2009年5月15日金曜日

2009/05/09

出エジプト記 34:1-10

S:
出エジプト記 34:6-7 「主、主は、あわれみ深く、情け深い神、怒るのにおそく、恵みとまことに富み、恵みを千代に保ち、咎とそむきの罪を赦す者、罰すべき者を必ず罰して報いる者。父の咎を子に、子の子に、三代に、四代に。」

O: このみ言葉が英語より日本語の方が、はるかに短くおさまるのは興味深いことです。この内容が西洋的考えより、東洋的考えだからでしょう。どちらにしろ、大変、重要な箇所です。神様がご自身を表現なさったこの時まで、人々は一神教ではなく、ましてや、創造、空間、時間などの洗練された高次元な哲学は持っていなかったからです。神様は、まずご自身の優しさの部分から描写を始めておられますが、イスラエルの人は、神様の力を怖いものとして見ていたので、これは特に大切です。
むしろ、彼らは人を面白がり、攻撃を加える気まぐれな神々という概念に慣れていました。しかし、罪には結 果が伴うこと、そして、罪を犯させる存在を人間は止められないことを、神は非常に明確に教えています。この点に関し、最近、私達は過ちを過去の世代のせい だと主張し、今、ある責任を逃れようとしがちです。それでも神様との関係は続きます。聖書が、創世記から黙示録まで、明確に書き記してある通りです。つま り、一人ひとりが自分の罪に責任があるのです。大切なことは、周りの人に与える影響のためにだけではなく、のちの4世代に至るまでの影響のためにも、自身 の罪を避け、悔い改めることです。

A: 日本人は祖先を大切にすることにばかり目が行きますが、自分たち自身も、同じく、未来は先祖になる という現実を考えません。家内の友人のTさんが、「私は先祖の所に行くのだから」クリスチャンにはなれないと言いました。彼女は、子供や孫までも一緒に地 獄に引きずり落とすかもしれないことを考えていません。人々は、神様の掟と、彼らが掟を破ってきたことを知るべきでしょう。それによって、福音が、本当に良い知らせとなるのです。私は、神のみ前に個人的な責任の基礎を置き、人々が恵みを恵みとして理解し、神様のとてつもない愛と憐みを知ってほしいのです。

P: お父様。私は罪、義、裁きを悟れません。それは聖霊様の仕事だからです。聖霊様が私を通して働かれ るよう、どうか、私が充分に従い、用いられますように。自分でそうすることがありませんように。あなたの真実な言葉を語っていけますように。いつも、あな たの愛の内に働き、尊いあなたに自由に応答できるよう聞く人達を解放して下さい。彼らの救いとあなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

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