2009年5月15日金曜日

2009/05/10

民数紀 6:22-27

S: 民数紀 6:27
「彼らがわたしの名でイスラエル人のために祈るなら、わたしは彼らを祝福しよう。」

O: 文化的に理解しようと試みて、日本語では完全にこの節の内容を見落としていま す。私が調べた全ての英訳は「彼らの上に私の名を置く」となっています。一方、日本語では「私の名で祈るなら」と訳されています。モーゼ5書中、この神の 言葉が、多神教文化にどっぷり浸かった人々に対してであることを考えると大変意義のあることです。ヤーベ以外に神はいないことを教えなくてはならなかった のです。NIVでは、すべて「主」でひとくくりにされていますが、原版ではヤーベとなっており、この節でも3度使われています。イスラエル人が周辺諸国を まねて、「バアルよ、雨を降らせよ」などと言わぬように、のちに起こることの機先を制されたのです。旧約聖書に出てくる人々の名前を調べてみると、「バア ル」を「主」の意味で用い、彼らの言語の一つとして定着していたことが分かります。たとえ、彼らが唯一の神を理解できなくとも、この節で、神はご自身だけ が彼らの神であることを示そうとなさっておられます。
A: ここでは、多神教に関連したことが多く書かれていますが、これは「八百万の神」である日本に大いに 関係しています。エホバの証人が、日本で、うまくいっていることの理由の一つでしょう。彼らは多くの名前にこだわっていますから。キリスト教では、父なる 神の御名をあまり用いません。このため、イエスが父なる神様ではないと聞くと、彼らは、やや困惑します。(もっとも、イエスはヨハネ10:30で「私と父 は一つである」と言っています。)ある時期、私はこの難題に困惑したことがあります。いまだに、その答えを見出してはいませんが、一般化していない専門用 語の世界と関係しているかもしれません。そして、クリスチャンと、異端と称される人々の混乱を招くかもしれません。神様の御名に敬虔に用いるように、聖書 ははっきりと述べています。ですから、日本人に神様がどなたであるかをしっかりと教えることができるように、神に求めていこうと思うのです。

P: お父様、私達の間で、また私達を通してなさっている全てのことに感謝します。昨 日、気づいたことがあります。有り難うございます。これまで気づかなかったことにも、また知っていたことにも感謝します。あなたが完全に信頼できるお方で あることに感謝します。どんな小さな心配ごとにも、ますますあなたを信頼するように助けて下さい。いつでも、あなたの御霊に充分従い、心の中であなたの御 名を高く掲げ、行動によって示せますように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

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