2009年3月18日水曜日

2009/03/16

Matthew 10:24-31

S: Matthew 10:24-25
「弟子はその師にまさらず、しもべはその主人にまさりません。弟子がその師のようになられたら十分だし、しもべがその主人のようになられたら十分です。彼らは家長をベルゼブルと呼ぶぐらいですから、まさしてその家族の者のことは、何と呼ぶでしょう。」


O:大切なのは、私たちがイエスのようにあるべきだということです。イエスは、弟子たちにご自身が受けた処遇より、良い処遇を望
ま ないように注意していますが、それだけではありません。パウロは、「私がキリストに従うように、私に従いなさい」と言っているのは、こうした理由からで す。イエスに近づくほどに、ますます、イエスが私達の心に形成されます。そして、私たちには、それがあまり分からないでいます。西洋文化社会では、”弟 子”についての考えが薄れてきていますが、日本では、芸術や商売の分野で、まだ残っています。恐らく、多数の日本人は、大工の徒弟制度や、陶器師の子弟関 係を思い出し、理解できるかと思います。イエスを信じる者は、イエスがなしたことをし、さらにそれ以上をするだろうとイエスは語っています(ヨハネ14: 12)。楽しいことですが、信じるのは難しいです。しかし、誤解や拒絶を含め、全てそのまま受け入れることです。

A:  私は、お世辞をよく言われます。昨日も、沢山言われました。しかし、私にある良いものは、すべて賜物だと認めています。そして、コミットを新たにし、服 従していきます。私のゴールは、人がイエスに近づくことです。人が私に何を言おうが、よく思おうが、悪く思おうが、関係ありません。私は、イエスのこの世 でのミニストリーと、天での栄光と力ある現在の働きの両方に目を留めているべきです。そうすることで、気が散ったり、良きにつけ、悪しきにつけ、物事を先 延ばしにしなくなるでしょう。また、イエスの言葉になりますが、私が全てを成した時、私の態度は、「私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをした だけです」(ルカ17:10)のようでありたいのです。まだ、私は言われたことを、やり遂げてさえいないのです!

P: お父様。昨日のことを感謝します。沢山の人が集まり、温かい雰囲気の良い集いでした。私の望んだこととは、少し違う点がありましたが、あなたは、恵みの多 いお方です。私を必要とする人がいて、泥濘はまったままでないことを感謝します。今日、ホームページ作成に関連して作業を行いますので、先延ばしにする用 事もあります。すべて信仰を持って行えるように助けてください。福田さんのための山崎家からのオーディオセットを感謝します。私が、いつ、どのように、 セットアップするか示して下さい。福田さんにとって、最大の祝福となるように用いてほしいのです。今日の午後、家内の市民ギャラリーでのクラスを導いて下 さい。その他の活動の間も、クリスチャンゲームの制作が続けられますように。主よ。私達の体は望ましくはありません。あなたが望まれるような、生きるため の健康のために、あなたを信頼し、受けることができますように。祝福とご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

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