2009年6月9日火曜日

2009/06/07

使徒 11:19-26

S: 使徒 11:26
弟子たちは、アンテオケで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

O:  ルカが初めて「クリスチャン」という語が使われた場所と状況を、記録するのが重要だと思ったことは、意義深く、興味深いことです。英語では、クリスチャ ンという語は大変、広義に使われているため、もはやその意味を失っていますが、この節の時代では過激な語であったと、以前、読んだか聞いた記憶がありま す。この節の「キリスト者」の表現は、日本語では元々の意味合いを含んでいるようです。これは、元来、やや侮蔑的な意味があったのかもしれませんが、信者 たちはそれを変え、むしろ誇りを持って使っています。ちょうど、アメリカ革命のとき、植民地者たちが「ヤンキー」という語を用いたのと似ています。新しく 信者になった人は全てキリストについて語ったのですから、この語には大変喚起されます。旧約聖書を詳しく知らない人が、イエスを調べ出し、主として献身し ています。その数は多数に及び、熱狂的でさえありました。教会出席がなくて、現代の信者が「キリスト者」と呼ぶにふさわしいかが問題でしょう。

A:  私にとっては、これこそ真のクリスチャンの「原理」に思えます。神学的な論点に拘泥するのではなく、ただイエスにだけこだわるのです。「もしイエスだっ たら」ファンは、実質的に、それこそファンなのであっおて、要点を得ています。つまり、物事を計る物差しがイエスなのです。イエスご自身は、愛こそが弟子 を決定づけると教えています(ヨハネ13:35)。そうではあっても、私たちは宗派に分けたり、自分の属する「(     )派」を自慢しています。 (かっこの中は好きなクリスチャン派名を入れてください。)ですから、イエスの愛と御霊が私たちに流れるために、私は信者がイエスだけを見るように手伝っ ていきます。充分過ぎる宗教があるこの世で、その時にはじめて、世はしっかりして分かるでしょう。

P:  お父様。このみ言葉から始めさせて下さり有り難うございます。しかし、他教会とこの教会内で、常に戦いがあります。悪魔はキリストの一体を恐れていま す。ですから必死で妨害してきます。悪魔の策略に目を覚ましているように助けてください。決して屈することがないようにです。私達が真のキリスト者であ り、常に周りに、イエスを正しく映し出すことができますように。そして、多くの人がイエスの光に導かれ、救われますように。あなたのご栄光のために。感謝 します。ハレルヤ!

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