2009年4月9日木曜日

2009/04/03

使徒 16:6-15

S: 使徒 16:9, 14
ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、「マケドニヤに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。テアテラ市 の紫布の商人で、神を敬う、ルデヤという女が聞いていたが、主は彼女の心を開いて、パウロの語ることを心を留めるようにされた。

O: 幻は、修辞的と言えるでしょう。文字通りの時もありますが、殆どの場合、そうではありません。エゼキ エルが見た谷間の干からびた骨を思い出します。ここでは、パウロがマケドニヤの男が(日本語訳では性別は書かれていません)、助けを求める幻を見ていま す。しかし、最初に回心したのは、女性の方でした。マケドニヤ出身ではなかったのに、です!それでも、幻は目的を成就しました。つまり、パウロと仲間は、 アジアに留まるより、むしろ、ヨーロッパの方角へと向かったのです。神様は私たちに目的をもって幻を見せてくださいますが、幻より、神様に対して、しっか りと心を留めているべきです。私たちはイエス様に、しっかりと留まっていましょう。そして、イエス様から頂いたものは全て手を広げて受け取るべきです。た とえ、幻であっても、能力であっても、何であってもです。与えられたものだけに固執していては、下さった神様の目的から切り離されてしまいます。

A:  私は、これと反対の経験を28年前にしています。日本に戻り、プロカメラマンとなることを諦めたことがことがあります。その後に、神様が私を日本に連れ て来て下さったスピードは、今でも興味深いほどです。しかし、実際、私は20年以上、カメラマンとしてのブランクがありました。主は、この時点で私に写真 家としての立て直しを図って下さっているようです。私は、もう心配はしていません。焦点は神様です。写真ではありません。さらに、神様は大村がクリスチャ ン都市になるビジョンを与えて下さっています。大村は日本がクリスチャン国家になる先導となるのです。神様が、どのようにその御業を見せて下さるかは、私 には謎です。だからこそ、ビジョンをそのまま受けるというより、むしろ、神様にぴったりとしがみついているのです。

P:  お父様。あなたが私に持っておられる、ビジョンと夢が分かるように助けて下さい。けれども、私は夢やビジョンより、あなたから離れたくないのです。あな たが示して下さる全てに私が忠実でありますように。そして、あなたが私に全てを見せて下さったと思うことがありませんように。あなたが信者に持っておられ る夢とビジョンを彼らが分かるように、私が励ましていけますように。信者が手を広げ受け取れますように。あなたのビジョンを、私達の力で成し遂げようなど と思うことがありませんように。あなたの御手にあって、忠実な使い手でありますように。そして、私たちを通して、あなたが成就させて下さい。あなたのご栄 光のために。感謝します。ハレルヤ!

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