2009年3月3日火曜日

2009/02/28

イザヤ21:1~10

S: イザヤ21:3 私は、心乱れて聞くにたえない。恐ろしさのあまり、見るにたえない。踏みにじられた私の民、打ち場の私の子らよ。私はイスラエルの神、万軍の主から聞いたことを、あなたがたに告げたのだ。

O: すべてのビジョンが楽しいものとは限りません。啓示の全てが快適で、励まされるとも限りません。し かし、ビジョンを見た者は、はっきりと忠実に伝える責任を負っています。警告を与えることは、背中を軽く叩くことより大切だからです。神様のスポークスマ ンとして召しを受け、従う者は、やさしい言葉も、厳しい言葉も伝えるべきです。しかし、主が語った言葉や、示されたことから、逸脱しないよう注意すべきで す。たとえ、それが良いことであれ、悪いことであっても、です。私たちの聞くべきこと、教えられるべきことを、神様は御存じなのですから。

A:David Wilkersonの「The Vision]という本を大変、思い出させる御言葉です。この本はアメリカの未来を描いた内容です。以前、読んだ時は、この作者は少し大袈裟だと思いまし たが、実際、この本に書かれている通りになりつつあるようです!正直なところ、私はこうしたメッセージを、伝えるように託されていないことに感謝します。 私はマイルドに正すのが不得手なのです。大きな問題では、特にそうです。しかし、私は、快適な範囲に留まるべきではありません。時には、愛を持って真実を 語るべきでしょう。今週、私の兄弟に手紙を書きましたが、私たちはみな、対立を極力、避けようと思います。しかし、しばしばそれは、実際の対立/問題に関 して言うなら、解決には役に立ちません。聖霊様の言葉を愛を持って、語るように私はいつも気をつけていたいと思います。けれども、人を正しくし、諫めるこ とから尻ごみしません。それが、主が命じられるように、とりわけ教会内では、そうありたいと望みます。

P: お父様。私への忍耐を有り難うございます。昨夜、私を通して、語ってくださったことを感謝します。 語られたことを愛を持って心に刻めるように祈ります。正しい言葉を、信者一人一人に語る、勇気と機会をください。そして、信者が互いに励まし合いを求める 心を求めます。彼らは、自分たちの問題で手いっぱいで、それ以外に焦点を合わせるのが負担に感じると言います。私も問題に焦点を合わせるのが、彼らに重荷 であるのは知っています。そして、そのことを教えると、私からだけでなく、教会から、恐らくは、信仰自体からも遠のいてしまうでしょう。私は、そう、させ たくはありません。私が彼らへの励ましを語れるように助けてください。そして、彼らが目を上げ、前進できますように。あなたから頂いた強い言葉を、臆する ことがありませんように。あなたは私に、慰めと励ましを与えるように望んでおられます。私が、そのことを積極的に求めるように助けてください。曲った葦が 壊れることなく、弱った足が萎えませんように。有り難うございます。主を賛美します!

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