2009年2月13日金曜日

2009/01/29

S:  第2コリント11:14~15 しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。

O:  父のように、息子のように、主人のように、しもべのように。仕えようと思う人のまねをして学ぶことができます。ですからイエスは、命によって実った実に よって人が分かると言ったのです。たとえば、口先だけ素晴らしいことを言って、実際は悪いことばかりしている人がいるとします。そうした人は、決して、正 しい主に従っているとは言えません。(だから彼らには悪いことばかり起こるのだと言っているのではありません。むしろ、そうしたことはコントロールできる ことなのです。)アル中、女たらしのピリピ人が信仰による癒しを得た話を読みました。私は、彼らが聖霊の力によって癒したとは思いません。「蛇のようにさ とく鳩のように素直でありなさい」(マタイ10:16)とイエスは言われました。騙されやすくてもいけませんが、み言葉を自分にも人にも据えるべきです。 もし、キリストとみ言葉にとどまるなら、分別が与えられ、イエスの人格を表すような生き方ができることでしょう。そうした生き方を見て人がイエスへと引き つけられます。

A:  このみ言葉とは裏腹の生き方をしている人を知っています。彼らへの最後の審判は神がなさるでしょう。教会外、内で、妬み、苦々しさ、支配欲があります。 敵の罠にはまらないように、私は霊的注意深くありたいと思います。説教壇で、またそれ以外でも、教会内で誰に権威を与えるかについて慎重にあるべきです。 神様の実を結び、キリストが私を通して輝けるように、常に透明性を持ちたいのです。

P:  天のお父様。甘言でないあなたのみ言葉を感謝します。ひどい警告だと解釈する人もいますが、現実を反映しているみ言葉です。私が騙されやすくなく、そし て邪までありませんように。子供のようでありながらも、欺かれませんように。この世のことにではなく、御国のことで成熟しますように。あなたのご栄光のた めに。有り難うございます。神様を賛美します!

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