2009年6月24日水曜日

2009/06/21

ローマ 11:1-21

S: ローマ 11:5-6
それと同じように、今も、恵みの選びによって残された者がいます。もし恵みによるのであれば、もはや行いによってではありません。もしそうでなかったら、恵みが恵みでなくなります。

O:この節は聖書を通してのテー マである恵みについて、はっきりと述べています。人は自分で達成したことを自慢し、誇りたがりますが、パウロがあとで教えているように、それは愚かなこと です。行いによって救われたと主張し始めた途端に救いから外れてしまいます。神様が人を救われるのは、愛に満ちた方だからです。もし私達が行いによる救い を誇るなら、それは完全にポイントを外れています。ここで、日本文化に見られる面白いパラドックスをお話ししましょう。日本では自慢することは不適切で無 礼なことだと考えられています。それでいて、誰でも努力することを求められています。外国人が最初に学ぶ日本語は、「がんばる」です。つまり、何かにしが みついて最善を尽くせということです。クリスチャンの見方をすれば、努力や最善の問題ではありません。そうした行為で神に近づく必要はないのです。ただ、 あるのは信仰による恵みだけです。日本人の観点からすると、福音の大きな「スキャンダル」とも言えることかもしれません。自分で得たのではなく、全ては神 様に帰しましょう。

A:  文化的な壁を取り払い、福音を伝えたいと思っています。恵みの福音を広め、受け入れていくれる人のために祈ります。人に強制して信じさせるならば、それ はもはや恵みではありません。聖霊様によって気づかされるのです。私にできることは、ですから、聖霊様に助けていただき、用いていただくことです。できる だけ働くことです。神様が私のためにしてくださったことに、アンテナを張り、応答していくことです。神様がご用意さなさった人に御言葉を告げていくことで す。今日は素晴らしい機会を与えられた日です。洗礼を心している人がいる中で、二人の洗礼があるからです。それでも、なお私にできることはと言えば、ただ 謙虚であり、用いられ、期待していることです。

P:  お父様。今日のあなたのご計画全てを感謝します。多少の問題もあります。狭い場所で沢山のことをやります。ここで、全てをやるのですから大変です。入院 中のMさんは危篤状態です。私にはどうする力もありません!不安やストレスに押しつぶされることなく、全てをあなたに委ねることができますように。手離し て、あなたに委ね、聖霊様に頼ることでしょう。Mさんのために祈ります。あなたの恵みとあわれみを彼女とご家族に与えてください。あなたの愛、力、恵みを 伝える証し人になれますように。どうぞ彼女の完全な癒しを祈ります。今朝、これからバプテスマを受ける二人のために祈ります。あなたの命になって二人が真 に生まれ変わりますように。教会で、バプテスマを心している人のためにも祈ります。SさんとHさんが勇気を出して献身できますように。そしてあなたからの 完全な救いを得ますように。お父様。今日、あなたのみ心が完全に成就しますように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

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