2009年5月11日月曜日

2009/05/06

創世記 6:5-8

S: 創世記 6:6, 8
それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。しかし、ノアは、主の心にかなっていた。

O:  この節を馬鹿げた神人同形説だと主張する人がいますが、聖書は、私達の罪が神を悲しませたと、はっきり指摘しています。パウロが神の聖霊を悲しませては いけない(エペソ4:30)と、新約聖書で教えています。今日の節から、新約聖書のこの箇所まで、感情は私達が神に似せて作られたことの一つだと聖書は教 えています。8節は、とても興味深いですね。「ノアは主の目に恵みを見た」と訳する人もいます(この節で恵みを主題としてあるのは、そうした理由からで す)。一方、NIV版では、「心にかなっていた」となっており、日本語訳でも、「ノアは、主の心にかなっていた」となっています。へブル語が分かる同居人 はいませんので(ギリシア語の分かる同居人はいますが)、自分で調べて確かめるしかありません!このあとを読んでも明らかなように、ノアは完璧ではありま せん。しかし、大変な苦労、嘲笑、神に従う代価をいとわなかったことに着目すべきでしょう。神は、ノアに箱舟建設を命じる前から、ノアの心を知っていまし た。そのことを、この節述べているのです。ダビデがひどい罪を犯しながら、なおも、神の御心を求めたとして語られたように、ノアも、また、少なくとも正し い方向に向いていたのです。私達は罪を犯さないように気をつけるべきですが、もし、罪を犯したと気づいたなら、ただちに悔い改めるべきです。しかし、最も 基本的なことは、心の在り方で、それこそ、神様の求めておられることです。

A:  私は、私の心は神様に従っていると思いますが、それで罪の言い訳にしてはいけません。そして、私は人の罪を戒めますが、それは、彼ら個々の罪にというよ りは、むしろ彼らの心の在り方に焦点を当てていきます。もし、心が正しいならば、その人は、正しくなるために必要なことを受け入れるために、聖霊に心を十 分開くでしょう。比較的、小さな罪であっても、それが心の問題を表わしている場合があります。また、大きな罪でも、ほんの束の間の小さなことであったりし ます。そこは、神様に判断を委ねるとして、周辺の問題よりも、むしろ神様を見ていたいと思います。

P:  お父様。あなたの恵みを感謝します。あなたの恵みなしで、誰も立つことはできません!どうか、私が教師として、恵みを伝えることができますように。下ら ない、安っぽい恵みではありません。あなたの恵みは、主イエス・キリストの血と体の代価なのですから。あなたを悲しませることのありませんように。聖霊様 を遠ざけることのありませんように。私を通して、ますますあなたからの御霊を流せるように、心を開いていけますように。生ける川の水となり、多くの人が、 その水を飲み、命を得て、救われますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

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