2009年2月11日水曜日

2009/01/01

S: マタイ5:14、16 あなたがたは、世界の光です。あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

O: クリスチャンであれ、ノンクリスチャンであれ、イエスが世界の光であるという考えができない人は殆どいません。しかし、信者が 世界の光であるという考えに困難を覚えるでしょう。もし、「あなたがたが世界の光です」と言ったのがイエスでなかったなら、とんでもない冒涜の発言でしょ う。私たちは自己イメージに基づいて行動しています。ですから、今日のみ言葉は大変重要なのです。信者が部屋に入ると、イエスも一緒に入ってくるというの は、全く傲慢でも何でもないと聖書は教えています。私達は時々、「イエスがここにいてくださったなら・・」と感じますが、私たちに信仰があるならば、実際 イエス様はそこにおられるのです。自分がキリストの働き手であり、世界でイエスの光を放つ者であると気づくなら、行動や態度にそれが反映し、私たちを見る人は神に栄光を帰すでしょう。

A: これは、私の内で、長い間かけて得て、ますますそう感じている真実です。しかし、十分、私はこの真 実を表現できていません。信者がこの事実を理解し、真実の中を歩いて欲しいと切に望んでいます。しかし、信者にこの負担をかけたくはありません。信者に理 解してもらいたいのですが、それがうまくいかない原因の一つに、私たちが重荷だと捉えていることがあります。イエスのくびきは負いやすく、荷は軽いとイエ スが言ったにも拘らず、です。そうなるように努力はしても、キリストの代表として生きるのではないと教えていきたいと思います。容易な道だと言っているの ではありません。キリストの道が容易でないのと同様です。しかし、自己の力(不可能なことです)でキリストの代表として生きることと、聖霊の流れに(大変な喜びと幸福です)助けてもらうこととは、無限ともいえる違いがあります。信者とともに喜びと力の内を歩けるように、聖霊の知恵を適切に用いて、彼らの理解を助けて行きたいと思います。

P: 天のお父様。新年の初めの今日、このみ言葉を下さり感謝します。この年にこれほど相応しい言葉はあ りません。しかし、あなたのご計画に比して、私はまだ計画さえ不十分です。あなたにリラックスして、委ねることを楽しめますように。それは、決して無責任 な委任ではなく、従順に信頼し、私が、いつでもあなたに服し、あなたのご計画が成就し、御国のための時宜にかないますように。あなたのご栄光のために。感 謝します。ハレルヤ!

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