2009年5月22日金曜日

2009/05/18

詩篇 103:1-22

S: 詩篇 103:15-18
人 の日は、草のよう。野の花のように咲く。風がそこを過ぎると、それは、もはやない。その場所すら、それを、知らない。しかし、主の恵みは、とこしえから、 とこしえまで、主を恐れる者の上にある。主の義はその子らの子に及び、主の契約を守る者、その戒めを心に留めて、行う者に及ぶ。

O:  15節と16節は人の束の間を絵画的に表現している点で、とても仏教的です。しかし、その後に「しかし」で始まる17節が続いています。聖書が虚無的で あることは決してありません。いつでも希望があります。それは神様が偉大なあってあるお方だからです。ダビデが永遠の命について、どう完全な概念を持って いたのかは不明ですが、新約聖書に近いものではなかったでしょう。それでも、ダビデは神様が命以上に信頼できるものであると預言的に知っていました。私達 が現在、持っている聖書のわずか4分の1しか持っていなかったのに拘わらず、ダビデは神に信頼し、完全に自身を捧げ、神のみ心を求めました。神がダビデを 信頼し今日のみ言葉のように、素晴らしい内容の箇所を聖書に書き足すようにされたのは、こうしたことが背景にあります。ダビデは大変、現実主義的な人でし た。ですが、そうでない多くの経験をあまりにも多くしています。このため、ダビデは神様の恵みと良い方であることを、より鮮明に、より確かに確信を持った のです。

A:  私も、神様が真実であることを経験しています。それは、もう、言葉に表現できなほど、もう思い出せないほどです。常に、このことの輪郭をしっかりと心に 覚えていたいと思います。家内が心臓の問題で今日から入院する、今の状況は特にそうです。私とともにおられる方への確信と希望を現わしていくべきでしょ う。それを見て、人が信仰へと導かれるためです。それは、ちょうどダビデが信仰を何世代にも渡って建て上げ、神を指したのと同じです。私も、私の後に続く 人々に信仰が引き続き建つようにしていきます。私は自分の状況には現実的ですが、目の前の問題がどんなものであれ、神様の方がより現実的であることを心に 覚えていたいと思います。明日のことは分からないが、私の手を取って下さる方を知っている、という歌の通りです。

P:  お父様。あなたの誠を感謝します。ダビデと、ダビデが経験した、あなたが真実であることの記録を感謝します。私が、経験することの一つ一つを、積極的に 信頼を込めた祈りで、あなたに差し出せるように助けて下さい。そして、言葉にあるように、あなたからの平安で、私の主であるイエス・キリストの内にあっ て、私の心と思いを守って下さい。キャシーの今日の入院手続き。明日の血管造影に特別の恵みを与えて下さい。これは私たち夫婦にとって、かなりの特訓で す。私たちには勇気づけとなるあなたの誠が、まだ沢山あるのです。今日もあるも、すべてにおいて、あなたの完全な御意志がなされますように。あなたの御栄 光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

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