2009年5月22日金曜日

2009/05/19

詩篇 111:1-10

S: 詩篇 111:1
ハレルヤ。私は心を尽くして主に感謝しよう。直ぐな人のつどいと集会において。

O:  ここでは、礼拝で公に証しをすることの聖書的な理由が正しく述べてあります。詩篇には、こうした内容の物が多くありますが、殆どの教会ではあまり見られ ません。神学を聞いて大喜びする人は恐らく少ないでしょう。一方、自分たちの必要に神様がどう関係しているかになら、誰でも勇気づけられることでしょう。 ウエイトレス、事務員、退職者が宝くじを当てた話になると多くの人が興味を持って聞くのです。たとえ、そうした話の結末が大抵、悪い結果になると知ってい ても、です。この手の話ならば、新聞のネタとしては売れるでしょう。教会では、日々神様が与えて下さる現実の祝福を分かち合いましょう。そうした証しに よって、話す人も、聞く人も励まされ、神様に栄光を帰せれるのです。

A:  今、上に書いたことは、ちょっと自画自賛してしまったかもしれません。私達の教会では、当初から礼拝の主要な部分として「証しのとき」を設けていますか ら。それでも、何が大切であるかを時に思い出すべきでしょう。殆ど証しのない時もありました。そんな時はきまって、何か気まずさを感じてしまいます。そう 遠くない将来、証しをしたい人が前もって申し出るようになる時が来るのを、私は心待ちにしています。証しをしたがる人が、今、大勢いるからです!少し、不 自然な感じがするかもしれませんが、「メソメソする時間」ではなく、また、時間の関係で割愛してしまってもよくありません。証しを聞いた後、もう私の説教 はいらないでしょうね、などと言ったことがありますが、主が望まれるのあれば、きちんと証しの後のフォローをやるべきでしょう。礼拝の中心は主であり、私 の説教でないことを覚えておかねばなりません。

P:  お父様。最近、証しが多いことに感謝します。信者が証ししたいと思うこと、人と分かち合いたいと望むこと、その恵みを感謝します。あなたのみ業を分かち 合い、人々をあなたへと導けるように助けて下さい。狂信さからではなく、あなたへの純粋な感謝と賛美を持って行いたいのです。あなたのご栄光ために。有り 難うございます。神様を賛美します!

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