2009年2月13日金曜日

2009/01/23

S: ローマ2:21 どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか?

O: 今日のみ言葉に関して、聖書の主張は本当に一貫しています。知的な同意だけでは不十分なのです。私 達は教えに添うよう求められています。モーセからヨハネまで作者らはこの点を明確にしています。信仰を通して恵みによって救われるのです。告白の瞬間が救 いの瞬間です。信仰と信じたことを現実として生きることです。行うに難く、教えるに易し、という古い 諺があります。聖書では、真実を語る教師でありながら、真実のある生き方をしていないならば、それは何の益にもならない、と教えています。クリスチャンの 信仰は、絶対的に世界中で最も実践できるものです。それを、目の前にある危険のために忘れてしまっています。祖父がよく引用していていたのですが、「困難 から出て祝福へ」というのは、始めからは誤ったことです。イエスを救い主として受け入れることは、主であるイエス従うことを意味します。

A: 私は人生の中でこの問題に直面します。神に関する知識がまるで空気のように自然な家庭で私は育ちま した。しかし、それでも理屈の上での知識と、心から従うことのギャップに苦しむという辛い経験をしました。さらに、私には教師としての賜物と使命が与えら れています。つまり、神の真実を常に人に教えなくてはならないということです。ヤコブが言うように、私のような立場にある者は高い基準に従っているべきな のです。なぜなら教える立場にあるからです。もし、私の生き方が、普段私が語っているようなものでないとしたら、それは自分を欺いていることであり嘘の生 き方です。全く神様の恵みです!パウロのように、神様を知るほどに、私は自分自身が期待に添えていないことが分かります。み心と、私に神様がこれからも働 いてくだることを信じていきます。

P: 天のお父様。あなたの恵みに再び、感謝します。教えるという最高の名誉と特権を与えて下り感謝しま す。私は教えることを軽んじません。ただ教訓を示すだけでなく、あなたの真実、めぐみ、愛を表せますように。私への忍耐を感謝します。私が今いる状況に満 足することなく、あなたの考え、み言葉、行いに向かって歩き続けていけるように助けてください。あなたの喜びとご栄光のために。有り難うございます。神様 を賛美します!

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