2009年6月6日土曜日

2009/06/03

ルカ 2:35-40

S: ルカ 2:34-35
「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」

O: ここでは、 NIV版と日本語訳に多少の違いが見られます。日本語訳にはマリアの心さえも刺し貫き、多くの人の心の思いが現れるためだと、なっています。言葉の小さな 違いですが、大切なことは人々の、イエスと十字架、甦りに対する反応によって、彼らの信じ方が読み取れることです。私の見方では、プライドと隠れた罪が はっきりと現れていると思います。イエスが弟子に「あなた方は私を誰だと思いますか?」(マタイ16:15)(ピラトが「ではいったい、あなた方がユダヤ 人の王と呼んでいるあの人」マルコ15:12と多少違って表現されています)と尋ねていますが、これは大変重要な質問です。私達がどのようにイエスの応答し、どうあるべきか、これが私たちの永遠の運命を決定するのです。キリスト教の教えを好む人は多いのですが、イエスを主と認めるところまでは至りません。旧約聖書にあるように妬む神様でもあります。添え物となるのは好まれません。神様は私たちの全てに関わりたいと望んでおられるのです。そうでないなら、私たちは神様から外れてしまうでしょう。

A:  今、上述したことに私自身、当てはめて吟味してみるべきでしょう。私の思いはキリストに仕えることですが、いつもそのように行動しているとは言えないよ うです。常に神様に仕えているとは言えません。特に思いの領域においてはそうです。こうした思いこそが、今日のみ言葉にあるように、キリストによって明ら かにされ、気づかされます。自分の弱さを認めながら、しかしそれを決して言い訳にせず、むしろ神様に失敗を告白することで、清めてもらいたいと思うので す。また、他の方と一緒にいる時も、見極める力が必要とされます。彼らの言葉と行動で彼らの心の思いを図っていかねばなりません。彼らが神様からの全てを 頂く機会のために、正しく語っていきたいと思うのです。


P:  お父様。この数日を感謝します。私自身が、ますますはっきりと現わされました。全てをあなたに捧げます。イエス・キリストを主として崇めます。あなたの み心通りに私を用いてください。あなたの御霊が満ちあふれ、私を通して人々がキリストへと導かれますように。人々の救いとあなたのご栄光のために。感謝し ます。神様を賛美します!

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