2009年3月8日日曜日

2009/03/01

イザヤ40:1~11

S: イザヤ40:1,11 「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」とあなたがたの神は仰せられる。主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕をに子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。

O: 神様の義と正義を考えていると、神様の優しさを忘れてしまう時があります。人の思いや、言葉がどう であれ、神様は、必要以上に厳しい言葉や手段を使うことは、なさいません。詩篇作者が言うように、人が、ちりであることを、神は覚えておられます。自分が 率いる群れに、残虐だったり、手厳しく支配的な指導者であるなら、その人は神様の御心を持っていません。

A: 信者は自分の問題だけで手いっぱいなのだと、最近の教会総会で、言われた事を思い出します。信者た ちは、私に、遠くからではなく、そばに来て、ともに重荷を負ってほしいと望んでいます。ただ、イエスを見上げることを教えるよりも、むしろ勇気づけ励ます ことが必要でしょう。神が私に働いておられるように、彼らにも同じく働いておられることを、分かってもらうには、大きな能力が要るのですが、私にはとても 難しいのです。ただ、遠方から戦略プランを指揮するのではなく、信者の戦いのためにも、私は一緒に、”塹壕に入って”助けるべきでしょう。

P: お父様。あなたの群れのために、私にあなたの御心をください。あなたがペテロにおっしゃったよう に、私も彼らを養うようにおっしゃっています。私が彼らに正しい食べ物を正しい方法で与えるように助けてください。そして、彼らが、その食べ物を受け、栄 養とし、直面している問題に立ち向かう強さを得ますように。私が理論めいた説教者ではなく、彼らの必要に応じて御言葉を応用できるように助けてください。 彼らが、しっかりとあなたを見上げ、喜ぶように、励ましたいのです。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

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