2009年2月28日土曜日

2009/02/26

イザヤ1:1~20

S: イザヤ1:18 「さあ、来たれ。論じ合おう。」と主は仰せられる。「たとい、あなた方の罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい、紅のように赤くても、羊の毛のようになる。」

O: 今日の節も、また有名な御言葉です。赦しのために神様が求めておられることは、いつも悔い改めで す。悔い改めは自分の罪を認めることが求められます。私たちは、まず、罪を認めたがらないか、あるいは認めたとしても、ひどすぎる罪なので神が赦して下さ らないだろうと思ってしまいます。贖いの十字架の力を超える罪などありません。御子を差し出されたほどですから、赦されない罪はありません。反面、贖いな しに赦される罪はありませんし、聖なる神様との交わりを可能にする罪もありません。ここに神の大きな恵みが示されているのですが、私たちには理解し、信じ ることが難しいです!ひどい罪を犯した人の方が、「善良」な人より、救いに近かったりします。なぜなら、ひどい悪人は無実のふりをしないからです。イエス の話に出てくるパリサイ人と取税人を思い出しますが、ほとんどの人はこの話を自分に当てはめて考えようとはしていません。

A: 殆どの人が私を「良い人」として見てくれていますが、神の恵みによって、私は自分にどれほど欠陥があるかを痛いほど自覚しています。私を理想化して見てくれる人たちがいます。彼らが受取る選択をするなら、同じように愛と恵みが得られることを理 解してもらうのに、私は苦労しています。昨日、精神病院で会った少女は、私の内にキリストがいるのを分かってくれました。しかし、神の御前には、私も彼女 と同じ立場にあり、全て神からの恵みによることを信じてくれません。Jは、私が人を引き寄せるのは何故かと聞きました。やはり、私の答えは同じです。神様 の恵みによるキリストのご臨在だと答えました。信者全てに気づいて欲しいのですが、栄光ある全ての富は、キリストの内にある彼らのものです。しかし、それ は水槽というより、むしろ配管のようなもので、ただ受け取るだけではなく、トランスミッターのように流し伝える役目です。私も、また自分の弱さを認め、し かし神の強さで乗り越え、自分の愚かさを認め、しかし神の知恵に頼っていきます。私を通して多くの人が神へと近づくためです。彼らの救いと神のご栄光のた めに。

P: お父様。私に確かに多くのことをなさって下さっています。感謝します。そして、私のうちで、私を通 して働きを続けて下さっています。私が、自分の力だとか、自分には値するのだと、一瞬でも過信しませんように。高慢の罠に、はまりませんように。歌にある ように、あなたをはっきりと見るほどに、もっとあなたを愛し、もっとみ傍で従いたいのです。日々、一瞬一瞬ではなく、そうあり、沢山の人たちにあなたの愛 と恵みを知ってほしいのです。人々の救いとあなたのご栄光のために。有り難うございます。ハレルヤ!

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