2009年4月2日木曜日

2009/03/29

使徒 2:1-21

S: 使徒 2:21
「しかし、主の名を呼ぶ者は、みな救われる。」

O:  旧約聖書では、「主の御名を呼ぶ」表現が多くありますが、この節のように、旧約聖書からの引用以外にも、新約聖書で広く使われています。その大きな理由 は、多神教が広まっていたためです。多神教のため、単に「神」と呼ぶだけでは、不確かだったからです。そうした背景、または日本の多神教を見ると(日本は 「やおよろずの神の国」と自ら呼んでいます。)、エホバの証人の方々が、「神の名はエホバ」だと強調するのも、よく理解できます。聖書で「主の御名を呼 ぶ」が使われるもう一つの理由としては、当時は人の名前には、その人が誰で、何者かに不思議な関連があると思われていたからです。現代では、そうした感情 は、殆どなくなってしまいましたが、当時の人々は、名前を知っていれば、その人に対して、ある程度の行使力があると感じていました。こうした意味合いを考 え、救いのために、創造主の「御名を呼ぶ」のは、大変に良いことです。


A:  このことに関し、現代日本では、二つの問題があります。人々は主の御名を呼ぶことを知りません。さらに、救いの必要を、実際全く分かっていません。私 は、ヤーヴェとひとり子イエスについて教えていますが、これは本当に喜びそのものです。しかし、彼らに必要を悟らせて下さるのは、聖霊様だけです。今週、 私は白血病を患っている女性と会いました。彼女は、どなたか、よく分からずとも、純粋に神を呼び求め、そして神と出会いました。それが、どれほど大きな恵 みであるかを、私は彼女が理解できるように助けてあげたいと思います。たとえ、苦しみにさ中であっても、です。彼女が心からキリストの仕えるなら、永遠の 命を得て、豊かな栄光をいただけるからです。残念ながら、そのことを殆どの日本人は知らないでいるのです。私がこれまで出会った方々が、ちょうど彼女のよ うに、必要に目を開き、イエスこそ彼らに必要な答えだと信じ、救われるためにイエスの御名を呼ぶように祈ります。

P:  お父様。十分すぎるほどに、あなたからの恵みが与えられ続けていることを感謝します。昨日、病院に二度、見舞いに行けました。有り難うございます。Fさ んは、まさに救いの瞬間です。しかし、Kさんは、まだ彼の必要を分かっていません。彼らだけでなく、私が出会った全ての人のために祈ります。彼らが、あな たの救いに目を開き、必要を理解できますように。そして、大きな収穫が実りますように。けれども主よ。私に全ての収穫は無理です。一人ひとりの信者が、自 身が収穫者であることに気づき、信じるように祈ります。そして、彼らが人々を救いのために導き、十分用いられますように。あなたのご栄光のために。有り難 うございます。ハレルヤ!

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