2009年4月26日日曜日

2009/04/15

第1コリント 3:1-23

S:
第1コリント 3:3 そして、ただの人のように歩んでいるのではありませんか。

O:  この節が聖書日課の一日分としては、長く、含みの多いことであるのはよく承知しています!この章には、沢山の大切な真実が含まれていますが、特にこの御 言葉が私に、ずっと響いています。私たちは謙遜を色々な場面で、言い訳に用いていますが、クリスチャンにはそうした言い訳は不要です。詩篇作者が「主は、 私たちの成り立ちを知り、私たちがちりにすぎないことを心に留めておられる」(詩篇103:14)と言っていますが、私たちはキリストにあって、ただの人 を超えた者として立ち上がるのです。神様はキリストにお与えになった聖霊を同じ聖霊を私たちに与えて下さっています。ですから口実は要りません。自分で得 たのではないのですから、誇ることも要りません。むしろ、神様の偉大な恵みを現わ
すものとすべきです。恵み を受け、恵みに与って歩まないなら、それは罪です。ですから、神様が私たちのためにキリストを通してして下さった全てを、私が知り、理解することを、悪魔 は嫌うのです。悪魔は私たちに罪を犯させたいのです!逆に、キリストに正しく仕え歩むなら、私たちを通して超自然的に、神様の目的は成就されます。「ただの人」として歩んではいけません。

A:  とりわけ日本では表向きの謙遜が強調されています。そのため、この御言葉の真実は、日本文化によく馴染んでいません。ですから、信者にこの真実が分か り、自由に開放されるように、私は神様の知恵を御言葉が必要です。私は、この点、自分の弱さを知っていますから、私自身の心に留意していたいと思います。 同時に神様の十分さから後退してもいけません。多くのペンテコスタ教会では「フルゴスペル」を唱えていますが、御国の良い知らせの豊かさは、霊的な賜物よ りさらにまさっています。確かに賜物のその一部ですが、賜物にだけ焦点を合わせると、与えてくださった神様を見えなくなります。神様は私達の持つどんな側 面よりも、はるかに上なのです。

P:  お父様。あなたの大きな啓示と恵みに感謝します。あなたがキリストを通してなさったことの全てに、私たちが歩めるように助けて下さい。そして私が、他の 方々も同じように導けますように。全員の目が覚め、キリストに生きる教会となれますように。聖霊様が溢れ、あなたの御業を見て、あなたの御言葉を語ります ように。ただの人ではなく、神の子供として、あなたの御心のための働き手となれますように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

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