2009年4月14日火曜日

2009/04/10

ローマ 3:19-30

S: ローマ 3:27
それでは、私たちの誇りはどこにあるのでしょうか。それはすでに取り除かれました。

O:  誇りとは奇妙なものです。経済危機に関して人々がどのように対処したかの調査が、最近行われました。それによると、人間的な計画を用いて対処されていま すが、調査者の多くは、自尊心をを良いこととして捉えているように、私には思えます。NIV版のこの節では「誇り」という語が使われています。今、私の手 元にはありませんが、おそらくギリシャ語版でも使われているでしょう。今日の御言葉で大切なことは、恵みは、やはり恵みであることです。たとえ私たちが、 恵みに 値せず、これからも値しなくとも、です。文明の夜明け以来、人類にとって、誇りたいと望むことは実は人間の活動の大きな原動力でした。しかし、神の御前で は、そうした誇りは無意味です。私達の価値は、自分たちで作る以上に、優れて高いのです。それは、ただ神様が私たちを創造なさる時、価値あるものとして下 さったからです。神様の私たちへの愛を知るなら、もはや誇る必要などいりません。神様の目に私たちはとてつもなく価値あるものだからです。その事実は、何 者にも変えることはできません。福音が良い知らせである理由の一つでしょう。しかし、あまりにも良い知らせ過ぎて、人が信じようとしないのも、その理由の 一つです。
A:  もう何年も、様々な点で、私は誇りに関して問題を持っています。そして、それは決して私のためになっていません!たとえ、真実の発言でも誇りになりうる のですから、私は語る時、黙っている時を知らなくてはいけません。私ができることを人に話す時、神様が彼らのためになさっていることを伝えていないので す!常に、あらゆる面で、神様に目を向けているべきでしょう。人々が救われ、神様に近づけるためにです。
P:  お父様。私への忍耐を感謝します。これまでの人生を振り返って、私の忍耐がとても足りないと、あなたの目には映っているでしょう!あなたの絶対的な大き な恵みを感謝します。あなたの恵みを、私が出会う人すべてに、そのまま伝える器であるよう助けて下さい。そして、彼らがあなたへと導かれ、救われますよう に。あなたのご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

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