2009年6月29日月曜日

2009/06/25

第2コリント 1:1-11


S: 第2コリント 1:3-4

私 たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださ います。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人を慰めることができるのです。

O: 私はこの節を沢山、引用してきました。この御言葉は英語よりも日本語の方が伝わりやいようです。「慰められる」という言葉が出てきますが、これは通常、感 情、霊的、あるいは身体的な意味で使われる表現なので複雑です。言語的な観点から見るのは別にしても、神様の摂理を知ることこそ大切です。神様が注いで下 さる祝福を受ける最終的な受益者でではありません。誰かに祝福を伝え渡すまでは、真に神様からの祝福を経験することはないといってよいでしょう。救いにつ いても同じことです。人をキリストへ導いて初めて救いの喜びが新たにされるのです。この世にしても、自己的な人間の性質にしても得ることばかりを教えたが りますが、それは与えられるものに限りがあると信じ込んでいるからです。けれども、神様の恵みと祝福は限りなく与えられるものです。恵みも祝福も際限なく 与えてくださいます。一旦、これが分かったならば、何かにしがみつくことはなく、恵みが私たちを通してあふれ出ることでしょう。その結果は夢に見る以上の ものでしょう。神様にしたがうならば、神様が無駄にされるもの何もありません。苦しみさえもそうです。神様こそが、究極のリサイクルをなさってくださるお 方なのです。

A:  これまでこの説を何度も引用してきましたが、果たして私自身はどのように応用してきたでしょうか。昨日、悲しみにある人から助けを求められたのですが、 話をしている間に真実を持って返答できたことは祝福でした。聖霊様が私を通して働いて下さるよう心を開いていたいと思います。私や私がミニストリーをして いる人々に、必要に応じて与えて下さる神を信頼して行きたいと思います。

P:  お父様。私たちにして下さっていること全てに感謝します。昨夜の祈祷会と、そのあとの話し合いが持てたことを感謝します。あなたは教会全体、そして各自 の必要を御存じです。愛、慰め、励ましに満ち、あなたの愛を流す器となるために、一人一人が心を開きますように。あなたみ心が私たちの内に成就し、栄光が 帰せられますように。有り難うございます。ハレルヤ!

0 件のコメント:

コメントを投稿