2009年4月3日金曜日

2009/03/30

使徒 10:1-23a

S: 使徒 10:15
すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物は、きよくないと言ってはならない。」

O:  昨日、私は、ある信者の方と討論をしたのですが、この御言葉を直接、応用できることに、今、気づきました。罪のため、私達は神に仕えることや、神に近づ くことさえ、値しないと考えがちです。しかし、神は、キリストの血によって、あらゆる罪を清めてくださったのです。ヨハネがはっきりと言っているように、 イエスの血が、すべての罪から私たちを清めているのです(1ヨハネ1:7)。必要なことは、私たちが罪を認め、イエスに告白することです(1ヨハネ1: 9)。けれども、悪魔は私たちを罪から解放したくありません。それで、私たちが罪を取り扱った後でさえ、後退させ続けるのです。神様がペテロに語ったこと は応用でき ます。神様は、御子の血によって、私たちを清めてくださったのですから、もう自分たちを清くない者と言うべきではないのです。もちろん、恵みを軽薄に頂い たり、赦されるからと罪を犯す口実にしてはいけません。それは、神様の御顔につばを吐く行為です。そしてまた、私たちが本当に罪を赦され、清められ、洗い 流されたと分かるまで、罪から自由になることはありません。その時に得られる自由は、まさに驚くほどです!

A:  私は明らかに、このケーススタディをしています。罪で清くないことで苦しんでいる人たち、そして、私がそうした人たちを低く見ないように、また、彼らが 軽視されていると思わせないように、私は忍耐強くなくてはなりません。イエス・キリストにある自由、聖霊にある自由を伝えていくべきでしょう。罪の鎖から 人々が解放されるためです。古い賛美歌に、「憂いを慰め 恐れを去る御名をば 罪人 聞くうれしさ」とあります。歌詞の後半部分のように、信者全員が心から、「くらきの力をイエスはくだき、血をもてあがない、救いたもう」と宣べ伝えるよう に、助けていきたいのです。残念なことに、この詩を訳した日本人訳者たちは、この詩のつ深い意味合いを数行で表すことをやめてしまっています。それで、こ の詩を上手く訳してはいますが、原意を完全に表現できていません。(賛美歌62番)ペンテコステ教会で歌われている讃美歌は、より原意に近いです。そうし た古い言葉使いの方が、全体的に滑らかに響きます。(聖歌91番)

P:  お父様。のメッセージが伝わりますように。言語は確かに壁となっていますが、最大の問題は、真実を知らせまいとする悪魔の働きです。けれども、悪魔より も御霊の方が力強くそばにいるのです。御霊の力で私が働けるように助けてください。すべての信徒が真実に気づき、ともに、あなたがご用意なさった自由の道 を歩くためです。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

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