2009年3月20日金曜日

2009/03/19

マタイ 17:1-9

S: マタイ 17:5
彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことばを聞きなさい。」と言う声がした。

O: 神様は、個人に、あるいはそこにいる人たちに、確証を与えるために語ってくださる時があります。私達は、イエスを弱い者とは思っていません。しかし、罪は なくとも、人としての弱さを負っておられたことが、聖書を読めばはっきりと分かります。イエスは、信じられないほどの困難な試練を受けました。十字架の苦 難だけでなく、その時点まで、普通に役目を果たしました。恵みと憐みである御父は、必要に応じて与えてくださいます。このことも付随して、3人の弟子たち は、疑いのないイエスの神性を確信しながら、決して忘れない記憶として心に刻みました。今日、神様からの確証は、これほどはっきりとしたものでありませ ん。唯一キリストお一人だからです。しかし、イエスの恵みと憐みは変わることなく、私達の必要を満たして下さいます。もし、私たちがイエスに耳を澄ますな ら、私達の必要を正しくしてくださり、必要を確認させて下さいます。

A:  私は様々な確証があったのを覚えていますが、中でも、数年前、シアトルの友人宅に滞在した時のことは、際立っています。その時、友人は外出していまし た。私は居間にいて、祈っていました。異言で祈っていましたので、どういう意味なのかを主に尋ねました。それは、献身のための祈りで、私自身を十分に神に 捧げよ、ということでした。そして、主は私に確信の言葉を与えて下さり、それ以来、私をとても強めてくれています。それが、私にとってどれほど大きい意味 を持っているか、さらに、キリストにある兄弟姉妹のための確証の器として私が用いられる事を、覚えておかなくたはなりません。器あるいは正しくさせる者と して、怯んではいけません。ただ、この過程でも確信を持っているべきです。

P: お父様。あなたが彼らに語ったことを、日曜日に、確信を与える言葉で私が伝えられたことを感謝します。彼らが、その言葉を必要とする限り、いつも励まし、 慰めとなるように祈ります。私が、あなたの子供たちに確信を与える道具となるよう祈ります。彼らを励ます機会を求めながら、常に愛を持って語れますよう に。あなたが彼らを愛して下さっているという事実を感謝します。私たち全てのために罪のあがないを与えて下さり感謝します。あなたが望んでおられるのは、 ただ私たちが悔い改め、あなたに従い、交わることです。私があなたの御言葉を、確信と励ましを持って伝えられますように。そして信者が、くじけることな く、建て上げられ、強められますように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

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