2009年4月18日土曜日

2009/04/13

第1コリント 1:1-9

S: 第1コリント 1:2
コリントにある神の教会へ。すなわち、私たちの主イエス・キリストの御名を、至る所で呼び求めているすべての人々とともに、聖徒として召され、キリスト・イエスにあって聖なるものとされた方々へ。主は私たちの主であるとともに、そのすべての人々の主です。

O: この節には、大変重要な基本的理念が隠されています。私たちは聖徒として召されており、イエス・キリストによって聖とされています。つまり、十字架のキリストの犠牲により 贖われたので、立場的に聖なのですが、日々の行動の中で、聖徒として生き、聖なるものであるように召されています。イエスが十字架でなされたことに、誰も 付け足したりできませんが、私たちは全て、日々の歩みの中で成長していける生き方を持つことができます。多くの人は日々の歩みの中で、失敗に目が行き、キ リストによって、すでに聖とされていることを信じられないでいます。それで、敵からの様々な罠に定期的に敗北し、ありきたりのキリスト教に留まってしまい ます、しかし、それは神様の意図ではありません!第一ヨハネで、大変明確に述べてあります。つまり、私たちは、この地上では罪のない完全な歩みはできませ んが、目的を理解し、前進し続け、神様の恵みが、それらを行うのに十分であることを知るべきなのです。神様の恵みが私達の罪を覆えないと考えたり、あるい は、罪を犯すことに関して当たり前だと考え、恵みを誤解しがちです。そのどちらの考えも間違っています。私たちはキリストにあって聖なのです。ですから、 その召しにふさわしく歩みましょう。(エペソ4:1)

A:  私は確かに、これに関して緊張した経験を持っています!私は、恵みを不十分だと捉えるよりも、罪を犯すことに関して恵みを、より捉えがちです。しかし、 へブル6が教えるように、そうした態度は再びキリストを苦しめるような危険をはらんでいます。この点、私は、人々に舵取りをしっかりとして、キリストの十 字架を信じ受け入れるならば、全ての罪が贖われたことを確信させていきます。信者が聖人だと励ましていきます。そして信者が、そう信じ、その通りに生きる ためにです。実現したとき、この世は気づくでしょう!

P: お父様。来週日曜のメッセージを月曜の朝にできることを感謝します!昨日、一日の出来事、うまく終わったことを感謝します。私が語る時の油注ぎ、特に早朝 礼拝で与えて下さり感謝します。教会総会を終えることができました。有り難うございます。教会役員の質問に、あなたが、やや驚くべき答えを与えて下さり感 謝します。新しい役員が伝道に積極的に献身していることを感謝します。この一年に、私たちが成長し続け、あらゆる点で、あなたの全てのご計画にそって進め るように祈ります。あなたのご栄光のために。感謝します。神様を賛美します!

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