2009年6月10日水曜日

2009/06/09

使徒 14:1-7

S: 使徒 14:2-3
しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせた。それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざをを行わせ、御恵みのことばの証明をされた。

O:  この節にはいくつかの興味深い点があります。先ず、真に福音を伝えようとする者なら予想していることですが、反対があります。イエスも弟子達にある程 度、反対に対して注意を促しています。第二に、そうした反対に遭ってもパウロとバルナバは全く思い留まらなかったことです。日本語の、「それでも」は彼ら の滞在を長引かせたかのように聞こえます。多くのクリスチャンは、抵抗に遭うとすぐに伝道を諦めてしまいます。もう、それは直ちにと言ってもよいくらい、 すぐにです。しかし、それは聖書的な態度ではありません!三番目は、神様は彼らの献身を大切に思い、み力によって彼らの語ったことを確認したことです。私 はルカがここで使った「み恵みのことば」の表現が気に入っています。福音は実に始めから終わりまで恵みに満ちています。けれども、私達がそれに値すると 思った途端、益を失ってしまいます。素晴らしいしるしを行ったのはパウロでもバルナバでもないことを、ルカははっきりと述べていますが、彼らの手を用いて 主がなさったのです。神はご自分の御言葉を顧みられますが、自分たちや状況から目を離した時、私たちはその道具として用いて下さるのいです。

A:  しばしば言っていることですが、私は自身から目を外らし、イエスのみに焦点を合わせるように努めなくてはなりません。私はパウロほどひどい反対を受けた ことはありませんが、何回か同様の反対は経験しています。そうした反対に屈することなく福音を広めたいと思います。エペソ(1コリント16:9)で書いて いますが、良い機会が反対が伴うことが多く、私は反対でくじけたりしません。むしろ、悪魔を傷めるために励まされるくらいです。体が鍛えられるように抵抗 もまた、弱い私たちを強める訓練なのです。

P:  お父様。へブル12:4を私自身に応用すべきだと痛感しています。戦いにおいて私はあまり犠牲となっていないからです。あなたの御言葉が多くの日本人の 心に沁み入るように、私が進んでどんなこともやれるように助けてください。彼らの鎖を立ち切り、解放し、あなたの光と命のうちを歩めますように。あなたの ご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

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