2009年3月20日金曜日

2009/03/18

マタイ 16:13-20

S: マタイ 16:13, 15
「人々は人の子はだれだと言われていますか。」イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしはだれだと言いますか。」

O:これは、存在に関わる最も重要な問いです。 「私が誰であるか?」という問いよりも、さらに重要です。実は、この二つは切り離せないものです。自分が何者かであるかは、キリストが誰であるかに、か かっているからであり、自分が神の創造物であるからです。イエスからのこの質問に対する正しい答えは、永遠の命をもたらすものです。ペテロは、あなたがキ リストであり、生ける神の子であると、客観的事実をもって答えました。そして、あなたは私の主である、と救いの意味を加えて、答えています。ペテロの答え を、知的解釈する人達がいますが、イエスを自分の主として、最後まで果たすことができません。ヤコブが指摘したように(ヤコブ2:19)、事実を認めるだ けでは、救いとは言えません。献身が求められるのです。ですから、「あなたにとってイエスとは何者か?」の問いが、今日の教会では、より、なされるべきで しょう。もし、この質問がされれば、ただの傍観者は減ることでしょう。

A: 考えてみると、私は自分自身に対してこの問いを殆どしていません!もっと、問いかけてみるべきでしょう!信者にも考え、正しい答えのために精魂傾けるように励ましたいのです。イエスを主、神であると認めるなら、イエスを備え主、いやし主、義なる人、羊飼い、その他のもろもろとして経験できます。基本的な告白から遠ざかっていると、神様 の恵みと祝福を受けられなくなります。この点に関して、どれほど長い間、私がどれほど多く間違っていたかを覚えておきながら、私は人々とともに働きなが ら、忍耐強くありたいものです。そして、彼らを喜ばせるために、大丈夫だと軽く言い、そうした印象を与えたままにしないように心していきます。

P:  お父様。この明確で、強い御言葉を感謝します。いつ、どのように、この御言葉を分かち合うべきかを示してください。私の人生のあらゆる面で、イエスを主 として、怯まず、ますます共に生きれるように助けてください。私へのあなたのみ心が成就しますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

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