2009年6月12日金曜日

2009/06/10

使徒 14:21-28

S: 使徒 12:22
弟子たちの心を強め、この信仰にしっかるとどまるように勧め、「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」と言った。


O:  これは西洋の教会では、あまり耳にしない説教です。中国やイランでなら聞くことは想像できます。私たちは良い状態にある時は信仰が弱くなり、デボーショ ンもおろそかになりがちです。アメリカの状態をは今、急速に変化しているようで、クリスチャンにとっては犠牲を払うほどの変化です。それは恐らく良いこと なのでしょう。ただ免許を持っているだけの人を指して、日本人がよく使う「ペーパードライバー」と同じように、アメリカでは「ペーパークリスチャン」が多 いからです。多くの教会で目にするものが何であれ、キリスト教は決して「スポーツ観戦」ではありません。ここで、犠牲を払わない物は神に捧げない、と言っ たダビデの言葉を思い出します。何も現金やクレジットカードのことを言っているのではありませんが、私たちはキリストに従うためなら進んで犠牲を払うべき です。真に献身することは不便を生じ、しばしば誤解と孤独を経験します。ここ日本では、クリスチャンであることで職を失う危険はありませんが、日曜礼拝出 席を守ろうとすることで職を失うことならあるかもしれません。「先進国」の中には、聖書の原理を破ることになるからと言う理由で、仕事全体を停止すること があります。そうした国の店主らは商売よりも信仰を選択しています。彼らこそ報われることでしょう!


A:  世界中での出来事を読むと、まさに今、最後の時のように思えてきます。新約聖書では最後の時に備えて真実であることが数か所、書かれていますが、私もそ のカテゴリーの中に入っていたいと思います。昨日も書いたことですが、私はこれまであまり多くの犠牲を伴ってきていないように感じます。もちろん、苦しみ を好んで求めているわけではありませんが、逃げていても良くありません。神は私の避け所であり力なのです。神からの恵みは私には十分です。ですから、誤解 されたとか、ひどい対応を受けたなどで不平をこぼしたくはありません。キリストは私のために、私以上に艱難を通られたのですから。パウロがしたように、福 音を誠実に示すよう注意深くあるべきです。人々に、辛いことがあるとすぐに逃げ出すクリスチャンになってほしくないからです。ただ、時に物理的状況からそ うではなくとも、神と交わることは実に素晴らしいことです。私は信者が単に物質的にではなく、キリストにある喜びと満足を見つけるよう努めていきます。


P:  お父様。私たちに必要な恵みを溢れんほどに下さり感謝します。私が恵みの中を十分に歩き、この群れが恵みの中を歩めるように指導できますように。どんな 状況であろうとも、あなたの愛と喜びを現わせますように。周りの方々が全く純粋な動機でキリストに導かれますように。彼らの救いとあなたのご栄光のため に。感謝します。ハレルヤ!

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