2009年4月26日日曜日

2009/04/17

第1コリント 14:1-1

S: 第1コリント 14:12 あなたがたの場合も同様です。あなたがたは御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会の徳を高めるために、それが豊かに与えられるように、熱心に求めなさい。

O:  日英訳語の意味合いは少し違っていますが、全体的な主眼は同じです。つまり、私達の目的は教会を建て上げることであり、与えられたいくつかの賜物を「誇 る権利」であってはいけないのです。ペンテコステ/カリスマ的教会では、聖霊様からの賜物(これは良いことで必要なことです)を受ける過程で、「スタンド プレー」があったり、奨励される雰囲気があったりします。聖霊様からの賜物は、いただいたその本人には、大きな祝福ですが、それが本来の目的ではありませ ん。教会を建て上げるためなのです。今日の箇所と別の箇所に書かれていますが、話す人を最も建て上げる異言でさえ、知性では、よく分からない状況のために 祈れるのです。焦点はキリストと、教会、ご栄光に当てましょう。

A:   この問題は、教会で沢山の論争となり、私は今も、その問題の渦中にあります。非カリスマ的宗派とは、無縁のルーツであり、私は第一コリント12に書いてあ る全ての賜物を経験しています。ただ一つないものは(しかし、心待ちにしている)、この地上でのよみがえりです。けれども、それで他のクリスチャンの方よ り、「優れている」ことにはなりません。ただ、何かの状況の時に役立つくらいでしょう。そして、今朝も、また主は私に思い出させて下さいました。つまり、 私の焦点は神様であるべきことです。私を通して神様が現わされる賜物ではありません。この教会の信者全てが聖霊からの全ての賜物を経験し、現わすことを心 から望んでいます。しかし、与えられた賜物を活かせないでいる人もいます。彼らに劣等感を与えない気遣いも必要でしょう。そうした賜物も用いられること を、信者に教え、求めるように励まし、キリストとその体である教会に焦点を合わせるように指導していきます。

P:  お父様。このことを思い出させて下さり、有り難うございます。霊的な賜物もまた、十字架の祝福なのです。これを伝えられるように導いて下さい。私の言葉 があなたの言葉と一致し、過去、聖霊様が来られるのを妨げていた誤解が解けますように。そして、私たちが自由に、十分に用いられ、あなたのみ心を行えます ように。あなたのご栄光のために。有り難うございます。

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