正反対です。今日、福 音を、人を悔い改めに導くのではなく、罪を受け入れ、ライセンスとして用いたがっています。人間の歪曲された哲学は耳に心地よく響きますが、それは悪魔の 嘘であり、福音では全くありません。私達が罪に溺れるために、イエスは死なれたのではありません。私たちを罪から自由にするために死なれたのです。
ア メリカ、イギリス、その他、クリスチャン国で、今、起こっていることには、嫌悪を感じます。福音の正しさを主張する人たちは、パウロのように、頑迷だと思 われ、捕まり、牢にさえ入れられます。こうした状況は、私達がキリストに帰ろうとするほど、ひどくなってきています。しかし、それでも、諦めたり、屈する ことには、つながりません。へブル12:4に書いてあるように、私達は、まだ罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがないのです。しかし、幾人か、その召 しを受ける人が現れ、真の信者は喜んでそうする時が来るでしょう。何も、攻撃的になれと言っているのではありません。先制攻撃でもありません。たとえば、 彼らの主張がどうであれ、中絶論者を殺してしまうのは、絶対にキリストに従っているとは言えません。中絶クリニックの近くに立つことに賛同せずに、むし ろ、刑務所に入る方を選んだロスアンジェルスの牧師がいましたが、その人は福音のまことを恵みと愛で擁護したのです。同じように、同性愛者を行動や口頭で 攻撃するのは、キリストの御霊に導かれた行いではありません。しかし、出エジプト記(同性愛志向から抜け出す手助け)のミニストリーをする人こそ、キリス トの御霊によるのです。

A:  私は今のところ、そうした戦いにはありませんが、これから、あるかもしれません。この問題に関して、イーメールが殺到して送られてきました。私は、必ず しも全てに関して詳しく知る必要はありませんが、誠実に祈るべきでしょう。私が直接、関わっている問題は、信者に、ただ表面上ではなく、福音全体を分かっ てもらうことです。御言葉に深く根差していないので、彼らはすぐに状況に流され、敵の様々な嘘に振り回されます。甘やかしで、彼らに対処することは、深い 教えを学ばせることにはなりません。ですから、私は信者が聖霊に満たされるように励まし、神様が彼らを御言葉に飢えさせ、彼らの心と思いに御言葉を照らし てくださることを祈ります。御言葉を学ぶのに、他に方法などなく、単に教えるだけでは不十分なのです。

P:  お父様。確信を持たせて下さり有り難うございます。聖書の読み方、祈り方、聖霊様への心の開き方を指導できるように助けて下さい。私の力と知恵では始め ることなどできません。しかし、あなたは、私に始めさせたいと思わせて下さいました。あなたの御意志です。あなたに聞き、従えますように。教会の群れがみ 言葉で満たされ、強められ、成長し、あなたの望む者となれますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/04/20

ガラテヤ 1:11-24

S: ガラテヤ 1:11
兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。

O:  誰かが何かを思いついても問題とならない時があります。それが良い考えであれば、良いことなのです。しかし、自分の存在そのものに,根源的な影響を及ぼ す問題に対してなら、考えの源は、大変、重要となってきます。だからこそ、神様は、聖書が当時の他のどんな記録書類よりも、確かであることが分かるようと 取り計らって下さいました。彼らが、聖書を「信憑性」ある記録として、疑いなく受け入れながら、聖書の「信憑性」をめぐって人が論争するとは、興味深く、 面白くもあります。そして、最も古いもので、残っている記録は、作者と思われる時代のものよりも数百年も後のもので、その当時のものは僅か一つか二つしか ありません。新約聖書部分の、残されている原本は2世紀にまで、さかのぼります。3世紀までのものでは、その数は百代になりました。人々は、聖書の全ての 言葉を書き記し、新約聖書は、旧約聖書に関して、「「聖書はすべて神の聖霊によるもので」(テモテ3:16)、「聖霊に動かされた人たちが、神様からの言 葉を語ったからです。」(2ペテロ1:21)と述べています。福音(聖書にある良い知らせ)は、パウロが主張したように、最初から最後まで、神様のお考え です。

A:  今日の社会は、両極端を求められた場合、相対的です。絶対的な正しさと、絶対的な間違いを嫌います。とりわけ、日本は、こうした風潮ななる以前から、相 対的思考の社会でした。人々にとって、私の立場が奇妙に見えても、あるいは、非現実的に見えても、福音を告げ知らせることを私はやめません。この社会は、 啓示されている真実に対して、本当の伝統を持っていないのです。それで、ある哲学者の考えが、他の哲学者の考えと同じように良く思えるのです。仏教の持つ 哲学は、大変良い点もありますが、その起源は単に人間から始まっています。ですから、救いはありえません。私は、神様の御言葉を宣べ伝えます。なぜなら、 「神様の御言葉は、むなしく帰りません。必ず、神様の言い送ったことが成就するからです。」(イザヤ55:11)

P:  お父様。聖書を有り難うございます!私に心から語って下さり感謝します。お父様、この教会の全員が御言葉に心を開くことを学び、ただミルクを飲むのでは なく、やがて固形食を食べれますように。私自身、信者の浅い期待に苛立っています。乳児にはミルクと、幼児には幼児食を与えたいと思います。しかし、彼ら にそのレベルの成長で満足し、留まってほしくはありません。はっきりと導きを与えて下さい。あなたの羊を満たしたいのです。あなたのうちにあって、彼らに 強く育ってほしいのです。彼らへの祝福とあなたのご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

2009/04/19

第2コリント 12:1-10

S:
第2コリント 12:10 ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦労、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

O:  御国が逆説的に表現されています!他にも同様の箇所がありますが、この節は、その中でも大きなものの一つで、大変、重要です。山上の垂訓でもイエスは 語っています。私達の強さの源です。私達が自分の内に強さを感じる時は、神様に頼っていません。用いることのできる本当の強さから、私たち自身を切り離し ています。自分の弱さに気づく時、意識して神様に頼り、宇宙の全ての力に近づくのです。神様の力に私達は値しません。覚えておいて下さい。これは、全て恵 みによるのです。しかし、主がパウロに直接、語られたように、神様の恵みは、私達が直面するどんな状況よりも勝るものです。私達は強くなりたいと願います が、キリストにあるならば、キリストを知らないどんな人よりも、本当に強くなれます。しかし、その強さは私達のものではないことを、覚えておいて下さい。 神様からの強さなのです。自分の弱さに気がつけばつくほど、私達は、ここでパウロが教えているように、ますます強くなれます。

A:  私はキリストにあって成熟するにつれて、このことが、より分かってきています。実は、私は愚かで、神様の知恵が私を通して働いていることが、分かり、受 け入れた時が、ブレークスルーでした。運動能力に欠けていたため、知性の能力に逃げ込んでいたのです。このため、私はあらゆる種類の愚かさにはまり、知性 の領域で賜物を授かっていない人たちを軽視していました。それが、どれほど愚かしいことだったか、今よく分かります。自分の賢さを誇っていた時の何と見事 な皮肉でしょうか!今は、私に強さと知恵が足りないために、多くの問題に直面しています。しかも、その殆どが、大変小さい問題なのに、です。小さなことでも自力で対処できない時こそ、どんなことにでも、神様に頼ることを、はっきりと知るのです。

P:  お父様。私への忍耐を、ここでもまた感謝します。振り返って、私が愚かな慢心に、あなたは驚くほど忍耐してくださいました。今でさえ、完全な服従と従順 を持って歩いているとは言えませんが、私を服従、従順の方向に向かうよう成長させて下さって、ありがとうございます。朝のメッセージを感謝します。それ は、まさに私へのためのメッセージでした!どうか、私があなたによって変わり、あなたからの召しにふさわしく歩めるように助けて下さい。あなたのご栄光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009/04/18

第1コリント 14:26-40

S: 第1コリント 14:39-40 それゆえ、私の兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行いなさい。
O:  聖書の見方は、大変、明確に述べてあるのに、異言の賜物をめぐって教会内で、騒ぎが生じています。自己教化には望ましいのですが、グループの集いでもそ うです。異言を集会であっても、禁じるべきではありませんが、多数の人に混乱を与えるないようにするべきです。この問題を、聖霊様に満たされているかどう かを試すリトマス試験紙のようにしてしまうのは、私には、些細なことでの大騒ぎに思えます。この節を通して強調されているように、全ての賜物は教会を建て 上げるためであり、信者個人が誇るためではありません。聖霊様からの賜物を、完全に、あるいは悲しませるように、用いることは可能ですが、神様のみ心か ら、殆ど完全に離れています。だからこそ、主はパウロに、12章と14章の間に13章、神様と隣人のために、全ては愛の内になされなくてはならない、の内 容を書くように、命じられたのです
A:  これが、私がアッセンブリ・オブ・ゴッドに完全に入会しない理由です。彼らの教義が、異言の賜物は、聖霊のバプテスマの最初の証拠だとしているからで す。私は、そのことに賛同できません。この考えは、私が関わっているミニスター・フェローシップ・インターナショナルの一部でもあります。しかし、私が参 加した時の、教義の長いアンケートで、私は自分の立場を明確にしました。私は彼らの団体から多くの祝福を受けました。特に、交わりで会うことのできた方々 からです。「異言を最初の証明」とする問題全体は、教会内で薄れてきていると思います。ほっとします。与えられた賜物を、休ませることなく使い、神様から の賜物を信者たちも受け、用いるように励ましていきたいと考えています。私たちは互いで完成させあっています。ですから、私達のために神様が創られ、ご用 意された様々な役割を果たす時に、神様の力のうちに、教会を立たせることができるのです。
P: お父様。私たちへの豊かな祝福を感謝します。あなたからの全ての注ぎを頂け ますように。自慢ではなく、あなたの体を建てるために。あなたの目的にかなって、ますます効果的に用いて、さらに多くの人達を御国へと導けますように。彼 らの救いとあなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/04/17

第1コリント 14:1-1

S: 第1コリント 14:12 あなたがたの場合も同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるように、熱心に求めなさい。

O:  日英訳語の意味合いは少し違っていますが、全体的な主眼は同じです。つまり、私達の目的は教会を建て上げることであり、与えられたいくつかの賜物を「誇 る権利」であってはいけないのです。ペンテコステ/カリスマ的教会では、聖霊様からの賜物(これは良いことで必要なことです)を受ける過程で、「スタンド プレー」があったり、奨励される雰囲気があったりします。聖霊様からの賜物は、いただいたその本人には、大きな祝福ですが、それが本来の目的ではありませ ん。教会を建て上げるためなのです。今日の箇所と別の箇所に書かれていますが、話す人を最も建て上げる異言でさえ、知性では、よく分からない状況のために 祈れるのです。焦点はキリストと、教会、ご栄光に当てましょう。

A:   この問題は、教会で沢山の論争となり、私は今も、その問題の渦中にあります。非カリスマ的宗派とは、無縁のルーツであり、私は第一コリント12に書いてあ る全ての賜物を経験しています。ただ一つないものは(しかし、心待ちにしている)、この地上でのよみがえりです。けれども、それで他のクリスチャンの方よ り、「優れている」ことにはなりません。ただ、何かの状況の時に役立つくらいでしょう。そして、今朝も、また主は私に思い出させて下さいました。つまり、 私の焦点は神様であるべきことです。私を通して神様が現わされる賜物ではありません。この教会の信者全てが聖霊からの全ての賜物を経験し、現わすことを心 から望んでいます。しかし、与えられた賜物を活かせないでいる人もいます。彼らに劣等感を与えない気遣いも必要でしょう。そうした賜物も用いられること を、信者に教え、求めるように励まし、キリストとその体である教会に焦点を合わせるように指導していきます。

P:  お父様。このことを思い出させて下さり、有り難うございます。霊的な賜物もまた、十字架の祝福なのです。これを伝えられるように導いて下さい。私の言葉 があなたの言葉と一致し、過去、聖霊様が来られるのを妨げていた誤解が解けますように。そして、私たちが自由に、十分に用いられ、あなたのみ心を行えます ように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。

2009/04/16

第1コリント 4:1-7

S:
第1コリント 4:2 この場合、管理者には、忠実であることが要求されます。

O: この節の簡明さとインパクトは強調しすぎることができないほどです。実際、神様のみ前に、全ての人間が持つべき責任の基礎となるものです。神様は私たちに あらゆるものを下さっています。物質的なもの、霊的なもの、さらに時間そのものさえも下さっています。しかし、私たちは、それらに対し単なる僕であっては いけません。それらを、どう使うのか神様に答えなくてはいけません。創造主という考えに、声高に反対する人が大勢いますが、これがその理由です。彼らは義 務責任を好みません。そして、彼らにとっては残念なことでしょうが、いくら神様を否定しても、神様を遠ざけることはできないのです!イエスのタラントの話 は、大変よく知られおり、かなり初期から「タレント」という語に訳されています。「タレント」は元々、金や銀の重さを表す言葉でした。それが、やがて能力 を表す言葉として使われるようになりました。能力も、また神様から信託されたものですから。イエスの話では、最も悪い奴隷でも、主人に属していることを 知っていましたし、主人が救ってくれました。しかし、今日、多くの人は主人(マスター)など、いないと主張しようとしています。そして、義務責任を考え ず、与えられたものを浪費しています。

A: 私は多くの賜物を与えられているので、この節に吟味されているように、長い間、感じていました。しかし、単に能力に関してだけ、義務責任 を持っているのではなく、私がこの地上に生きている限り、あらゆる瞬間に義務責任を持っているのです。そこで、多くの答えをいただけるのです!自分自身と 神様に正直であればあるほど、神様の恵みに完全に頼っていることに、ますます気づきます。キリストの贖いのみ業から離れてはいないのです。「自分に言いつ けられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」(ルカ17:10)とイエスは教 えています。ですから、私は神様に言いつけられたことを、みなしてしまった、と主張することはできません。神様の恵みに頼っていることを、いつも心に留め ながら、信仰を増すように努めていきます。
P: お父様。私への忍耐を感謝します。私を導き、訓練し、用い続けてくださり有り難うございます。あなたから、ますます用いられるために、あ なたの教訓を、迅速に学べるように助けて下さい。あなたが私に任せて下さっている牧師としての管理は、毎呼吸に下されています。あなたのみ心を達成できま すように。あなたのご栄光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009/04/15

第1コリント 3:1-23

S:
第1コリント 3:3 そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

O:  この節が聖書日課の一日分としては、長く、含みの多いことであるのはよく承知しています!この章には、沢山の大切な真実が含まれていますが、特にこの御 言葉が私に、ずっと響いています。私たちは謙遜を色々な場面で、言い訳に用いていますが、クリスチャンにはそうした言い訳は不要です。詩篇作者が「主は、 私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる」(詩篇103:14)と言っていますが、私たちはキリストにあって、ただの人 を超えた者として立ち上がるのです。神様はキリストにお与えになった聖霊を同じ聖霊を私たちに与えて下さっています。ですから口実は要りません。自分で得 たのではないのですから、誇ることも要りません。むしろ、神様の偉大な恵みを現わ
すものとすべきです。恵み を受け、恵みに与って歩まないなら、それは罪です。ですから、神様が私たちのためにキリストを通してして下さった全てを、私が知り、理解することを、悪魔 は嫌うのです。悪魔は私たちに罪を犯させたいのです!逆に、キリストに正しく仕え歩むなら、私たちを通して超自然的に、神様の目的は成就されます。「ただの人」として歩んではいけません。

A:  とりわけ日本では表向きの謙遜が強調されています。そのため、この御言葉の真実は、日本文化によく馴染んでいません。ですから、信者にこの真実が分か り、自由に開放されるように、私は神様の知恵を御言葉が必要です。私は、この点、自分の弱さを知っていますから、私自身の心に留意していたいと思います。 同時に神様の十分さから後退してもいけません。多くのペンテコスタ教会では「フルゴスペル」を唱えていますが、御国の良い知らせの豊かさは、霊的な賜物よ りさらにまさっています。確かに賜物のその一部ですが、賜物にだけ焦点を合わせると、与えてくださった神様を見えなくなります。神様は私達の持つどんな側 面よりも、はるかに上なのです。

P:  お父様。あなたの大きな啓示と恵みに感謝します。あなたがキリストを通してなさったことの全てに、私たちが歩めるように助けて下さい。そして私が、他の 方々も同じように導けますように。全員の目が覚め、キリストに生きる教会となれますように。聖霊様が溢れ、あなたの御業を見て、あなたの御言葉を語ります ように。ただの人ではなく、神の子供として、あなたの御心のための働き手となれますように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

2009年4月19日日曜日

2009/04/14

第1コリント 2:1-16
S: 第1コリント 2:4-5
そして、私のことばと私の宣教とは、説得力のある知恵のことばによって行われたものではなく、御霊の御力の現れでした。それは、あなたがたの持つ信仰が、人間の知恵にささえられず、神の力にささえられるためでした。

O: 社会は人の知恵で動きがちです。そして残念なことに、多くの教会は伝道に社会の方法を用いています。どれほどか、成功しているように見えても、しょせんは 嘘の成功です。それは、パウロがここで語っているように、教会信者の信仰は神の力より、むしろ人間の論争に支えられているからです。「原始的」社会の教会 の方が、「先進」地域の教会よりも、はるかに力を示している理由の一つでしょう。神様は私たちに知性を与えて下さいました。その知恵を蔑んではいけません が、また、完全に知性に信頼を置くのもまずことです。C.S. Lewisのような優れたクリスチャン思想家がいます。彼は、知性と信仰は強力な組み合わ せであることを示しました。しかし、多くの人は知性と信仰は異なる、対決するものであると考えています。そして、世間は知性を選ぶ方はが「賢い」と考えています。しかしながら、知性 だけでは、決して私たちを死から生へ、悪魔の支配から神の領域へとも進めません。

A:  私は知的な家庭に育ちましたが、さらに幸運なことに、信仰ある家庭でもありました。関わらず、超自然的なことは、何一つ期待しないように育ちました。ただ、恵みのゆえの信仰による救われるという偉大な奇跡を除いては。祈りは、神様から頂いた特権として、もちろん当然のことでしたが、奇跡は想像だにしませんでした。 神様の私たちに対する豊くかな恵みと祝福を、ますます知るようになって以来、私のミニストリーは私の成育環境の特徴を強く出すようになっています。私は 祈っている時に、奇跡を見たことがありますが、それは、私のミニストリーの大きな要素ではありません。私は語学に関して賜物をいただいているからこそ、私自身の言葉に頼らないように気をつけねばなりません。神様の力に頼るべきなのですから。私は、もう随分、長いこと、日本で超自然的な力が現わされる のを望んでいます。信者の信仰が強めらることと、新しい信者が増えることを望んでいるのです。しかし、神様が望んでおられるのに、私は大胆にそのための祈 りを、あまりしていないのです。愚かしく見られることを恐れずに、ご栄光のために御力を現わす働きをしたいのです。

P: お父様。このことを思い出させて下さり有り難うございます。悪魔に捕えられている多くの人から談を受けています。しかし、私はイエスがなさったように、彼 らを自由にすることができません。昨日ミニストリーを行えました。有り難うございます。そうした人々のために、私が大胆に信仰を現わせますように。彼らの 信仰が強かろうが、弱かろうが構いません。あなたの力が彼らの体と命に放出され、あなたの真実、愛、力を現わすものでありますように。彼らだけでなく、彼 らを知る人々も救われますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009年4月18日土曜日

2009/04/13

第1コリント 1:1-9

S: 第1コリント 1:2
コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。

O: この節には、大変重要な基本的理念が隠されています。私たちは聖徒として召されており、イエス・キリストによって聖とされています。つまり、十字架のキリストの犠牲により 贖われたので、立場的に聖なのですが、日々の行動の中で、聖徒として生き、聖なるものであるように召されています。イエスが十字架でなされたことに、誰も 付け足したりできませんが、私たちは全て、日々の歩みの中で成長していける生き方を持つことができます。多くの人は日々の歩みの中で、失敗に目が行き、キ リストによって、すでに聖とされていることを信じられないでいます。それで、敵からの様々な罠に定期的に敗北し、ありきたりのキリスト教に留まってしまい ます、しかし、それは神様の意図ではありません!第一ヨハネで、大変明確に述べてあります。つまり、私たちは、この地上では罪のない完全な歩みはできませ んが、目的を理解し、前進し続け、神様の恵みが、それらを行うのに十分であることを知るべきなのです。神様の恵みが私達の罪を覆えないと考えたり、あるい は、罪を犯すことに関して当たり前だと考え、恵みを誤解しがちです。そのどちらの考えも間違っています。私たちはキリストにあって聖なのです。ですから、 その召しにふさわしく歩みましょう。(エペソ4:1)

A:  私は確かに、これに関して緊張した経験を持っています!私は、恵みを不十分だと捉えるよりも、罪を犯すことに関して恵みを、より捉えがちです。しかし、 へブル6が教えるように、そうした態度は再びキリストを苦しめるような危険をはらんでいます。この点、私は、人々に舵取りをしっかりとして、キリストの十 字架を信じ受け入れるならば、全ての罪が贖われたことを確信させていきます。信者が聖人だと励ましていきます。そして信者が、そう信じ、その通りに生きる ためにです。実現したとき、この世は気づくでしょう!

P: お父様。来週日曜のメッセージを月曜の朝にできることを感謝します!昨日、一日の出来事、うまく終わったことを感謝します。私が語る時の油注ぎ、特に早朝 礼拝で与えて下さり感謝します。教会総会を終えることができました。有り難うございます。教会役員の質問に、あなたが、やや驚くべき答えを与えて下さり感 謝します。新しい役員が伝道に積極的に献身していることを感謝します。この一年に、私たちが成長し続け、あらゆる点で、あなたの全てのご計画にそって進め るように祈ります。あなたのご栄光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009年4月14日火曜日

2009/04/12

ローマ 16:17-27

S: ローマ 16:19
私は、あなたがたが善にはさとく、悪にはうとくあってほしい、と望んでいます。

O:  私たちは情報化社会に生きています。知識が力であるかのように思われています。しかし、神様への知識こそが大変望ましいのです。間違った知識は激しく崩 れてしまいます。悪魔の計画に無知であってはいけません。悪魔の計画の一つは、私たちを悪魔のなす悪に関する情報で一杯にすることです。それで、私たちを 神様のなさる善から気をそらそうとするのです。ピリピ4:8に書いてあるように、善いことを心に留めておくことが、とても大切な時代です。悪魔は近代のメ ディアを用いて、私たちに「情報」を流し込んでいます。しかし、悪魔からの情報であふれかえることも当たり前のように見えています。本当は、それらは完全 に、神様から人間に発せられた言葉から遠いのです。テレビドラマでは、社会を最悪に描写し、結果、人々はそうした振る舞いを自分にも人にも当てはめていま す。情報を取り入れるための焦点は、神様を神様の善きことに絞り、見えるもの全てを光に照らしましょう。公共メディアは、悪であるか、あるいは、少なくと も危険なように思えます。

A:  私は確かにこの点で、敵に飲み込まれそうになったことがあります。物ごとを知りたがり、知識の吸収に、本来あるべきフィルターを持っていなかったからで す。今は、何を取り入れるかに関して選択できるようになり、この点、成長していると思います。良いことですが、まだまだ改善していかねばなりません!私た ちを自由にしてくれる深い真実は、大量の情報で遮られ、瞑想できないでいます。私は聖書を静かに瞑想する仕方を学ぶべきでしょう。私の髄まで聖書の教えが 沁み込み、十分な実りを得るためにです。さらに、喜びと信仰を持って、神様の栄光ある真実を知らせていかねばなりません。私の力で、社会に流れている悪い ニュースを止めることはできませんが、イエス・キリストの良い知らせを伝えることはできるのです!

P:  お父様。今朝の礼拝の歌を、昨日パワーポイントで作業できたことを有り難うございます。その作業中、十字架の真実が私の心をよぎり、感謝で一杯になりま した。こうしたことこそ、私がもっと、やるべきことなのですね!今日の全てに感謝します。早朝礼拝、通常礼拝と二度も話ができる特権を有り難うございま す。あなたの善き真実を伝えることができますように。そして、聞いて下さる方々が、信仰に立ち、あなたの御言葉に従えますように。十字架と復活の意味が、 新たに理解できますように。私たちを引きずり込もうとする情報の海から避けていられるように、助けて下さい。ただ、あなたの勝利の道を一瞬一瞬、歩いてい けますように。あなたのご栄光のために。感謝します。神様を賛美します!

2009/04/11

ローマ 8:18-27

S: ローマ 8:18
今の時のいろいろな苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます

O:  最近、私はこの節を引用する機会がありました。この節を理解しているなら、生きる上で、全てが対処しやすくなるでしょう。苦悩により耐えられるだけでな く、さらに明るい希望が持てるでしょう。栄光が訪れるのですから。しかし、私たちは基本的に、近視眼的な見方しかできないのが問題です。目の前にある物し か見えないのです。しかし、信仰は、目の前の状況以上を見える「めがね」を与えてくれます。神様が用意なさっている御国です。へブル人に宛てて書いた手紙 の中で作者は、イエスの前に用意されている喜びについて述べています。もし、私たちが目の前にある苦しみや不便しか見えないなら、それらを超えた所にある 宝を、受け取るための忍耐ができないでしょう。それでは、まさに、空腹を満たすために、レンズ豆と長子の権利を売り渡したエサウです(創世記25: 29~34)。満足を辛抱強く待てると、精神的に成長した大きな兆候だと心理学では説いています。同様のことが霊的な成熟にも言えるでしょう!

A:  私はこの点で両極端を対応しています。Mさんは、もう何年も深刻な病気です。苦しんでいますが、神様が彼女にご用意したものを楽しみに待つという選択を しました。他に選択肢はないと思ったからです。一方、Tさんは、彼rの望みをすぐにでも叶え、満足させてくれないなら、なかなか祝福を認めようとしませ ん。Mさんは、まだぼんやりとしか分かっていませんが、神様に開き、献身すべきでしょう。それでも、まだ彼女はTさんよりは、しっかりとしています。私 は、真実を全ての人に伝え続けていきます。たとえ、彼らが受け入れようが、受け入れまいがに、かかわらずにです。そこでも、神様の介入があることを減じる ことなく努めていきます。神様は私たちが苦しむのを望んでおられません。成熟し、神様に導かれるために、そうした苦しみがあるのです。その場で起こる奇跡 をイエスは軽蔑されませんでした。私も、軽蔑すべきではありません。神様の介入を大胆に祈ります。愚かに見えても構いません。そして、神様が愛を力を示し て下さり、人々が導かれることを期待します。

P:  お父様。私の周りで、働き続けて下さっている全てに感謝します。全てに関われる特権を感謝します。遅くはありますが、私の成熟を感謝します。すべての人 に、あなたが与えた約束以外の希望を運べますように。私が苦しみにある人達に慰めを与え、あなたの偉大さを期待できるように助けてください。全ての矛盾を 和解させるのは人間の能力を超えています。しかし、あなたにあって不可能はありません。あなたに心から従い、用いられますように。あなたのご栄光のため に、私を通して現わしてください。有り難うございます。ハレルヤ!

2009/04/10

ローマ 3:19-30

S: ローマ 3:27
それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。

O:  誇りとは奇妙なものです。経済危機に関して人々がどのように対処したかの調査が、最近行われました。それによると、人間的な計画を用いて対処されていま すが、調査者の多くは、自尊心をを良いこととして捉えているように、私には思えます。NIV版のこの節では「誇り」という語が使われています。今、私の手 元にはありませんが、おそらくギリシャ語版でも使われているでしょう。今日の御言葉で大切なことは、恵みは、やはり恵みであることです。たとえ私たちが、 恵みに 値せず、これからも値しなくとも、です。文明の夜明け以来、人類にとって、誇りたいと望むことは実は人間の活動の大きな原動力でした。しかし、神の御前で は、そうした誇りは無意味です。私達の価値は、自分たちで作る以上に、優れて高いのです。それは、ただ神様が私たちを創造なさる時、価値あるものとして下 さったからです。神様の私たちへの愛を知るなら、もはや誇る必要などいりません。神様の目に私たちはとてつもなく価値あるものだからです。その事実は、何 者にも変えることはできません。福音が良い知らせである理由の一つでしょう。しかし、あまりにも良い知らせ過ぎて、人が信じようとしないのも、その理由の 一つです。
A:  もう何年も、様々な点で、私は誇りに関して問題を持っています。そして、それは決して私のためになっていません!たとえ、真実の発言でも誇りになりうる のですから、私は語る時、黙っている時を知らなくてはいけません。私ができることを人に話す時、神様が彼らのためになさっていることを伝えていないので す!常に、あらゆる面で、神様に目を向けているべきでしょう。人々が救われ、神様に近づけるためにです。
P:  お父様。私への忍耐を感謝します。これまでの人生を振り返って、私の忍耐がとても足りないと、あなたの目には映っているでしょう!あなたの絶対的な大き な恵みを感謝します。あなたの恵みを、私が出会う人すべてに、そのまま伝える器であるよう助けて下さい。そして、彼らがあなたへと導かれ、救われますよう に。あなたのご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

2009/04/09

ローマ 2:1-11

S: ローマ 2:4

それとも、神の慈愛があなたを悔い改めに導くことを知らないで、その豊かな慈愛と忍耐と寛容とを軽んじているのですか。

O:  この御言葉は、子どもを正しくしつけなかった親が、さまざまな深刻な結果になることを教えています。もし、子供が,悪が罰せらることを知らないまま成長 するなら、自己コントロールのため自分の関心以外に原動力を持たなくなります。実は、これは複雑です。というのも、たとえ適正なしつけを受けていても、自 分の関心は、確かに自己コントロールのための大きな原動力だからです。なぜなら、私たちは罰せられたくはないからです。しかし、もし子供が親からの懲らし めを恐れないで成長したならば、大人になってからも、神様からの懲らしめを恐れなくなるでしょう。神様を認めなくとも神様はおられます。罪の結果を認めな くとも、結果が消えることもありません。重力の法則が自分には当てはまらないと主張して、崖から落ちるのと同じです。神様は愛と恵みの神様です。しかし、罪の重さを認めないなら、神様の愛と恵みの偉大さを深さを知ることはできないでしょう。

A:  罪に罰などないと思っているように振舞った時があります。しかし、恵み深い神様は私に優しく教えてくださいました。ですから、私も同じ恵みで、他の方々 と接していくべきでしょうが、どんなことからでも「逃れらる」という印象を与えないようにすべきです。私達の全ての罪は取り扱われますが、唯一の問題は悔 い改め、告白に至るかどうかです。それによって、十字架のキリストが取り扱って下さるのです。あるいは、罪にしがみつき、自己で招いた罰を自分で受け取る かです。Tさんが昨日、「私はバプテスマを受けたが、まだ救われていない。」と言いました。彼を困らせている状況に変わりはないということを言いたかった のでしょう。私は、キリストにある救いは、私達の罪の永遠の結果についてなのだと教えました。しかし、それでも彼の自己中心的な殻には届いていないでしょ う。Tさんの件があっても、私は人を諦めません。そして、反抗されても、それを主にとは思わないようにします。愛ある真実を語っていきます。そして、罪に ついて、義について、裁きについて、その誤りを認めさせるために、聖霊様にお願いします(ヨハネ16:8~11)。

P: お父様。聖なる恐れを持って、あなたの道を歩いて行けるように助けて下さい。あなたの愛と恵みを間違えることなく、同じように他の方々を指導できるよう に助けて下さい。あなたは私達の理解をはるかに超えた方です。あなたがご自身で私に示して下さったすべてを、真実に歩くように助けて下さい。しばしば人に 教えていることですが、分かっているだけの自分を分かっているだけのあなたに、いつでも与えることができますように。あなたのご計画が成就しますように。 あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/04/08

ローマ 1:18-32

S: ローマ 1:21
それゆえ、彼らは神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました。
.

O:  この節全体が、まるで現代の社会を描写しているかのようです!自然文明には、必ず神の概念が付随していますが、無神論主義は近年の産物です。しかし、始 まりから、人間は、経験を無視し、神を否定しています。神を創造主として認めることに伴う義務責任を、人間は望まないからです。この傾向は、最近、ますま す目立って、ピークにさしかかろうとしています。だからこそ、私たちが最後の時になるように思えてくるのでしょう。今日の節の基本的なポイントは、神様へ の礼拝をしなかったこと、神に感謝をしなかったことです。パウロは、神に感謝しない人達を終わりの日にまつわり、話しています(2テモテ3)。神に感謝し ないそうした考えは、現在も、蔓延しています。公平さを欠く権利が、至る所で見受けられます。現在の経済状況悪化に対する怒りは、そこから来ています。経 済的に到底、無理であるのに、アメリカ人は住宅を購入しました。そして、住宅を取り上げられ、彼らは激怒しているのです!この節に書いてあるような、道義 的な崩壊が沢山あることは、強いて探すまでもないでしょう。

A: 彼らが、 そうしたことに取り組んでいるのは、ある意味で良く思えますが、それは神様が私たちに望んでおられることではありません。自分がどれほど怒っているかを、 逐一報告してくる友人がいます。そのために私は時間を無駄にし、主が私に下さった仕事をする妨げになっています。私は、先ず何よりも、あらゆる領域で、あ らゆる瞬間も、神様に、常に正しく感謝しているべきです。聖なる喜びある人生が可能だと、私自身が示し、周囲の方々にも、喜びある生き方に加わっていほし いのです。欺かれた人のために、私は誠実に祈りますが、彼らの神への不敬によって、私の平安を喜びが奪われないようにします。

P:  お父様。このような状況のさ中でも、あなたの平安を分からせて下さり感謝します。たとえ、周囲の社会がサタンの悪意にあっても、あなたとともに喜びと平 安を持っていられるように助けて下さい。そして、他の方々が希望を与えられ、混乱を避け、あなたが彼らにご用意さなった全てを彼らが受け取れますように。 どうか、私が信頼と希望、宝をこの世に置くのではなく、あなたに置けますように。あなたが私に下さる全てを頂けますように。あなたのご栄光のために。感謝 します。ハレルヤ!

2009年4月11日土曜日

2009/04/07

ローマ 1:8-17

S: ローマ 1:16
私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。

O: これは、とても有名な一節です。福音を伝える話し方によっては、恥と思われる人もいるでしょう。しかし、イエスだけが救いの道であり、他の全ての宗教は嘘 であり、地獄へと向かうと言うことは、今は「政治的に正し」くないのです。かと言って、故意に挑発的であったり、攻撃的である必要はありません。時には挑 発が必要でしょう。それは、挑発されることで、長い間、見過ごしてきた問題に気づけるからです。しかし、私達は言うまでもなく攻撃的であってはならない と、聖書ははっきりと教えています。そして、迫害に対処できない人の殆どは、イエスが御父にいたる唯一の道であり(ヨハネ14:6)、福音が神様の御ちか らであるのを、信じていないかのように振舞います。それでは世に勝つことなどできません!現在アメリカは、本物のクリスチャンと、個人的な信仰の基礎を持 たない単なるうわべだけのクリスチャンに分かれる社会です。救われるために、深い神学的知識など要りません。必要なのは、罪の自覚とキリストに個人的に献 身することです。

A:  正直に言って、「O]の項目の3文目を書くのは、少しショッキングでした。イエスが救いのただ一つの道であり、他の全ての宗教は偽りで地獄へと向かう、 の部分です。いくら私が信じていても、白黒はっきりと言葉にするのは、少し攻撃的に思われるでしょう。私も他の全ての人と同じく、社会の一部分であるので す!だからこそ、福音を大胆に明確に公言し、サタンによって私が眠らされないようにするためです。「眠らせる」の表現が、安楽死と麻酔に使われるのは偶然 ではありません!サタンはできるだけ多くの人を地獄に連れて行きたいのです。ですから、私は目を覚まし、気をつけているべきです。信者にも、そうであるよ うに励まします。多くの人を一緒に天国に連れて行くためです。

P:  お父様。このことを思い出させて下さり有り難うございます。老人施設でS婦人が伝道よりも、人とうまくいく関係を優先したのを知って、昨日、私は少し悲 しくなりました。けれども、私が彼女を裁くことはできません。私も多くの状況で同様だったからです。私の社会的な立場よりも、あなたと周囲の人々を、より 愛せるように助けて下さい。これは、どうやら、やや危険な内容の祈りのようです!人々は、あなたの愛を必要としています。私が彼らを愛し、彼らがあなたへ の愛に直面できますように。そして、その愛を分かち合えますように。私は確かに及び腰の面があります。福音のために、たじろぐことにないよう助けて下さい。人々をキリストへと向かわせるためです。感謝します。神様を賛美します!

2009年4月9日木曜日

2009/04/06

使徒 27:13-26

S: 使徒 27:25
「ですから、皆さん。元気を出しなさい。すべて私に告げられたとおりになると、私は神によって信じています。」

O:  この時、パウロは神様が告げられた通りになると知って、切り抜けました。神様の告げられる言葉は、しばしば、時間的枠組みにおいて、具体的ではありませ んが、今日の御言葉は明確です。そして、パウロは、神様の御言葉に添って直ちに行動する準備を整えていました。彼は神様を信頼し、周囲の人に大胆に公言し ましたが、それは、ことの結果に拘わらず、パウロ自身が愚かに見えても厭わない覚悟を持っていました。

A:  私は、時間的に具体的な言葉を、多く頂いてはいませんが、だからと言って、それで、告げられた言葉に大胆に従わなくて良いというわけではありません。大 村のために頂いたビジョンは、本当に大きいものです。ですから、そのビジョンを公言するだけではなく、火急に行動すべきでしょう。それは、私の話、生活態 度に多く関わっているので、私がどう変わるべきかに、聖霊様に示していただきたいのです。数年前、この教会が変わるためには、私自身が変わらなくてはなら ないとElisha Satvinderさんに言われました。それ以来、私は本当に変わったと感じています。そして、感謝もしています。しかし、全てが神様の時宜に叶って起こ るために、私の快適のためにではなく、神様からの課題を積極的に求めていくべきなのです。

P: お父様。あなたがこれまでなさったこと、また、今なさっていることに感謝します。人が見ている所だけではなく、あなただけが見ておられる心の内面でさえも、忠実であるように助けて下さい。完全にあなたを信頼して行動できますように。私の人生のどのようなことにでも、あらゆる細部に至るまで、あなたの御言葉を実行できますように。そして、私を通してあなたのご計画と目的が成就され、あなたに御栄光が帰せられますように。有り難うございます。ハレルヤ!

2009/04/05

使徒 26:9-23

S: 使徒 26:17-18
「わ たしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、 わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」

O:  パウロは神様から任命された言葉を繰り返していますが、幾つかの興味深い点が見られます。まず、パウロが、民と異邦人の中から救い出され、彼らのところ に遣わされたことです。これは、「彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく悪い者から守って下さるようにお願いします。」(ヨハネ 17:15)という、まさしくイエスが十字架にかかる前の言葉です。これは、修道院制度に見られる問題ですが、もし、私たちが世にいなければ、世の塩であ り、光であることはできません。あとは、福音に奉仕する者の仕事です。つまり、人々が暗闇にいるだけでなく、光の存在に気づくように、人々の目を開かせる ことです。サタンを拒み、神を選ぶためです。罪を赦され聖くなり、神の御国を受け継ぐためです。その深さ、広さは、終生かけて探し求める以上です。しか し、嬉しいことに、私たちにはその永遠があるのです!ミニストリーに携わる者が疲れ果てた時は、この節を思うとよいでしょう。確かに、ミニストリーの仕事 は、人間の努力と能力を超えたものですが、その力は私たちにあるのではなく、神様のお力から来るのです。そして、その仕事をさせて頂く特権は、表現できな いほど栄光があります。

A:  私は、この節を、時間をかけて熟考したいものです!私という存在の細部にいたり、神様に入り込んでいただきたいのです。そして、私に沁み込んだ神様が、 私を通して放たれて欲しいのです。私の焦点がはっきりと定まっている時もあれば、そうでない時もあります。フォーカスが大切なのは、写真家としてよく知っ ています!人や人の意見を恐れてはいけません。ただ、一人でも多くの人が闇から光へと移行できるために、どんな危険をも顧みないでいたいのです。

P:  お父様。長くミニストリーをすればするほどに、私が自分では誰も救えないことを、ますます気づかされます。救いのため、あなたの働き手となれた特権に感 謝します。私を、もっともっと用いて下さい。沢山の大村の方が御国の市民と変えら、全てを受け取るためです。彼らの救いとあなたの御栄光のために。有り難 うございます。ハレルヤ!

2009/04/04

使徒 18:1-11

S: 使徒 18:9-10
ある夜、主は幻によってパウロに、「恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はない。この町には、わたしの民がたくさんいるから」と言われた。

S: 主がこのように語られ、パウロは少しは怖かったにちがいないでしょう。私たちは、「古い聖人」には全く恐れがなく、信仰に堅く立っていたと思いがちです が、聖書を注意深く読むと、そうでなかったことが分かります。パウロがもし、黙ろうとしなかったならば、主はパウロに語り続けるようには言われなかったで しょう。語らないパウロは思いつきません!この節が、明確に教えているのは、何でもご存知の神様は私達の怖れや弱さを憐れんでくださることです。そして、 私たちがいる場所で、会って下さることです。神様は私たちを用いる前に、完璧を求めてはおられません。むしろ、神様の御心に従えるように完璧にして下さる のです。そして、それが、私達の快適な範囲や能力を超える時もあります。

A:  私にとって個人的には、神様の「この町には、わたしの民がたくさんいるから」という御言葉が特に真実味を帯びています。大村で、神様に触れられ、召しを 受けた全ての方が、この教会に来ると、私は何年にもわたって感じています。現在の建物と組織では、彼らが入るのは無理でしょう。しかし、その彼らが誰であ るか、私は殆ど知りません。ですから、イエスがすでに取り扱っておられる人々を連れて来てくださることを信頼しながら、私は出会う全ての人に大胆に一貫し てキリストへと導いていきたいと思います。私は、パウロや他国の兄弟姉妹が受けるような物理的なことは恐れていません。ただ、失敗することには怖れを感じ ています。愚かに見えないか、という恐れもあります。それらは、窓の外に放り捨てるべきです!そうした怖れを持つこと自体、私が神様の愛を十分に知らず、 信頼していないことの証明です。なぜなら、完全な愛は全ての怖れを取り去るからです。(1ヨハネ4:18)

P:  お父様。優しく諭して下さり有り難うございます。私がいつもしっかりと信仰を持っているように助けて下さい。あなたが与えて下さった仕事から、引き下 がったり、諦めることがありませんように。何らかの理由で去った多くの迷える羊を連れ戻し、大きな収穫があることを私は望んでいます。この教会に適切に身 を置いている様々な人々を有り難うございます。お父様。あなたがこの教会に、そしてこの教会を通してなさっていることを私はあまり想像できません。どう か、私が従順で、恐れで怯むことなく、怠惰でもありませんように。あなたの時宜に叶って、御心がなされますように。あなたのご栄光のために。感謝します。 神様を賛美します!

2009/04/03

使徒 16:6-15

S: 使徒 16:9, 14
ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。テアテラ市 の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語ることを心を留めるようにされた。

O: 幻は、修辞的と言えるでしょう。文字通りの時もありますが、殆どの場合、そうではありません。エゼキ エルが見た谷間の干からびた骨を思い出します。ここでは、パウロがマケドニヤの男が(日本語訳では性別は書かれていません)、助けを求める幻を見ていま す。しかし、最初に回心したのは、女性の方でした。マケドニヤ出身ではなかったのに、です!それでも、幻は目的を成就しました。つまり、パウロと仲間は、 アジアに留まるより、むしろ、ヨーロッパの方角へと向かったのです。神様は私たちに目的をもって幻を見せてくださいますが、幻より、神様に対して、しっか りと心を留めているべきです。私たちはイエス様に、しっかりと留まっていましょう。そして、イエス様から頂いたものは全て手を広げて受け取るべきです。た とえ、幻であっても、能力であっても、何であってもです。与えられたものだけに固執していては、下さった神様の目的から切り離されてしまいます。

A:  私は、これと反対の経験を28年前にしています。日本に戻り、プロカメラマンとなることを諦めたことがことがあります。その後に、神様が私を日本に連れ て来て下さったスピードは、今でも興味深いほどです。しかし、実際、私は20年以上、カメラマンとしてのブランクがありました。主は、この時点で私に写真 家としての立て直しを図って下さっているようです。私は、もう心配はしていません。焦点は神様です。写真ではありません。さらに、神様は大村がクリスチャ ン都市になるビジョンを与えて下さっています。大村は日本がクリスチャン国家になる先導となるのです。神様が、どのようにその御業を見せて下さるかは、私 には謎です。だからこそ、ビジョンをそのまま受けるというより、むしろ、神様にぴったりとしがみついているのです。

P:  お父様。あなたが私に持っておられる、ビジョンと夢が分かるように助けて下さい。けれども、私は夢やビジョンより、あなたから離れたくないのです。あな たが示して下さる全てに私が忠実でありますように。そして、あなたが私に全てを見せて下さったと思うことがありませんように。あなたが信者に持っておられ る夢とビジョンを彼らが分かるように、私が励ましていけますように。信者が手を広げ受け取れますように。あなたのビジョンを、私達の力で成し遂げようなど と思うことがありませんように。あなたの御手にあって、忠実な使い手でありますように。そして、私たちを通して、あなたが成就させて下さい。あなたのご栄 光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009年4月6日月曜日

2009/04/02

使徒 12:1-17

S: 使徒 12:16
しかし、ペテロはたたき続けていた。彼らが門をあけると、そこにペテロがいたので、非常に驚いた。

O: 私たちと同じように、一世紀の信者たちも、神様が祈りを聞き入れて下さるかどうか信じられない時がありましたが、それを知って落ち着きます。当時、彼らが どのくらい祈っていたかは定かではありません。恐らくは、特定のシナリオがあって、何が起こるか正確に、詳しく、想像したり、祈ってはいなかったでしょ う。しかし、少なくとも、ただ単に神様のご栄光のために、み心がなされるように、祈った人もいたはずです。そして、実際に、そうした祈りは実現したことで しょう。もし、私たちが自分の想像や欲求を捨て、神様のなさることに焦点を合わせるならば、必ず、望んでいた以上のことが起こります。具体的に祈るのがい けないのではありませんし、具体的なことを神様が望んでおられる時もあります。けれども、祈りにおいては、神様に制限を設けるべきではありません。パウロ が言ったように、神様のご計画は「私たちが求め、また思うところの一切をはるかに超えた」(エペソ3:20)ものなのです。

A:  数年前、湊谷じゅんさんと祈っていた時のことを、はっきりと覚えています。主は、人が驚いていることに驚いてはいけないことを、私に語るようにおっしゃ いました。むしろ、神様に大きな期待を持ち、感謝と賛美で受け取るように言われたのです。推論ではありません。私は人の意見を恐れずに、却って、信仰を持 ち、従順であり、神様のご性質とみ力を期待しているべきです。正直なところ、私は神様がこの教会に、大村市に、日本に、何を望んでおられるのか、細かいこ とはわかりません。しかし、それが栄光であることは分かります。ですから、私はその期待を持って生きていきます。

P:  お父様。あなたが今なさっていること全てに感謝します。私が思っていたこととは違っていますが、大変良きことです、私が祈り、信仰に期待しながら行動す るよう助けてください。あなたの制限を設けたり、不信心に陥りませんように。日々、あなたのために働く用を下さり有り難うございます。いつでも、あなたの ために働けますように。特に、私が思いつかない所で働けますように。そして、あなたのご計画が成就し、多く方の救いに至りますように。あなたのご栄光のた めに。有り難うございます。ハレルヤ!

2009年4月4日土曜日

2009/04/01

使徒 11:1-18

S: 使徒 11:14
「『その人があなたとあなたの家にいるすべての人を救うことばを話してくれます。』と言ったというのです。」

O:  御使いがコルネリオに福音を伝えたのではなく、コルネリオをペテロに向かわせたことに、多くの人が、何世紀にも渡り、気づいて驚いています。救いの福音 を伝えたのは御使いではなく、私達のような普通の人間でした。ここ数年、私は、夢や、宣教師のいない国々で御使いが現れ、救われた話をいくつか聞いていま す。しかし、そうした話は、明らかに例外的なものでしょう。救われた人々が他の人を救うという特権を、知恵ある神様は与えてくださいます。私たち自身で誰 かを救えるなどという誤った考えを持ってはいけません。しかし、また、神様が人を救うのに、私たちを用いて下さらないという考えを持つのも同じように間違 いです。イエスを救い主で主と認め、信頼するならば、イエスを認めずに死に瀕する人とは違い、誰でも、命の薬を与えられます。クリスチャン歌手の小坂 忠 さんの、「君は美しい」の歌詞にありますが、イエスを語らずして、誰が神に出会えるのでしょうか?

A:  私はこの歌を英訳し、歌詞を聖書と整合させながら、説教の基本として使いたいと思っています。日本での伝道の最大の困難は、まず、永遠の救いについて、 全体的に認識に欠けることです。哲学的概念においてすら、持ち合わせていません。そして信者は信仰について話すのを躊躇しています。必ずしも全ての人が、 伝道者としての賜物を与えられているわけではありませんし、またその必要もありません。ただ、主がその機会を与えて下さるなら、進んで主について語るべき でしょう。私は、もう何度も、このことを説教で教えていますが、何よりも、このメッセージを伝えるためには、聖霊様に委ねたいと思います。

P: お父様。この時点で、あなたがこの教会のためにして下さったことの全てに感謝します。周囲の方々を救うために、信者を用いたいと、あなたがは望んでおられます。それが叶うのは素晴らしいことです。どうぞ、信者の目と心を開いて分からせて下さい。私 たち、「つまらない者」が、あなたに用いられ「高貴」な者へされますように!昨日、家内が美容師と分かち合う経験が持てたことを感謝します。私たち全て が、そうした経験を持ちたいと望み、あなたの使いにあずかる特権を喜んでいられますように。あなたのご栄光のために。神様を賛美します!

2009年4月3日金曜日

2009/03/31

使徒 10:23b-48

S: 使徒 10:44 ベテロがなおもこれらのことばを話し続けているとき、みことばに耳を傾けていたすべての人々に、聖霊がお下りになった。

O:  教会と世界の歴史にとって、枢要な瞬間です!ペテロをはじめ、ユダヤ人の持っていた先入観は、完全に打ち砕かれたことでしょう。この時まで、神様が彼ら と同等に異邦人を取り扱っておられるとは、思いもしなかったことでした。それで、神様は、むしろ劇的な方法を用いて御意志を示して下さいました。ただ聞く だけの人にではなく、心から御言葉を聞こうとする人に聖霊がお下りになります。それが示された転換点は日本人にとって、意義のあることだと思います。彼ら は神様の言葉を聞こうと期待して集まりました。心を開いて聞きました。餓えていたのです。そうした人に福音を伝えるのは、喜びです。もし、忠実であるなら ば、神様は必ず、心に触れて下さるからです。反面、ただ「型通りの事務的な」集まりで、教えることは、全く実りがありません。明らかに、あらゆる点で、 「聖なる使命」を帯びているからで、ペテロはその結果に驚きました。

A:  私は、聞き手が真剣に聞いていない時でも、福音をしっかりと伝えています。それは、数年後に実を結ぶように、神様が人々の心に種を蒔いておられるからで す。パウロがテモテに語ったように、私も「御言葉を宣べつたえていきます。たとえ、時が良くても悪くても」です。(2テモテ4:2) もし、私がそれを忠 実に行わないならば、神様は、志の整った他の人に命じられるでしょう。それは当然のことだと思います。神様がご用意くださった豊かさ、そして、十字架でキ リストがなさった目的の全てをいただくためには、こうした心構えが大切であることを、教えるよう覚えておきたいと思います。

P: お父様、昨日、私を用いてくださったことを感謝します。G婦人は調子がよく、私と会って喜んでくれました。さらに、私の彼女への祈りを受け入れてくれたのです。数年前に、あなたはこれが起こることを教えて下さったように、こ れによって、彼女がキリストの体に、再び参加できますように。大村に二度、良いゲストが来てくれ、感謝します。私を通して、ゲストの方々にあなたは影響を 与えて下さいました。私が常に、あなたに敏感に、従うように祈ります。あなたからの使命を、一つも見逃しませんように。心と暮らしに触れられ、癒されます ように。人々の救いとあなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009/03/30

使徒 10:1-23a

S: 使徒 10:15
すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物は、きよくないと言ってはならない。」

O:  昨日、私は、ある信者の方と討論をしたのですが、この御言葉を直接、応用できることに、今、気づきました。罪のため、私達は神に仕えることや、神に近づ くことさえ、値しないと考えがちです。しかし、神は、キリストの血によって、あらゆる罪を清めてくださったのです。ヨハネがはっきりと言っているように、 イエスの血が、すべての罪から私たちを清めているのです(1ヨハネ1:7)。必要なことは、私たちが罪を認め、イエスに告白することです(1ヨハネ1: 9)。けれども、悪魔は私たちを罪から解放したくありません。それで、私たちが罪を取り扱った後でさえ、後退させ続けるのです。神様がペテロに語ったこと は応用でき ます。神様は、御子の血によって、私たちを清めてくださったのですから、もう自分たちを清くない者と言うべきではないのです。もちろん、恵みを軽薄に頂い たり、赦されるからと罪を犯す口実にしてはいけません。それは、神様の御顔につばを吐く行為です。そしてまた、私たちが本当に罪を赦され、清められ、洗い 流されたと分かるまで、罪から自由になることはありません。その時に得られる自由は、まさに驚くほどです!

A:  私は明らかに、このケーススタディをしています。罪で清くないことで苦しんでいる人たち、そして、私がそうした人たちを低く見ないように、また、彼らが 軽視されていると思わせないように、私は忍耐強くなくてはなりません。イエス・キリストにある自由、聖霊にある自由を伝えていくべきでしょう。罪の鎖から 人々が解放されるためです。古い賛美歌に、「憂いを慰め 恐れを去る御名をば 罪人 聞くうれしさ」とあります。歌詞の後半部分のように、信者全員が心から、「くらきの力をイエスはくだき、血をもてあがない、救いたもう」と宣べ伝えるよう に、助けていきたいのです。残念なことに、この詩を訳した日本人訳者たちは、この詩のつ深い意味合いを数行で表すことをやめてしまっています。それで、こ の詩を上手く訳してはいますが、原意を完全に表現できていません。(賛美歌62番)ペンテコステ教会で歌われている讃美歌は、より原意に近いです。そうし た古い言葉使いの方が、全体的に滑らかに響きます。(聖歌91番)

P:  お父様。のメッセージが伝わりますように。言語は確かに壁となっていますが、最大の問題は、真実を知らせまいとする悪魔の働きです。けれども、悪魔より も御霊の方が力強くそばにいるのです。御霊の力で私が働けるように助けてください。すべての信徒が真実に気づき、ともに、あなたがご用意なさった自由の道 を歩くためです。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

2009年4月2日木曜日

2009/03/29

使徒 2:1-21

S: 使徒 2:21
「しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」

O:  旧約聖書では、「主の御名を呼ぶ」表現が多くありますが、この節のように、旧約聖書からの引用以外にも、新約聖書で広く使われています。その大きな理由 は、多神教が広まっていたためです。多神教のため、単に「神」と呼ぶだけでは、不確かだったからです。そうした背景、または日本の多神教を見ると(日本は 「やおよろずの神の国」と自ら呼んでいます。)、エホバの証人の方々が、「神の名はエホバ」だと強調するのも、よく理解できます。聖書で「主の御名を呼 ぶ」が使われるもう一つの理由としては、当時は人の名前には、その人が誰で、何者かに不思議な関連があると思われていたからです。現代では、そうした感情 は、殆どなくなってしまいましたが、当時の人々は、名前を知っていれば、その人に対して、ある程度の行使力があると感じていました。こうした意味合いを考 え、救いのために、創造主の「御名を呼ぶ」のは、大変に良いことです。


A:  このことに関し、現代日本では、二つの問題があります。人々は主の御名を呼ぶことを知りません。さらに、救いの必要を、実際全く分かっていません。私 は、ヤーヴェとひとり子イエスについて教えていますが、これは本当に喜びそのものです。しかし、彼らに必要を悟らせて下さるのは、聖霊様だけです。今週、 私は白血病を患っている女性と会いました。彼女は、どなたか、よく分からずとも、純粋に神を呼び求め、そして神と出会いました。それが、どれほど大きな恵 みであるかを、私は彼女が理解できるように助けてあげたいと思います。たとえ、苦しみにさ中であっても、です。彼女が心からキリストの仕えるなら、永遠の 命を得て、豊かな栄光をいただけるからです。残念ながら、そのことを殆どの日本人は知らないでいるのです。私がこれまで出会った方々が、ちょうど彼女のよ うに、必要に目を開き、イエスこそ彼らに必要な答えだと信じ、救われるためにイエスの御名を呼ぶように祈ります。

P:  お父様。十分すぎるほどに、あなたからの恵みが与えられ続けていることを感謝します。昨日、病院に二度、見舞いに行けました。有り難うございます。Fさ んは、まさに救いの瞬間です。しかし、Kさんは、まだ彼の必要を分かっていません。彼らだけでなく、私が出会った全ての人のために祈ります。彼らが、あな たの救いに目を開き、必要を理解できますように。そして、大きな収穫が実りますように。けれども主よ。私に全ての収穫は無理です。一人ひとりの信者が、自 身が収穫者であることに気づき、信じるように祈ります。そして、彼らが人々を救いのために導き、十分用いられますように。あなたのご栄光のために。有り難 うございます。ハレルヤ!

2009/03/28

ヨハネ 12:37-50

S: ヨハネJohn 12:50
「わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。それゆえ、わたしが話していることばは、父がわたしに言われたとおりを、そのまま話しているのです。」


O: ヨハネの福音書全体がそうなのですが、この節全体は、私にとても沢山のことを声高に語っています。その理由は、ヨハネはイエスがそうであったように、神から彼への語りかけを慎重に
伝 えたからです。人間の知恵は多くのことを思いつきますが、それも聖霊によって鼓舞された時のみ、永遠の意義と価値を持つのです。私たちが、音声拡大装置の スピーカーにすぎないと言っているのではありません。神様は、私達の心と人格を迂回したりはなさいません。それらを用いてくださるのです。49節に書いて あるように、神様は私たちが何を、どう話すかを教えてくださいます。(私のそばの壁のポスター、マーク・コナーの「Preaching to Change Lives」の中の素晴らしいアウトラインが、ヨハネ12:49を基になっているのに、今、気づきました。)イエスは、私達の口から出た、あらゆる非生産 的な言葉に、呼応しなくてはならないと教えています(マタイ12:36)。そのような非生産的な言葉を避ける最良の方法は、神様が私たちに語ってくださったことを話すことです。それは、いつでも愛ある真実なのですから。

A:  私は言葉で語り、人に伝えているので、この節は私の真髄まで響きます。私の心の祈りは、神様が私に語って下さったことだけを、そして語って下さったこと 全部を話すことです。しかし、まだそのゴールまでは、まだまだ遠い道のりです。もう何度も、私は不注意な発言で、人を傷つけてきました。あるいは、せいぜ いよくても、聞く人をしっかりと建て上げることが、できませんでした。神様が言われたことを伝えるのが、どれほど心地よいかを知っています。それは、イエ スがこの節で教えているように、神様の言葉は命そのものだからです。それでも、私はしょっ中、不注意に喋っています。偏執狂的であっても、ユーモアを失っ てもいけませんが、耳と舌に気をつけ、父の話をよく聞き、伝えるように、常に求めていきます。それも、決して御言葉を減じたり、歪曲したりしてはいけませ ん。神様のご栄光のために、私を通して語られることによって、御意志が成就するためです。


P:  お父様。私に言葉の賜物を与えて下さり感謝します。そのため、小さくとも、重要なことが理解できます。私を伝達者として用いて下さり感謝します。大学一 年の時でした。当時は、まだ何が起こったのか分かりませんでした。何年も、伝達者として、私を訓練し、ここまで導いて下さり感謝します。しかし、まだ私の 効果的な伝達は不十分です。私があなたからの言葉を、ますます効果的に、ゆがめず、減じることなく、伝えていくように助けてください。あなたが送られた一 つ一つの言葉が、全て成就しますように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

2009/03/27

ヨハネ 1:29-34

S: ヨハネ 1:34
「私はそれを見たのです。それで、この方は神の子であると証言しているのです。」

S:  神が言われた通り、イエスに、まるで鳩のように聖霊が下ったもを見たという証言を、ヨハネはしています。これはNIV版より、日本語の方が明確です。こ こで私たちに大切なのは、ヨハネは彼が知っている限りのキリストについて証しをしたという、より広い意味合いです。風評による証しには殆ど価値がありませ ん。私達は、自分自身で経験したことを証しするのです。ですから、紋切型で偽善の伝道者による話は効果がないのです。しかし、平均的なクリスチャンには、 自分の経験が役立つことに、あまり自信がありません。それで伝道に関して常に聖書を丸暗記しているのです。問題は、話を聞いた人が聖書の側に立っていない ことにあります!成功の伝道は全て、とても個人的なのです。それが、たとえ一人の人が百万人に語ったとしてもです。なぜなら、その人は個人的な経験に基づ いて話をするからです。

A:  教師である私は、自分の経験したこと以上を話しがちですが、慎重になるべきでしょう。聖書を通して示された真実のみを、教え広めていくべきです。そし て、その宣べ伝えは効果的であるべきで、私自身、真実を歩んでいくべきです。ヤコブが言うように、おのれを欺いてはいけません(。ヤコブ1:22)信者 に、彼らの経験した神の恵みと愛こそが、もっとも力強い伝道になるのだと、励ましていきたいと思います。型にはまった話ではなく、彼らが自分自身の経験を 話し、他の人が神の家族に加わるように、彼らが聖書的基本を身につけるように指導したいと思います。神様がとても個人的な方であり、一人ひとりに心を注い でおられるという事実、これらは一般の人は分かっていません。そして、それを彼らが知るのは、創造主である神様との個人的な関係を築いた時なのです。

P:  お父様。この明白な御言葉を感謝します。私の望む以上に、私に多く語って下さり有り難うございます。私の低い期待を赦して下さい!私は外国人であり、 「本物のキリスト者」です。そのため、私の経験は彼らに、そのまま応用できないのです。こうした過去の思いを取り扱ってください。信者を奨励していけます ように。彼らは妨げではなく、却って、その証しが私の証しより力強いのです。この教会が真に伝道の場となりますように。私たちが、あなたの働き手であり、 あなたの望んでおられる真実なる救いの知識を、理解できるように助けてください。有り難うございます。神様を賛美します!

2009/03/26

ルカ 24:13-35

S: ルカ 24:25
するとイエスは言われた。「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない。心の鈍い人たち。」

O:  神は、このことを私たちについてしばしば語っておられないのでしょうか。もしクリスチャンが聖書の書かれていることの全てを信じないなら、この世は生き るのが大変難しいことでしょう。この箇所では、二人の弟子はイエスに心から献身していましたが、彼らは現実の状況から目を上げて見るのができませんでし た。それまでの過去の経験を基にしたのです。しかし、それは動物が学習する方法です。人間は単なる動物以上の存在として造られました。ですから、神様は私 たちが、状況以上を見上げることを望んでおられます。けれども、多くの場合、私達は、そうすることを拒否しています。神様の御言葉は、滅多に複雑ではあり ませんが、私達は先入観を持ち、そのために受け入れるのを拒んでいます。だからこそ、神様の御国を見るためには、幼子のようになるべきなのです。先入観な ど持たない子供は、価値のあることとして受け入れるのです。もし、大人が神様の愛をそのまま額面通りに受け取れるなら、私達の多くがとても変わるでしょ う!

A:  私は神が語ったことを日本人に全て理解してもらえるように教え、ミニストリーをし、祈っていますが、私自身、理解と信仰の面で大きく成長しなくてはなら ないでしょう。過去の経験の照らすと、私は期待することに制限を設けがちですが、今の時点での実りのレベルを考えると、少しの期待です!私は人々を奨励し 続けながらも、自分自身と状況から目を逸らし、イエスに目を向けていたいと思います。悪魔の語る否定的な言葉にではなく、イエスの語ることを聞きます。そ して、私の信仰が、イエスの語った「信ずる者には、どんな事でもできる。」(マルコ9:23)の高みまで上がるためです。

P:  お父様。あなたは私を通して人々について語られます。私が、その言葉をしっかりと聞き、受け取れるように助けてください!パウロがそうであったように、 人々に語った後、私自身やり遂げられない時があるようで気になります。パリサイ人の偽善から私を遠ざけてください!あなたの御言葉を幼子のように受け取れ ますように。そして幼子がわかるように、分かりやすく説明できますように。幼子に教えるように、御言葉を教えてほしいとKは望んでいます。感謝します。K は自分の先入観によって限界を感じていたことに気づけるほど、かなり成熟しています。そして、説明された御言葉のよって、彼女が持っている先入観は壊され ることを望んでいます。どうぞ、私が、一瞬一瞬、信仰を持ち、従えますように。あなたの言葉を聞き、見、同じように人々を導けますように。彼らの救いとあ なたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!