2009年7月10日金曜日

2009/07/07

エペソ 3:2-13

S: エペソ 3:12
私たちはこのキリストにあり、キリストを信じる信仰によって大胆に確信を持って神に近づくことができるのです。

A:  大した 違いではありませんが、NIVが「自由に」となっているのに対し、日本語訳では「大胆に」となっています。キリストなしで神に受け入れらる望みがないこと を、この節で学びとって下さい。本来、私たちは値しないほど罪深くそのために神から遠ざけられたのですから、キリストへの信仰が大切なのです。悲しいこと に多くのクリスチャンがこのことを分かっていません。そのため本来そうであるべきなのに神に近づけません。私たちは神と交わるように創られたのですが、罪 が邪魔をしています。キリストによってその壁を取り払われます。信仰によってイエスの義を受け、神を関係を持てるのですが、私たちには罪があります。クリ スチャンでさえ、そうです。ヨハネ1がはっきり述べているように、信仰によってキリストと共に歩むなら、私達の罪があろうとも、神と共に交わることができ ます。とても大切なことなのですが、これを理解している人は少ないようです。驕るべきではありませんが、神様に近づくことをためらう必要は全くありませ ん。キリストによってのみ、それが可能なのです。これが理解できないと人は、マリア様や様々な「聖人」に祈ってしまいます。神よりも祈りの対象として適切 に思うのでしょう。しかし、そこには全く霊的基礎がありません。そうした祈りは偶像崇拝と変わりません。あるいは、せいぜい非効率的です。直接、御父に祈 りましょう。 

A:  私が育った環境は、御父に祈るのが習慣でした。神様がまるで呼吸と同じくらいに自然なことでした。しかし、それでもイエス・キリストの流した血によって ではなく、自分で祈ろうとしたことがあります。私は常に服従と謙遜を持って祈るべきです。しかし、しっかりと大胆に祈りましょう。常に神様が聞いておられ る確信を持って祈りましょう。私たちは神様が本当に祈りを聞いておられるのか、確かに私たちの求めを与えてくださるのかと、いぶかります。親として私は言 いますが、そういった怪訝はいりません!究極の判断は常に神様御手に委ねることを覚えておきましょう。ゲッセマネでイエスもそうなさいました。しかし、そ れでもなお大胆に祈り続け、神様が最善をなしてくださることを確信していましょう。

P: お父様。この大きな祈りの特権を下さり感謝します。地上でのあなたの御業のための私たちの祈りが、どのように働くのか、私自身もよく分かっていません。しかし、もう数え切れないほど、私は見てき ましたので、あなたの御言葉を確信しています。謙遜を持って、信仰をより深く持って祈れるように助けてください。私などよりも、あなたははるかに最善をご 存知ですから、信頼して祈れます。この世での出来事の多くをあなたは喜んでおられないと語ってくださったことをはっきりと覚えています。御心が天と同じ く、この地上でも成就するために、あなたの器として私が用いられ、誠実な祈りができるように助けてください。あなたのご栄光のために。有り難うございま す。ハレルヤ!

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