2009年4月26日日曜日

2009/04/20

ガラテヤ 1:11-24

S: ガラテヤ 1:11
兄弟たちよ。私はあなたがたに知らせましょう。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。

O:  誰かが何かを思いついても問題とならない時があります。それが良い考えであれば、良いことなのです。しかし、自分の存在そのものに,根源的な影響を及ぼ す問題に対してなら、考えの源は、大変、重要となってきます。だからこそ、神様は、聖書が当時の他のどんな記録書類よりも、確かであることが分かるようと 取り計らって下さいました。彼らが、聖書を「信憑性」ある記録として、疑いなく受け入れながら、聖書の「信憑性」をめぐって人が論争するとは、興味深く、 面白くもあります。そして、最も古いもので、残っている記録は、作者と思われる時代のものよりも数百年も後のもので、その当時のものは僅か一つか二つしか ありません。新約聖書部分の、残されている原本は2世紀にまで、さかのぼります。3世紀までのものでは、その数は百代になりました。人々は、聖書の全ての 言葉を書き記し、新約聖書は、旧約聖書に関して、「「聖書はすべて神の聖霊によるもので」(テモテ3:16)、「聖霊に動かされた人たちが、神様からの言 葉を語ったからです。」(2ペテロ1:21)と述べています。福音(聖書にある良い知らせ)は、パウロが主張したように、最初から最後まで、神様のお考え です。

A:  今日の社会は、両極端を求められた場合、相対的です。絶対的な正しさと、絶対的な間違いを嫌います。とりわけ、日本は、こうした風潮ななる以前から、相 対的思考の社会でした。人々にとって、私の立場が奇妙に見えても、あるいは、非現実的に見えても、福音を告げ知らせることを私はやめません。この社会は、 啓示されている真実に対して、本当の伝統を持っていないのです。それで、ある哲学者の考えが、他の哲学者の考えと同じように良く思えるのです。仏教の持つ 哲学は、大変良い点もありますが、その起源は単に人間から始まっています。ですから、救いはありえません。私は、神様の御言葉を宣べ伝えます。なぜなら、 「神様の御言葉は、むなしく帰りません。必ず、神様の言い送ったことが成就するからです。」(イザヤ55:11)

P:  お父様。聖書を有り難うございます!私に心から語って下さり感謝します。お父様、この教会の全員が御言葉に心を開くことを学び、ただミルクを飲むのでは なく、やがて固形食を食べれますように。私自身、信者の浅い期待に苛立っています。乳児にはミルクと、幼児には幼児食を与えたいと思います。しかし、彼ら にそのレベルの成長で満足し、留まってほしくはありません。はっきりと導きを与えて下さい。あなたの羊を満たしたいのです。あなたのうちにあって、彼らに 強く育ってほしいのです。彼らへの祝福とあなたのご栄光のために。有り難うございます。神様を賛美します!

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