2009年2月28日土曜日

2009/02/25

箴言29:15~18

S: 箴言29:15,17 むちと叱責とは知恵を与える。わがままにさせた子は、母に恥を見させる。あなたの子を懲らせ。そうすれば、彼はあなたを安らかにし、あなたの心に喜びを与える。

O: 大変興味深いですね!まるで、へブル人は日本人の“わがまま”のための言葉を持っていたかのようで す。NIVの「わがままにさせる」の表現より、ここでは、むしろ英語の「甘やかされた」の方が、より近い意味です。訳語の問題は別にしても、この節の教え は明確で、教訓的だったり物語であったりしますが、聖書に書かれている他の節と同じ教えです。子どものしつけに失敗すると誰の益にもなりません。どのよう な分野でも、改めようとしないと失敗に終わることが多いのですが、とりわけ子育てに関して当てはまります。多くの親にとって、子供をしつけることよりも、 甘やかす方が簡単ですが、長い目で見ると良い結果にはなりません。微に入り細に入って子どもを管理することも、また子どもをだめにしてしまいますが、指針 を持たず、そのことに固執するとひどいことになります。結婚同様に、親の仕事は大変ですが、努力したことの何倍も大きな報いが得られます。

A: 私は常に、この分野で失敗した結果に苦しむ人への対応をしているかのようですが、それほど驚くこと でもないでしょう。世界中にある社会問題の大半は、親としてのあり方が悪かったために起こっていると、私は若いカップルに教えています。そういった失敗 は、ことが起こった後で修復しようとしてもとても難しいのです!今日、私はJさん、Sさんの相談を受けます。二人とも、幼いころに無責任な行動でも構わな いかのような育て方をされ、そのために、今では周囲の人たちに心配や迷惑をかけています。この二人に、神様の愛を正しく示せるように、私に神様からの知恵 が必要です。私が彼らに、かまっていないとか、彼らに責任を取らなくていい、など思わせることは望みません。「やりたくない」からと、思い通りにさせても らっている子どもを見ると、私は怒りたくなる時があります!子供虐待、不必要な残忍さを持ったしつけはあってはなりません。しかし、大切なことは、子供は 自分にとって何が最良なのかを知らないことです。親も知らない場合がありますし、完璧な親はいません。しかし、親は子どもを家庭内の問題の仲裁者してはな らないし、責任から逃れることはできません。例えば、何を、いつ、だれによって、食べるかなど些細なことでさえ、子供の言いなりになってはいけません。そ れでは誰のためにもなりません。しかし、私は全ての人の人生を修復できませんし、神様から、そう求められてもいません。主が私に下さった場合にのみ、教 え、諫めていきます。自分の力に頼らずに、問題対処したいと思います。そうでなければ、力尽き果てて、もう働けなくなってしまいます。

P: お父様。牧師として長く働くほどに、あなたから頂いている愛と忍耐にますます感謝します。パウロが 言ったように、私は群れの中にあっては父の存在です。彼らを正しくしつけるのは、本当に頭痛がするほどに大変です!私がこの責任を全うできるように助けて ください。そして、あなたの指示でないのなら、個人的、感情的な重荷になりませんように。あなたに目を留め、信頼するように助けてください。あなたが私を通して私の霊的な子供を導くためだけでなく、彼らが自分たちの子どもをどう育てるか、私が指導できるように用いてください。悪魔の働きを打ち壊し、一つの家族となり、彼らが解放され、あなたのご栄光が現わされますように。感謝します。ハレルヤ!

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