2009年2月11日水曜日

2009/01/06

S: ルカ10:16 「あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾ける者であり、あなたがたを拒むものは、わたしを拒むものです。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むものです。」

O: この節の内容には深い内容が込められているので、私はこの節を繰り返し読んでいます。反応がとても 遅い日本のような国では特にそうです。英訳では、信者に耳を傾ける行いがキリストに耳を傾けると言っているかのようであり、一方、日本語では、キリストに 耳を傾ける信者に耳を傾ける者について述べているように受け取れます。私は間違いなく、翻訳に問題があると思います。元のギリシャ語も、その微妙な意味合 いも私は知りませんが、両語とも意味判断においては十分正当化できるものでしょう。聖書をこれまでの経験から言っても、両語とも言わんとする所は真実だと 思います。マタイ10:40で、「あなた方を受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。」と書いてある通りです。では、イエスは、救いの行いを受け入れ ているのでしょうか?恐らく、ここでは、言葉の用い方がまずかったようですが、いずれにせよ、救われる者とそうでない者は、究極のところ、イエスに委ねき るしかありません。

A: この節の内容全体が、個人的に大変気になっています。なぜなら、とても多くの人たちが私の話を感謝 して聞いて、受け取ってくれるながらも、キリストに献身はしないからです。私は決して諦めず、しかし、種を蒔き、水をやり、実を結ぶように聖霊様に祈り続 けます。T さんが来月にバプテスマを受けるという知らせを土曜に聞きました。これは家内と私に大きな力となる知らせです。彼と出会ってから14年になり ます。私と家内の影響が大きかったと彼は言ってくれたのです。大村に来て27年以上になります。その間、沢山の種を蒔いてきました。これからも諦めること なく、キリストの使いとして、キリストのみ手に委ねていきたいと思います。

P: 天のお父様。Tさんのことを本当に有り難うございます。彼の奥さんが、60歳を過ぎた人には滅多に ないことでしょうとおっしゃいました。しかし、主よ、その年齢に達していても、いまだに献身の段階に至っていない友人が多くいます。そして、あなたは彼ら をとても愛しておられます。あなたが語られた人たちの沢山の収穫が今年はありますように。これまで拒んでいても、キリストを救い主、主であると彼らが心に 受け入れますように。あなたのご栄光のために。感謝します。ハレルヤ!

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