2009年4月14日火曜日

2009/04/11

ローマ 8:18-27

S: ローマ 8:18
今の時のいろいろな苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます

O:  最近、私はこの節を引用する機会がありました。この節を理解しているなら、生きる上で、全てが対処しやすくなるでしょう。苦悩により耐えられるだけでな く、さらに明るい希望が持てるでしょう。栄光が訪れるのですから。しかし、私たちは基本的に、近視眼的な見方しかできないのが問題です。目の前にある物し か見えないのです。しかし、信仰は、目の前の状況以上を見える「めがね」を与えてくれます。神様が用意なさっている御国です。へブル人に宛てて書いた手紙 の中で作者は、イエスの前に用意されている喜びについて述べています。もし、私たちが目の前にある苦しみや不便しか見えないなら、それらを超えた所にある 宝を、受け取るための忍耐ができないでしょう。それでは、まさに、空腹を満たすために、レンズ豆と長子の権利を売り渡したエサウです(創世記25: 29~34)。満足を辛抱強く待てると、精神的に成長した大きな兆候だと心理学では説いています。同様のことが霊的な成熟にも言えるでしょう!

A:  私はこの点で両極端を対応しています。Mさんは、もう何年も深刻な病気です。苦しんでいますが、神様が彼女にご用意したものを楽しみに待つという選択を しました。他に選択肢はないと思ったからです。一方、Tさんは、彼rの望みをすぐにでも叶え、満足させてくれないなら、なかなか祝福を認めようとしませ ん。Mさんは、まだぼんやりとしか分かっていませんが、神様に開き、献身すべきでしょう。それでも、まだ彼女はTさんよりは、しっかりとしています。私 は、真実を全ての人に伝え続けていきます。たとえ、彼らが受け入れようが、受け入れまいがに、かかわらずにです。そこでも、神様の介入があることを減じる ことなく努めていきます。神様は私たちが苦しむのを望んでおられません。成熟し、神様に導かれるために、そうした苦しみがあるのです。その場で起こる奇跡 をイエスは軽蔑されませんでした。私も、軽蔑すべきではありません。神様の介入を大胆に祈ります。愚かに見えても構いません。そして、神様が愛を力を示し て下さり、人々が導かれることを期待します。

P:  お父様。私の周りで、働き続けて下さっている全てに感謝します。全てに関われる特権を感謝します。遅くはありますが、私の成熟を感謝します。すべての人 に、あなたが与えた約束以外の希望を運べますように。私が苦しみにある人達に慰めを与え、あなたの偉大さを期待できるように助けてください。全ての矛盾を 和解させるのは人間の能力を超えています。しかし、あなたにあって不可能はありません。あなたに心から従い、用いられますように。あなたのご栄光のため に、私を通して現わしてください。有り難うございます。ハレルヤ!

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